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堕落の都SODOM:堕天使公爵アズラフィエル

 襟足の長い黒髪を指で掻き上げながら、微笑と共に、公爵は腰掛けていた豪奢なソファをゆっくりと立ち上がった。  「──あぁ、その性奴隷(セクシズ)を立たせていい。顔も体つきもよく見えないからね…。ふぅん、お前、噂では人間が人間を支配する世界から来たんだろ?そこには、お前みたいな愛らしい愛玩種ばかりが暮らしているの?ボクに言わせてみれば、攻める手立てがあるなら攻め込みたい宝の山みたいな世界だ…。可愛い人間を捕まえて、片っ端から引き据えて犯してやる…なんて、どう?」  「流石、神の軍勢にいち早く反旗を翻して攻め入る決断を下した公爵閣下のお言葉だ。コイツの住んでた異世界まで征服したいっていうお考えか…。こりゃあ恐れ入る。」  コツコツと高い靴音を立て、大股に歩み寄ってくるアズラフィエルを前に、ザラキアの許しを得て恐る恐る膝を上げるシンジ。六枚の巨大な翼が作り出す黒い影と、頭二つほども高い所から無遠慮に見詰める金色の視線とに、思わずゴクリと息を飲んで身体を竦めてしまう。  公爵の問いに答えることもできずに、無意識にザラキアにぴたりと身を寄せるシンジの臆病な上目遣いが余程気に入ったのか、アズラフィエルはクスクスと軽やかな声で笑った。  「そう怖がらなくてもいいのにさぁ──。堕天使を見たのは初めてかい…?」  「当然のことですよ、公爵閣下。こいつは、俺以外の男は知らねぇんだ。街に出したのも今日が初めて。愛玩種は、臆病なくらいの気性でないと。」  「ふぅん──。」  ザラキアの言葉に、アズラフィエルの金色の瞳が興味と好色を象って細められる。その、黒い上等な上着に包まれた腕がするりと伸び、長い指先が今にもシンジの顎を捕まえて上向かせようとしてきた。  「このソドムで、黒は最も尊い色だ。どれ、もっとよく見せて──。」  「──ヒ…ッ…!」  ザラキア以外の魔族の男に触れられようとしている、それが何より恐ろしくて、喉の奥に息を詰めて俯いてしまう。  しかし、アズラフィエルの手がシンジの肌に触れることはなかった。  「──おっと、公爵閣下。そいつぁルール違反だ。これは俺の終生奴隷、俺の許可なしにお触りは厳禁。…そうじゃねぇのかい?」  「…ッ、貴様──っ!」  シンジの顎に触れる寸前のアズラフィエルの手首をがっしりと掴み、揺らぎもしない琥珀色の手がある。位を持たない上級淫魔(インキュバス)のザラキアは今、ソドムで有数の貴族の腕を捕まえながら、同じくらいの高さにある公爵の顔を藍色の視線で真っ直ぐに見詰め、断固とした低い声を響かせていた。ザラキアのこんなに真剣で、凄味のある声と表情を見たのはこれが初めてだった。  「終生奴隷は、またの名をソドムの花嫁。…言ってみりゃ、赤の他人が公爵閣下の目の前で公爵夫人に手を触れるようなモンだ。何より、白い首輪の性奴隷(セクシズ)に主人の許しなく触れた者には、掟によって重い罰が下される。──いかなる高位の貴族だろうが、例外はねぇ。裁きの場に上げられればどんなウソも暴かれちまう。俺たち魔族は強欲で、横暴で、身勝手だ。だから絶対に犯してはいけない掟がある。…そんな決まりだったハズだなぁ?閣下。」  いかに最高位の称号を持つ性奴隷調教師とはいえ、一介の淫魔に腕を掴まれたアズラフィエルの顔は引き攣っていた。それでも、絶対的なソドムの『掟』の話を持ち出されれば、鼻を鳴らしながら引き下がるしかない。毅然としたザラキアの顔とシンジの顔を繰り返し眺め、公爵は冷ややかな微笑を作りながら思い出したように肩を竦めて腕を引く。  「…いやぁ、ボクとしたことが。白い首輪の人間なんて滅多に見ないもんだから、すっかり忘れていたよ。──何だっけ。ソドムの掟によると、他人の終生奴隷に手を触れた者は…人間以下の最下級性奴隷(セクシズ)に堕とされる、だっけ…?」  はらはらと成り行きを見守るシンジの前で、ようやくザラキアが指の力を緩め、アズラフィエルの手首を解放する。その顔には、いつもと変わらないへらりとした笑顔が浮かんでいた。  「そうだな、滅多に見ねぇ終生奴隷に関する掟だ、忘れちまっててもしょうがないとは思う。…だが、いつも俺の調教の腕を買ってくれるアズラフィエル公爵閣下に、掟破りという罪を着せる訳にはいかねぇ。そりゃ、公爵閣下ほどの格別の別嬪(べっぴん)性奴隷(セクシズ)調教できるとなれば調教師として最高の名誉だ、震えるほど腕が鳴るさ?しかし俺は、それを望んじゃいねぇんだ。だから、掟を破る前にお止めした。淫魔がいきなり高位堕天使の手を掴むなんて無礼の極みだろうが、この通り、どうかお許しいただきたいね。」  「…いや、いや。許すも許さないもないさ。ソドムの掟は絶対だからな。そう二度も三度も堕とされてたまるか。すまないね、ザラキア。その代わり、この迷い人(ワンダラー)の血統種は言い値で買うとも。見た目も服従の態度も気に入ったからね。無論、最高の調教を入れてくれよ…?」  あっさりと引き下がったアズラフィエル公爵を前に、ザラキアの(まなじり)に安堵が浮かんだ。今はもう、商売人として揉み手をせんばかりの満面の笑顔を浮かべ、公爵の言葉にコクコクと頷いている。  「毎度あり。繁殖奴隷(ブルードメア)の血統相談にはいくらでも乗らせて頂こう。無論、タダで。──その代わり、俺の花嫁への手出しだけはご勘弁を。公爵閣下に掟を破られたら、俺の大事な客が減っちまう。」  「あぁ、気をつけないと、この街の掟は厳しいからねぇ──。最高位性奴隷快楽調教師(マスター・オブ・ザ・パペット)にご足労いただき、貴重な異世界産最高級性奴隷(グラン・セクシズ)を直接見せて貰えただけで満足さ。じゃあ、後の商談は執事に任せようかな。」  アズラフィエルは、まだ怯えているシンジに目をやり、面白そうに眺めてからぱちりといたずらっぽく片目を閉ざして見せた。

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