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第9話

オッドは勢いよく立ち上がり、鬼気迫る様子でノーデンスの左手を掴んだ。 「俺が言いたいのはズバリ、指輪です。どうして指輪をしてないんですか、既婚者だと分かれば勘違いされずに済むんですよ!」 彼の悲痛な叫びにより、ようやく訴えたいことが伝わってきた。赤の他人に下心を持たれないようにしろ、ということだろう。 「結婚指輪持ってるでしょう!?」 一応この国では、婚姻の証として夫婦が選んだ指輪を持つことになっている。しかし身につける義務はない。それこそ皆首にぶらさげたり小袋に入れたり、各々好きなように所持している。 「ノーデンス様は駄目です。その容姿ですから、何も知らない方は男女問わず近寄ってきます。だから指輪は見えるところに。ちゃんと指に嵌めてください」 「断る」 オッドの頼みを一蹴して、煤臭い工場を出た。ところが彼は後を追いかけて、尚もノーデンスの行く手を阻む。何故そこまで必死なのか分からないが、諦めて歩みを止めた。 「夫か。そういやそんなのいたな。でも今は関係ない、出て行ったんだから!」 ポケットから小箱を取り出し、中にある銀の指輪を手に取った。 「これが愛の証? 同じものなんて何百個でも作れるのに? こんなもん犬の首輪と一緒だろ」 組み立てられた足場は下から風が拭きあげてくる。見下ろせば奈落の底のような穴に囲まれていた。指輪を地下へ落とせば、そうそう見つけ出すことはできないだろう。 本気でやるつもりはなかったが、手すりに凭れて指輪を弄るとオッドが急に嗚咽しだした。 「俺は……ただ心配なんです。お二人に何があったのか分かりませんが、貴方に笑顔でいてほしいんです」 「ちょ、何だよ。泣くなって」 初めこそ怒気も含んでいたが、今の彼からは悲哀の情しか感じられない。さすがのノーデンスも狼狽える 「指輪も、貴方の身を守る為に必要なものです。だからどうか捨てないでください」 オッドは顔を両手で覆い、ぐすぐすと泣き始めてしまった。二つ歳下とはいえ、聡明でしっかり者だった。そんな彼が涕泣する姿を目にし、動揺する。 彼は彼で、色々な不安と闘っていたようだ(諸々の原因は俺)。 それに気付けなかった自分はまだまだ……。 オッドの近くへ寄って頭を撫でた。 「捨てないよ。困らせてすまなかった」 無理やり顔を上げさせて、彼に微笑む。オッドはしばらくうんともすんとも言わなかったが、やがて目元を袖で乱暴に拭った。 「……すみません、取り乱して。ノーデンス様が元気がないように見えて、それが一番気になってました」 「元気だよ」 翻り、風で揺れる前髪をかき上げる。辺りはすっかり黒一色となり、自分のスーツが異様なまでに存在感を放っていた。 「では指輪をつけてくれますね」 「それは断る」 「ありがとうございます。はいどうぞ」 「あ! こら、離せ!」 まさかの武力行使に気圧されてしまう。オッドは指輪を奪い取ると、ノーデンスが逃げられないよう背中に手を回した。腕を押さえ込み、白く長い指に素早く指輪を嵌める。 「……!!」 「ほ、ほら。やっぱりとてもお似合いですよ。お美しいですー」 とってつけたような言葉の上、オッドはまだ腕を離そうとしない。相当信用されてないようだ。 しかも今の状態、ほとんど抱き着かれてるみたい……。 背中に彼の体温を感じる。心臓がばくばく鳴っているのは、彼ではなく自分の方らしい。 「オッド……もう分かった。毎日つけるって約束するから離せ」 「本当に?」 「あぁ」 頷くとようやく、彼は胸を撫で下ろして離れた。 「ありがとうございます」 少々……いや多分に不満はあるが、彼の顔を見たらまぁいいか、と思ってしまった。 「やっぱりノーデンス様は襲われる危険があるので、俺が近くにいない時は気をつけてくださいね」 「はいはい……」 心配性なのか何なのか。誰よりも強いから心配はいらないけど、今日ぐらいは彼の言うことを聞こうか。

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