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八重崎木凪の手記 クリスマス編
クリスマスイブ、それは恋人達の聖夜…、否、性夜である。
きよしこの夜、聖人の誕生を口実にした全世界全宇宙のカップルによる、成人向けぬるぬる相撲王者決定戦が幕を開ける!
……はず、であった。
「え、クリスマスですか?松平家は、神道及び仏教だからって、いつもなにもしないみたいですけど……」
訪れた松平様方ガチ五郎ハウスにて。
不健全なことに昼間から家事に勤しんでいる湊の理解し難い発言に、私は端末に大きくバツを書き込むと、踵を返した。
「ここは……バツ……」
「えっ、や、八重崎さん……!?」
まったくガチ五郎はお約束の一つも知らない、情緒のない脳筋の海綿体である。
私は次のターゲットの位置情報を確認し、移動を始めた。
「クリスマスは…、去年はお店がお休みになったのですが、何でも本店からクレームが入ったとかで、今年は今日も明日も出勤です」
東京都の端から神奈川県の港町まではるばるやってきたというのに、私はまたしても端末にバツを書き込まなければならなかった。
「ここも……バツ……」
「ば、ばつ……?あの、木凪?何の話でしょうか……」
おかしい。
いつかのクリスマスには恋人がサンタクロースのはずが、昨今の日本人は一体どうしてしまったのだろうか。
日本では神も仏も神仏習合、そこに少しくらいキリストやサンタやサタンが混じっていても誰も気にしない。
クリスマスといえば、恋人たちにとってイチャつくための免罪符のようなものではなかったのか。
恋人たちの様子を盗撮して横流しの上転がる師匠をみて楽しむはずが、台無しである。
私は舌打ちを一つ響かせると、おろおろするましろを放置し、『SHAKE THE FAKE』を後にした。
赤、緑、白のクリスマスカラーに彩られた街を歩きながら次のターゲットについて考えていると、端末に通信が入る。
同居人からのようだ。
私はイヤホンを耳に押し込むと、通話ボタンを押した。
「…私八重子…今あなたの斜め上にいるの…」
『………………。今すぐ東京本面へ戻れ』
「緊急…事態…?」
『特に緊急ではないが、とにかく戻れ。途中で誰かに拾わせる』
何やらこの八重崎木凪を必要とする事態が起きているらしい。
さて、本日は火種になりそうなことがあっただろうか。
火のないところで大爆発を起こすような知り合いが多すぎて特定が困難だが、電話口の低い声音から、同居人にとって不本意な状況であることはよく伝わってくる。
だとすると、黒崎芳秀がらみかもしれない。
しかし黒崎芳秀とは先日『どちらがより無意味で迷惑なクラッキングができるか対決』をしたばかりである。
黒崎芳秀が嫌がらせ(愛情表現)をしたい相手は星の数だけいるので、時を置かずして再び仕掛けてきたということは考えにくい。
突然の招集の理由は不明だが、直近の予定(盗撮)がなくなったため、特に呼び出しを拒否する理由はない。
私が駅も近いので電車で移動する旨を告げると、家の最寄り駅で合流との追加の指示に、首を傾げた。
「何故、その場所で……?」
てっきり、設備の整ったオフィスなどに行くものと思っていたのだが。
『夕食を買って今日はもう家に戻る。食べたいものを考えておけ』
「鬼の……霍乱……?」
まだ夕方とも言えない時間である。
そんな時間に二人で家に戻るなど珍しく、体調を崩したのかと尋ねるが、そうではないという。
『月華が、今日くらいは仕事をせずに家族サービスをしろと』
「……クリスマス……だから……?」
『……そのようだな』
上司命令では、仕事が趣味の基武も従わざるを得なかっただろう。
月華のことだから純粋な厚意だけではなく、金遣いにうるさいこの男が側にいてはクリスマスに乱痴気騒ぎができないなどの打算的な理由もありそうだが、ともあれ私にとっては僥倖といえる。
そもそも、私がBL(を愛好する人間)を研究するようになったのは、かつて基武が自分の体を求めた理由を知りたかったからで、たまには自らネタになるというのも悪くはない。
この後の展開に知的好奇心を刺激され、私はいつになく足を早めた。
駅ビルの地下にある食料品売り場は、盆暮れの同人誌即売会のように混み合っている。
このビッグな人ウェーブに上手く乗れるだろうかと入り口で立ち止まっていると、むんずと二の腕を掴まれた。
「はぐれるなよ」
基武の容姿は、今までの周囲の人々の反応や、「美形」と称される人物の目鼻立ちの造りや配置と比較しても、平均以上のものであると考えられる。
だが、親分の命(タマ)をとった仇に復讐しに行くような形相で、脇に可憐な美少年(美少女?)を連行していては、どれほど美形でも、一般人は事件性を感じ敬遠するだろう。
クリスマスに恋人や家族と食べるものをうきうきと買いにきたであろう人々は皆青ざめ、事件に巻き込まれまいと、こんなに混雑しているなか私たちに道を開けている。
歩きやすくて大変助かるのだが、逃げ出した奴隷とそれを連行する鬼畜奴隷商人のような二人連れでは、通報されるのも時間の問題なのではないか。
私は思わず「みんな逃げてぇー!」と叫んで、この食料品売り場をB級パニック映画のような状況にしてみたい衝動に駆られる。
が、大きな声を出すのはそれなりに大変なので、断念した。
しばらくすると、基武も周囲の空気に気づいたらしく、握る場所を腕から手に変更した。
見た目の危険性としては、人攫いから条例違反者に変わっただけでそう緩和されてはいないが、今日は奇跡の起こるクリスマスイブ。
色々な愛の形があるのだということにしておいてもらおう。
それにしても、この絵面はイベントスチルそのものではないか。
私は何故カメラマンを雇っておかなかったのかと、己の読みの甘さを後悔した。
市井の人々にいらない脅威を与えながらも、無事に目的は達成され、夜には家で水とシャンメリーで乾杯をして、買ってきた惣菜をつまんだ。
私たちは基本的にアルコールを摂取しないし、食事時の会話は業務連絡に終始する。
いつもと変わらぬ、他人から見たら「通夜のようだ」と言われそうな食卓。
これが一般的なクリスマスなのだろうか。
そうだとも言えるし、そうでないとも言えるだろう。
今夜がカレンダー上ではクリスマスイブであるというのは、日本人全員にとっての現実だが、記念日とは、当事者がそう意識しなければ「特別」にはならないのだと思われる。
その「特別」は、無言で総菜を口に運んでいる目の前の同居人にもあるものなのだろうか。
「基武は小さい頃……クリスマス……した……?」
「記憶にあるのは数回だが、一応ケーキくらいは食べていたな」
基武の両親は、基武が六歳の時に殺されている。
両親とも研究一筋の研究者だという話を聞いているが、それでも子供と一般的なクリスマスを祝う習慣はあったようだ。
「サンタクロースも…きた……?」
「プレゼントはあった」
「欲しいものはもらえた…?」
基武は少し考え、頷いた。
そして「本当に欲しいものではなかったかもしれないが」と付け加える。
「どうして、本当に欲しいものを言わなかった…の?」
「その時は、俺にもわかってなかった」
わからなかったのなら、本当に欲しいものなど存在しなかったのでは?そう思わなくもない。
感傷?否、実際に思ったことだから、こうして話したのだろう。
基武は、「あの時ああだったら…」というような感傷とは無縁のリアリストである。
「今なら…手に入るもの…?」
感傷ではないのなら、どういう感情なのか。
私は、何か手がかりを掴めないかとじっと基武を見つめた。
「……どうだろうな」
軽く肩をすくめる基武は、この男にしては珍しく穏やかな表情をしている。
「お前には、サンタクロースに欲しいと望むものはあるのか?」
「……………………」
逆に問われて、欲しいものについて考えてみた。
この世の中、金の力で手に入らない「物」は少ない。
金は手に入れようと思えば手に入るので、サンタクロースに望めるものが物品のみであれば、特にないというのが答えになる。
ただ、感情がないといわれる私にも、欲はあるようだ。
私はもっと、心というものを知りたい。
しかし、サンタクロースにそれを望むかと問われれば、答えは否である。
基武の本当に欲しかったものというのも、同じように物ではなかったのかもしれない。
そしてそれは、あるいはまだ手に入るかもしれないもののようだ。
心というものがわかれば、彼の望む「特別」が、私にもわかるのだろうか。
いつかわかるようになる時が来たら、その時こそ、クリスマスが「特別な日」になるのではないか。
そのためには、もっと研究を重ねなくてはと、私はグッと拳を握り決意を固めた。
とりあえず、すぐには理解できそうもないので、今は必要と思うことを頼んでおこうと思う。
「サンタクロースには…基武のために…いい泌尿器科医か精神科医を紹介してほしい…って…頼む…」
私のささやかな願い事を聞いて、何故か基武は愛する家族でも失ったかのような沈痛な面持ちで瞑目した。
「…俺はそれを必要としていないし、そんなことをサンタクロースに頼むな」
「でも……直近六ヶ月以内に性交の試みが一度もない場合ED……って……どこかの国際基準が教えてくれた……」
「……………………」
「大丈夫……EDは不治の病ではない……から……」
「黙れ。お前はこれを食べ終えたらさっさと寝ろ」
忌々しげな表情の基武に、残りの惣菜を取り皿に盛られてしまった。
良かれと思っての提案だったというのに、何故聞き分けのない子供を無理やり寝かせつけるような対応をされるのか。
……解せない。
私は釈然としない思いで、渋々料理を口に運んだ。
おしまい
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