7 / 20

第6話

「ほら、早く」 「うっ……」  ディヒトバイは広いベッドに寝転がって隊服のジャケットを脱いだ。  体にぴったりと張り付いたアンダーシャツはたくましい体格を浮き彫りにさせている。 「いつでも好きなときに俺を抱かねえといけねえんだぞ。今抱くくらい簡単だろ」 「で、でもですね……」  そう言ってはいても、頭の中は暴走寸前だった。  ディヒトバイのフェロモンにやられている。  このままでは前のように獣のように体を貪るだけになってしまう。  でも、それは嫌だった。  俺は正気を保って、ディヒトバイを労わりながら抱きたい。 「文句言ってる場合じゃねえだろ。俺を抱け」  その命令がきっかけになって、俺の手がディヒトバイに伸びる。  理性は消えかけている。  ディヒトバイをベッドに押し倒し、その乾いた唇に吸いつく。  手は腹から下へと伸び、下着越しにディヒトバイの陰茎に触れる。 「そんなまだるっこしいのはなしだ、さっさと突っ込め」  もうディヒトバイの中に挿入していいのか。  でも、気になることがあった。 「服着たままじゃ嫌です、裸になってくださいよ」  その鍛え上げられた体を見てみたい。 「……着たままでもできるだろ」 「やだ。裸になりましょう。じゃないとなしです」  ディヒトバイは暫し躊躇うように黙ったあと、シャツとズボン、下着を脱いだ。  そこには目を疑う光景があった。  体に継ぎ目がある。まるで人形のように。  左右の二の腕、同じく左右の太ももに切れ目があった。 「……悪魔にやられた。毒で手足が腐って、切り落とすしかなかった」  アカートは拷問にあったと言っていた。それがまさか、こんなものだったなんて。  思わずディヒトバイを抱きしめる。  こんな目に遭ってまで人を救おうとする彼に、何でもいいから救いがないものかと。 「何でもいい、早くしろ」  その声に色欲が呼び戻される。  そうだ、今はこの体を味わうのだ。  ディヒトバイを押し倒し、片足を持ち上げ後孔に指を這わせる。陰部が露わになってディヒトバイは頬を赤らめた。 「あっ……」  そこはもう粘液で濡れていて、準備が整っていた。  指を一本中に滑り込ませる。我慢できなくてすぐに二本目、三本目と増やしていった。待っていたと言わんばかりに後孔は指を受け入れる。性器を受け入れるために作り変えられたように。 「んぅ……っ」  指を増やすごとにディヒトバイの甘い息が漏れた。くちゅ、くちゅ、と淫らな水音が部屋に響く。 「は、やく、入れろ……っ」  吐息と共にディヒトバイが命令する。 「気持ちいいですか?」  人類最強の英雄に救いがないというのなら、せめて、今だけは快楽に溺れていてほしい。  中で指を動かしながら尋ねる。 「うる、せぇ……」  自分ももう我慢の限界だった。  ズボンの中ではち切れんばかりに陰茎が膨らんでいる。  服を脱ぐのももどかしい。ズボンと下着をずらして陰茎を露わにすると、ディヒトバイの膝裏を掴んで足を開かせた。とろとろに溶けた後孔が愛液で濡れている。  そこに俺のものをぶちこんだ。 「ぐ、ぅ……っ!」  きゅう、と精液を搾り取るように中は温かく、絡み付いてくるようだった。待ちに待った快楽に俺のものは脈動する。 「や、やめ……っ! 抜け……!」  ディヒトバイは顔面蒼白になって呼びかけている。浅い息を繰り返し、声が上擦って恐怖の色を見せている。  それがどうした。  発情フェロモンにあてられた俺はそんな言葉の制止なんて届かない。  俺の体に伸ばす手は震えている。 「や、め……っ」  ディヒトバイは突然電源の切れた機械のように、意識を失ってしまった。 「っ……! ディヒトさん!」  さすがに茹っていた頭も冷えて冷静になる。 「ディヒトさん! 大丈夫ですか!」  言いながらディヒトバイの呼吸を確認する。呼吸に合わせて胸が動いている。息はしている。それに安心した。  しかし何が起こっているのか素人にはわからない。隊服のポケットから携帯端末を取り出し、アカートに連絡を取る。 『お、使い方わかったか。何かあったか?』 「ディヒトさんが、突然気を失って……」  そう言うとスピーカー越しに息を呑む音が聞こえた気がする。 『すぐに人を行かせる、特研まで連れてこい! 下手に動かすんじゃねえぞ!』  アカートにしては珍しく声を荒げていた。  慌てて着衣を整え、ディヒトバイにも毛布をかけてやる。  少しすると廊下から車輪の転がる音が聞こえてきた。恐らくストレッチャーが来た音だ。  慌てて部屋から出て居場所を知らせる。数名の医療スタッフがストレッチャーを押して廊下を走っていた。 「こっちです、奥のベッドに……」  医療スタッフはすぐ部屋にストレッチャーを入れ、ベッドの脇につけるとディヒトバイをストレッチャーに乗せた。 「着いてきてください」  言われなくてもそうするつもりだ。  ディヒトバイを乗せたストレッチャーを追いかけ、特研に入った。  入口には白衣を羽織ったアカートが控えていた。 「奥に運べ! バイタル、意識レベルのチェックが済んだら頭部スキャンするぞ」  そう指示し、ストレッチャーごと扉の向こうに行ってしまった。  何もすることがなくて、ただただ立ちすくむ。  分厚いガラスの向こうでは、アカートと医療スタッフが色々と検査をしている。  それを眺めながら、体が芯から冷えていた。何かとんでもないことをしてしまったのではないか、と。  部屋のあちこちを意味もなく見回す。部屋の壁には時計が据え付けられていた。午後二時八分を指している。  秒針がチクタクと進むのを、呆然としながら見ていた。  時計の針が十六分を指した頃、扉からアカートが出てきた。 「アカートさん! ディヒトさんは大丈夫なんですか……!」 「大丈夫だ、何ともねえよ。自然に目が覚めるのを待つだけだ」 「よかった……」  そう言われてやっと生きた心地がした。 「で、何があったんだ? 何もなしに突然意識を失うわけないだろ?」 「そ、それが……。ディヒトさんと、その……やろうと……」 「ディヒトとヤろうとしたら意識を失った?」 「い、言い方……!」  身も蓋もない言い方に、なぜだか後ろめたいことをしている気がして焦ってしまう。 「なるほどな。トラウマの想起による失神、か」  アカートは苦々しく言い、口元を手で覆った。 「トラウマ……? それって、治るんですか……?」 「精神疾患、ディヒトの場合は心的外傷後ストレス障害だが、基本的に完治することはない。紙についた折り目のようなもんだ。薬物投与やカウンセリングなどで症状を臨床的にコントロールされた状態、つまり寛解を目指す。……そうか、性行為がディヒトのトラウマを刺激するのか」  言ってアカートは大きく溜息をついた。 「お前にはディヒトは拷問を受けたと言ったが、それは正確じゃない。ディヒトは毒で四肢を腐らされ、抵抗できない状態で魔物に犯され続けていた。二か月間も。悪魔はその様子を、ディヒトの目玉を抉ってカメラ代わりにして録画していた。俺はディヒトの治療の助けになるかと思ってその映像を全部見た。ひどいってもんじゃねえ、地獄だった。叫びすぎて段々声が嗄れていくんだ。泣こうが喚こうが、気を失ってもそれは続いた。俺たちが救助するまで、ずっと犯されてた。もっと早くに助けられたら、せめて四肢は切らねえで済んだかもしれねえ……。今更の話だが」 「っ……」  言葉だけで十分すぎる。想像したくもない有様だった。 「ディヒトにとっての性行為は、その記憶と強く結びついてるんだろうな」 「で、でも初めて会ったときは平気だったじゃないですか」  そうだ。こちらの世界に来たばかりでディヒトを襲ってしまったときには、ディヒトバイは普通だった。 「そのときは極限状態だったんだろ。精液カプセルの効果も切れかけてたし、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。気にする余裕がなかったんだろう」 「……じゃあ、ディヒトさんはどうなるんですか。俺と寝れば悪魔を倒せるかもしれないんでしょう。でも、これじゃあ……」 「対策を考える必要がある。しかし、性被害の心理ケアは難しいんだ。カウンセリングにしても、思い出したくもないことを他人に説明するのは傷を広げるだけだろう」  それはその通りだ。魔物に犯された記憶を呼び起こして、思い出すたびに深く記憶に刻んでいく。それは自傷行為と変わらない。 「ディヒトの部屋、見たか」 「え、ええ……。すごい汚かったですけど……」 「セルフネグレクト、自己放任の症状だ。どんなに身の回りが汚くなっても、もうこのままでいい、放っておいてほしいと思うようになる。今のディヒトが人間らしい生活を送れているのは、軍人という意識があるからだ。軍人として上官の命令に従う。それがあるから何とか普通に見えている」 「おかしいですよ、そこまで追い詰められているのに悪魔と戦おうとするなんて……」  ――俺の、英雄のやるべきことだからだ。  義務感にしては重すぎる。  人を助けるときは、まず自分に余裕があってこそ他人に手を貸せるのだ。身を差し出そうと思えるのだ。  だが、今のディヒトバイは生きているのがやっとの有様だ。なのに、なぜ身を削ってまで人を救いたがるのか。 「そこがわからねえんだよ。どんなに止めても悪魔と戦いたがる。それがたまたま軍の目的と合致してるし、本人の希望だから好きにさせてるが、医者の俺からすればたまったもんじゃない。戦わせるもんじゃねえ」  言ってアカートは溜息をついた。 「なあ、どうしてディヒトが人類最強の英雄になったか、教えてやろうか」 「何か仕組みがあるんですか?」 「理屈は単純だ。しかし理解に苦しむ」 言ってアカートは扉に向けて歩いていった。ついてこい、と手で示されたので俺も扉を潜る。  扉の向こうのベッドでは色々なセンサーをつけられたディヒトバイが、簡素な入院着を着せられて眠っていた。その姿が痛々しい。 『こんにちは~、チカシくん! 僕のこと覚えてる~⁉』  声がしたのでそのほうを向くと、ガラス玉の中からフォカロルがこちらに手を振っていた。 「えっと、確かフォカロルさん」 『あったり~! 君は頭のいい子ですね! えらいえらい!』  名前を覚えていた程度でそんなに喜ばれると、少し恥ずかしい気がする。 「フォカロル、思念が存在に及ぼす影響をこいつに教えてやってくれ。なぜディヒトが人類最強の英雄足り得るのか、を」 『ああ、チカシくんはまだ来たばっかりだから知らないんだ。簡単に言うと、魔王がこの世界に悪魔を引き連れて侵略した結果、この世界にも空想が介入する余地が生まれたんです。見えないもの、エーテル、魔力、オーラ、生命エネルギー。そういったものがこの世界にも存在するようになりました。ここまではわかりますか?』 「はぁ、何となく……」  漫画では当たり前の設定だ。まさか別世界に転生して漫画の知識が役に立つ日が来ようとは。 『その魔力は思念の影響を受けます。強い思念を持つ者ほど、強い魔力を帯びるようになる。悪魔、魔族は銃火器を使用してもすぐに再生するので、魔力を帯びた刃物による切断か、一撃で全てを消し飛ばすほどの攻撃が必要です。プロテウスは都市ごと爆破する、という形で悪魔を倒しましたね』 「都市ごと、爆破……」  なんと凄惨な有様だ。ドームの外にいる避難民はかろうじて生き延びた人たちだったのか。 『話が逸れましたね。悪魔、魔族との戦闘には魔力を帯びた刃物、刀を使いますが、さっきも言った通り、強い思念を持つ者ほど強い魔力を帯びる。つまり、切れ味が増すんです。それこそ、鉄をも切れるくらいに』 「じゃあ、ディヒトさんはとんでもなく強い思念を持っていた……ってことですか?」  その疑問にはアカートが答えた。 「とんでもなく強い、なんてもんじゃねえ。悪魔を一刀両断するほどの思念、それはこの世界で誰より強いと言っていいだろう。だからこそディヒトは人類最強の英雄になった。だが、何をそんなに強く思っているのか、それがわからねえ。誰にも教えちゃくれねえんだ」  そう言って、アカートは俺を見上げた。 「どうしてか知らねえが、ディヒトは自分の相棒にお前を選んだ。俺達にはない、お前にしかない何かがあるはずなんだ。お前だったら、ディヒトも少しは心の内を聞かせてくれるんじゃねえか……」 「そう、ですね。そうかもしれません。頑張ってみます」 「頼む。情けねえ話だが、ディヒトしか希望が残ってねえんだ」  アカートはそう言って頭を下げた。  ディヒトバイは何を願いながら刀を振るっているのだろう。  誰よりも強固に、何を望んでいるのか。 「情けねえ話だよな。これだけ人間がいて、ディヒトに望みを託すしかねえってのは」  自嘲するようにアカートが言った。 「せめてあいつがいればな……」 「あいつ?」 『グロザー・ヴォローニン、ですよね。あの眠り姫』  急に会話にフォカロルが混ざってきて、フォカロルのほうを見る。 「誰ですか、そのグロザーって人」  その疑問にはアカートが答えた。 「……ディヒト以外で単独悪魔討伐に最も近かった男、だ」 「そんなに強い人がいたんですか」 『公爵の僕を瀕死に追い詰めたんですからね~』  子供が拗ねるように頬を膨らませてフォカロルは言った。 「こう、しゃく?」 『悪魔にもランクがあるんですよ。下から総裁、騎士、伯爵、侯爵、公爵、君主、王の順です。僕は公爵。上から数えたほうが強いんですから!』 「じゃあ、ディヒトさんが今まで倒した悪魔っていうのは……」 『侯爵のサブナックと公爵のアロケルです。ホント、人間風情が一人で悪魔を倒すなんて屈辱の極みですよ』  言いながらフォカロルはぷんぷんと怒っている。 「フォカロルさんは、そのグロザーって人にやられて人間側についたんですか?」 『一機を裏切って殺して、人間に付きました。でも、僕もやられてばかりじゃないんで、グロザーを返り討ちにしたんですよ! グロザーも瀕死の眠り姫です』  さっきもフォカロルはグロザーのことを眠り姫と言っていた。 「その眠り姫っていうのは?」 「重度の昏睡状態ってことだ。自発的な呼吸はあるが、半年も意識が戻らねえ。そんな状態で意識が戻ったところで戦力になるかというと、な。グロザーがいれば今頃悪魔どもをみんな倒せたんじゃねえかと思っちまうよ」  アカートは答える。医者の立場からすると苦々しいものがあるのだろう。 『で、でも、僕がチタニアの基幹システムにならなかったらこの都市は終わってましたよ。ね、ね?』  フォカロルが慌てたように言う。 「まあな。今のチタニアはフォカロルの魔力から生成される資源で成り立っている。フォカロルなしにこの都市を支えることはできなかっただろう」 『そうですそうです! 僕だっていいことしてるんですからね!』 「プラマイゼロってとこだな」 『えぇ~⁉』  アカートの評価にフォカロルは不満げな態度を見せた。 「フォカロルさんは、なんで人間側につこうと思ったんですか?」  そうフォカロルに問いかけると、彼は悪戯っぽく笑った。 『ふふん。ラブですよ』 「らぶ?」 『ラブ、つまり愛』 「…………」  人間を滅ぼそうとする悪魔が愛に目覚めたとでもいうのか。 『ああっ! 顔に出てる! 人間を滅ぼそうとする悪魔なのにって顔に出てる!』  自分が話下手というのもあるが、どうにもフォカロルのペースに飲まれてしまう。 『冗談ですよ、冗談。まあ、理由の一つにはつまらなかった、というのもあります』 「つまらない?」 『そう。僕たちを召喚した魔王は召喚しただけで力を使い切って、この世界に目当てのものがないとわかったら僕たちのことをほったらかして別の世界に行っちゃったんですから。僕たち悪魔に下されたたった一つの命令は、人間を滅ぼすこと。なんでそんなことを望むのかわからないんですけど。それで、残された僕含む七機の悪魔は人間に攻撃を開始した。でも、僕はある戦いで思ったんです。人間側についたほうが面白いな~って』 「面白い、ですか」 『僕たちは必要に応じて都度召喚される存在。命を持って生きているわけじゃない。使い捨てのものなんです。それで、別に悪魔同士で仲がいいってわけでもないんですよね。で、なかなか抵抗してくる人間を見て僕は思ったんです。この戦い、人間側が勝ったら僕の総取りじゃないかなぁって』 「こいつら悪魔は享楽的なんだよ。自分が楽しかったら何でもいいのさ」  アカートは呆れるように言う。 『そうそう! 僕は人間を殺すことより、味方について悪魔を滅ぼすほうが楽しそうだなって思ったんです。それに、グロザーと戦って瀕死でしたし。そこをアカートに泣きついて契約者になってもらって、人間に協力することになったのです』  えっへん、と胸を張るフォカロル。どの辺りに胸を張る要素があるのかわからなかったが。  その時だった。  急に室内に警報がけたたましく鳴った。 『チタニアより一キロ地点で魔族の発生を確認、チタニアより一キロ地点でA級魔族一体の発生を確認。特別大隊、緊急出撃せよ。繰り返す、チタニアより一キロ地点でA級魔族一体の発生を確認……』  放送は繰り返される。 「魔族って……」  そうアカートに問いかけた瞬間、アカートの持っている端末が鳴った。  アカートは白衣のポケットから端末を取り出して答える。 「はいアカート。大隊長? ああ、駄目です、色々あってディヒトは今意識を失ってます。起きたら連絡しますが、前線に出られるかわかりません。ええ。レオニード班? 好きに使ったらいいと思いますよ、文句は言わないと思います。では」  言ってアカートは通信を切った。 「大隊長って、イングヴァル大佐ですか?」 「そうだ。ディヒトが出られないかと聞いてきたが、タイミングが悪い」 「でも、ここから一キロ地点で魔族が発生って……。ドームの外にいる避難民の人たちが危ないんじゃないですか? 早く何とかしないと……」  そう話していると、センサーの異常を知らせる電子音が鳴った。 「……俺が行く」  音のほうを見ると、ベッドからセンサー類を剥がしたディヒトバイが立ち上がっていた。病人のような弱弱しい姿だったが。 「お前が行くったって、今のお前にはA級魔族の相手は無理だ。大佐に任せろ。大佐だってA級魔族を狩った実績があるだろ」 「うるせえ、俺が行く」  そう言ってディヒトバイは部屋を出ようとする。アカートが駆け寄ってその前を塞いだ。 「駄目だ。今のお前を前線には出せねえ。上官命令だ」 「何でだ」 「今のお前は本調子じゃねえし、冷静じゃない。この前A級魔族を倒せたのだってチカシのブーストあっての話だ。ブーストできない今のお前はβ並のスペックしかねえ。今お前を前線に出して死なれるよりは、温存しておいたほうがいい。イングヴァルだって同じことを言うだろう」 「っ……」  ディヒトバイは押し黙った。  ヒリヒリした沈黙を打ち破るように、またアカートの端末から電子音が鳴った。 「今度は何だ……」  言ってアカートは端末を操作する。 「映像通信……?」  アカートの持つ端末からホログラムが投影され、ディヒトバイの父、ウィレム事務次官の姿が現れた。 『アカート君、ディヒトはそこにいるのかね』 「はい。ですがまだ戦える状況では……」 『駄目だ。前線に出てもらう。防衛大臣からの命令だ。まだ民衆たちは黙っていない。避難民の目もある。ディヒトはこの前A級魔族を倒したんだろう? 今回もできるはずだ。では』  それだけ言って通信は途切れてしまった。 「お前も大臣には逆らえねえな」  言ってディヒトバイはまたベッドから立ち上がろうとする。 「千樫、お前も来い」 「おい待て、もう一回ヤるのを試そうってのか?」  ディヒトバイの言葉にアカートが反応した。 「次は大丈夫だ」 「何の根拠があって言うんだ」 「根拠根拠ってうるせえな」 「そりゃ俺は医者だからだ。精神論は駄目だ。駄目だが……」  言ってアカートの語気が弱まっていく。 「お前が出撃して何の成果も出せなかったっていうのはよくねえ。士気が落ちる。それも避けたい」  アカートは腕を組んで言うと、壁際にある棚に歩いていった。  棚のガラス戸を開け、何かを手に持って戻ってきた。  それは薬剤の瓶と注射器だった。 「性行為を行う前に鎮静剤を注射する。意識がなくならねえ程度のもんだ。胃カメラなんかの前にもやるだろ、それと同じだ。だが、三十分から一時間程度はふらつき、意識レベルの低下が見られる。ブーストに成功しても本調子で戦えるってわけじゃねえ。それでもいいならやってやる」 「ああ、それでいい」  ディヒトバイは頷いた。 「お前は、チカシ」  アカートが俺に問いかける。  正直言って、何が正解かわからない。でも、今わかるのはディヒトバイが俺の助けを必要としているということだけだ。だったら、それに答えたい。 「大丈夫です」 「……わかった。ディヒト、ベッドに座れ」  言われるがままにディヒトバイはベッドに腰掛け、服の前をはだけた。  鎖骨あたりには絆創膏のようなシールが貼ってあり、それを剥がすと短いチューブが見えた。そのチューブにアカートが鎮静剤を注射する。  普通は注射するというなら肘の内側だが、ディヒトバイには腕がないのだ。注射や点滴をする場所を設けているのだろう。 「よし。五分十分で効いてくるからな。部屋までチカシが背負っていけ」 「え、部屋に戻っていいんですか?」  てっきりこのベッドでやるのかと思っていた。部屋に戻れるのなら戻りたい。 「ここでやる気かよ。俺はどんな顔して見てりゃいいんだよ。フォカロルもいるしよ」 「で、ですよね……。じゃあ、俺がおんぶするんで」  言って、ディヒトバイの前にしゃがみこむ。すぐにディヒトバイが体を預けた。落とさないよう慎重に手で支えて、扉に向けて歩く。 「鎮静剤のおかげで発情フェロモンもうまく作用しない。丁寧に、リラックスすることを心掛けろよ。無事に済んだら大佐に連絡しろ。何とか調整してくれるだろ」 「わかりました」  了承の返事をして、特研を後にする。部屋は自分の部屋でいいだろう。  部屋に向かって歩いていると、ズボンのポケットにしまった端末が振動した気がした。あとで確認する。  三分も歩くと部屋に着いた。  奥のベッドにディヒトバイを降ろす。 「ディヒトさん、大丈夫ですか?」 「ああ、ちょっとぼうっとしてきた」  言ってディヒトバイはベッドに倒れこむ。  これから行為をするわけだが、その先に念のため端末を確認しておく。メッセージが届いていた。差出人はアカート。 『声をかけて落ち着かせながらボディタッチ、前戯をすること。ローションは枕元の脇の引き出しに入ってる』と表示されていた。  他人に指示されながら、期待されながらの性行為と思うと、一気に恥ずかしくなるし緊張してくる。  ここで俺のものが勃たなかったり、イけなかったりすることで他人の命が左右されるかもしれないのだ。ディヒトバイが無事に俺を受け入れられるかどうかも大事だが、俺も同じくらい責任重大だ。  気を落ち着かせるために深呼吸する。 「何してんだ、早く来い」  横になったディヒトバイに指示される。その声はいつもより柔らかく、早速鎮静剤が効いているのだろう。  俺は端末をサイドチェストに置き、引き出しの中を確認した。確かにチューブ型の容器に入ったローションが入っている。これを使えというのか。  ディヒトバイと事故になるまで童貞だった俺に、果たして役割が果たせるだろうか。  緊張しながら服を脱ぐ。  今更だが、こうして人前で裸になるのも改めて思うと恥ずかしい。  そう思うとボタンを外す手も止まってしまい、とりあえずディヒトバイのいるベッドに上がった。  ディヒトバイは俺がベッドに乗るなり、手を体に添えてきた。 「時間がねえ」  ディヒトバイは言う。  入院着の合わせからたくましい胸筋がちらりと見えた。  それだけで、どきりとしてしまう自分がいる。 「は、はい……」  言いながらディヒトバイの入院着の紐を解いて、はだけさせる。  盛り上がった胸筋に、綺麗に割れた腹筋。一朝一夕で作れるわけではない体は、機能美に満ちあふれている。 「し、下、脱がしますよ……」  言って下履きに手をかけると、脱がしやすいようにディヒトバイが腰を浮かした。そのまま下着ごと脱ぎ去る。  脱がされた下肢には継ぎ目がある。義足の印。悪魔に奪われた脚。 「ねえ、ディヒトさん、どうしてあなたは戦えるんですか。あんなことを言われて、石まで投げられて……。そんな人たちでも、守りたいって思うんですか。もう、やめてもいいんじゃないですか」  義足をなぞりながらディヒトバイに問う。 「前にも言っただろ。悪魔を倒す、それが俺がやるべきことだからだ」 「それは、どうしてなんですか」 「……俺は、英雄にならなきゃいけねえんだ」 「なんで、英雄になる必要があるんですか?」 「何だ、さっきから質問ばかりだな」  ディヒトバイを黙らせるように、下肢から胸に触れる。力の入っていない胸は指が沈み込むほど柔らかい。 「……ガキの頃からの夢だった」  ディヒトバイは少し黙ってから言った。 「そう、なんですか」  小さい頃からの夢でも、自分がボロボロになっても立ち上がれると、誰よりも強くそう在りたいと願うことができるのかと少し疑問に思ったが、一歩前進した。  今は急ぎのときでもあるし、これからやることが沢山あるのだ。 「ディヒトさん、じゃあ、始めますね」  言ってディヒトバイの陰茎に手を伸ばす。 「おい、そんなとこいじってねえでさっさと……」 「ゆ、ゆっくり、リラックスするのがいいって、アカートさんに言われて……。ディヒトさんは、やっぱり慣れてます、よね。モテそうだし」  言いながらディヒトバイの陰茎をゆるゆると扱く。 「ん……っ」  触れられて刺激があるのか、ディヒトバイは小さく喘いだ。 「……女も男も、面倒なだけだ。遊びもな。あのバカとは寝たが」 「バカって?」 「アカートだ。男同士ってのはどんなもんかってあいつが言い出したから……」 「アカートさん⁉」  予想外の相手に思わず声を出して驚いてしまった。 「大学生時代だ。昔の話だよ。若かったんだ」 「ちなみに、どっちがどっちで……」 「俺が男役に決まってんだろ」 「で、ですよね」  そう話していると、ディヒトバイも落ち着いているのか陰茎が大きく膨らんで勃起してきた。先端からは透明な汁が出始めて、尿道口をなぞると気持ちよさそうな声が聞こえてくる。 「お前はどうなんだ」 「俺ですか? 剣道一筋で……。女の子にも背が高すぎて怖いって言われちゃって……。ディヒトさんが初めてでした」 「どうりで荒っぽい抱き方なわけだ」 「は、はは……」  ディヒトバイに言われて苦笑いするしかなかった。  そして、ディヒトバイは静かに横になる。 「経験がないなら横向きのほうがやりやすい」  ディヒトバイがこちらに背中を向けたので、少し安心する。こちらも脱ぎかけの服を急いで脱いだ。 「じゃあ、後ろ、触りますね……」  言って、ディヒトバイの後孔に手を伸ばそうとして、ベッドの上に投げ出されていたローションが目に入ったので、慌てて手のひらにとった。  ぬるぬるとしたローションを指に絡め、ディヒトバイの尻の肉をかきわけて後孔に触れる。 「ん、ぅ……っ」 「入れますよ、大丈夫ですか?」 「ああ、平気、だ」  緊張してかディヒトバイの声が少し硬くなる。 「……今度は、ちゃんとディヒトさんの言うこと聞きますから」  言ってディヒトバイの中に指を入れた。鎮静剤が効いているはずなのに中は指に吸いつくようだった。 「……前、も」  そう言われて、ディヒトバイの陰茎に手を伸ばして扱く。  確かに、男にとって自然な快楽は陰茎によるものだろう。落ち着くのかもしれない。 「ふ、ぅ……、んぅ……」  両手の手の動きに合わせてディヒトバイは喘ぎ声を上げる。 「指、増やしますよ」 「ああ……」  ディヒトバイは頷く。  とろけた後孔に二本目の指を滑り込ませた。 「あっ、ん……」  ディヒトバイのこんな姿を見ているのは自分だけだと思うと、征服感がこみ上げてくる。  もっと滅茶苦茶にしてやりたい。加虐心にも似た気持ちが芽生え始める。 「もう、入れていいですか」  俺のものはとっくのとうに勃起して、早く欲望をぶちまけたいと我慢汁を垂らしている。 「あぁ、入れてくれ……」  ディヒトバイの答えの途中で俺はもう動き出していた。 「入れますよ」  言うのと同時にディヒトバイの後孔に自分のものをあてがい、少しずつ挿入する。 「うっ……」 「苦しいですか?」  ディヒトバイが小さく呻いたので慌てて確かめる。 「平気、だ……」  ディヒトバイは静かに首を振って答えた。 「嫌だったら言ってくださいね、すぐやめますから」 「やめなくていい、最後までやれ」 「……わかりました」  苦し気な素振りを見せたらすぐにやめよう。そう思い、自分のものをディヒトバイの中に埋めていく。  根元まで入れると中はぐっと窄まって、それだけで達してしまいそうだ。  普段なら勿体ないと思いそうなところではあるが、今はもたもたしていられない。  ディヒトバイの体を抱きながら腰をゆるゆる動かす。 「んぅ、あっ……、は、ぁっ……」  声に悦びが混ざっていることに安心しながら、奥を突いた。 「あ、ああぁっ……!」  ディヒトバイが達するのと同時に体がびくびくと震え、中も締め付けられる。それで精液を中に吐き出した。 「っ、ぐ……っ」  ディヒトバイが苦しげに呻いたので、慌てて陰茎を抜いて様子を確かめる。 「大丈夫ですか」 「ちょっと……、気持ち悪いだけだ……。もう平気だ」  言ってディヒトバイは起き上がろうとする。 「もういいんですか、もうちょっと休んでたほうが……。薬もまだ効いてますし……」 「いい、俺らを待ってる人間がいるだろう」  そう言ってディヒトバイはふらつきながら手を支えに起き上がる。 「千樫、俺の部屋から隊服を取ってきてくれ。新品のが入ってすぐに置いてある」 「わ、わかりました」  ディヒトバイの戦う意思を無駄にするわけにはいかない。  俺も慌てて服を着て、隣のディヒトバイの部屋に向かった。  部屋に入ると、確かに段ボール箱が置いてあり、その中にはビニールに入った隊服が置いてあった。一つ手に取ると、その下には下着類もあったのでついでに持っていく。  俺の部屋に取って返すと、ディヒトバイは携帯端末で誰かと話していた。 「……俺が行く。すぐに出られそうか。準備はできてる。ああ、すぐに行く」  言ってディヒトバイは通信を切った。  それから俺に気付くと、服を寄越せ、と手を差し出した。急いでいるので途中まで歩いて投げ渡す。  ディヒトバイはまずパンツ、ズボンを先に履き、さっき床に転がした刀を腰に差した。それからシャツとジャケットを手に取って歩き出す。 「ヘリに乗る。ヘリポートに行くぞ。……っと」  ディヒトバイが躓いたのを慌てて支える。 「それで戦えるんですか」 「調子はよくなってる。効果があるうちに魔族を倒せばいい。今、十四時二十七分。あと一時間しかねえ」 「でも薬の効果もまだ残ってます」 「やってみねえとわからねえだろ!」  ディヒトバイに凄まれ、驚いて息を呑む。 「……俺も着いていきますから。無理はしないでくださいよ」  ディヒトバイがその気なら、こっちだって覚悟を決める。  誰も守ってやれない英雄を守るのは俺だ。 「お前は来なくたっていい、まともに刀振ったこともねえだろ」 「真剣は持ったことないですけど、剣道なら経験はあります」 「……わかった。死ぬなよ」 「はい」  言ってディヒトバイは部屋から出た。そのあとを着いていく。  ディヒトバイは歩きながら器用にシャツとジャケットを着る。  エレベーターホールに着き、最上階のボタンを押して着くのを待つ。 「そうだ、これを」  言ってディヒトバイは自分の片耳にヘッドセットをつけた。無線機のようだ。同じものを手渡される。 「これから聞こえる命令の通りに動け」 「はい」  ディヒトバイは再び携帯端末を取り出し、誰かに電話をかけていた。 「アカートか。上手くいった。これから出る。ありがとな」  それだけ言って一方的に電話を切ってしまった。 「……千樫。お前も、無理に付き合わしちまって悪いな」 「いいんです。……ディヒトさん、戦うのが怖くないんですか」  ディヒトバイに尋ねる。  無理に体を重ねてまで立つというその背中に。 「俺にとっちゃ、何もできずに死んでいくほうが怖い」 「俺、ディヒトさんを守ります」  言うとディヒトバイは振り返った。ディヒトバイがこちらを見上げて視線が合う。 「何言ってんだ、お前……」 「ディヒトさんはみんなを守る英雄かもしれない、でも、それじゃ駄目なんです。自分だけは守れない。だから、俺が守ります。みんなが敵になったって、俺だけはディヒトさんの味方になります」 「千樫……」  そう言った瞬間、エレベーターが揺れて停止した。照明が落ちて非常灯だけが灯る。 「何だ……!」 『ドーム外にA級魔族が複数出現。軍本部に攻撃を開始した。非戦闘員はシェルターに避難せよ』  放送が鳴り響く。  軍本部への直接攻撃。事態は急を要する。 「このままだと避難民の人たちが危険です! 早くしないと……!」  言っている間にまた大きな振動が建物を襲う。  それと同時に岩雪崩のような轟音が響いた。 『B棟の外壁損傷、B棟の外壁損傷、持ち場を離れて退避せよ』 「魔族が……!」  ディヒトバイが舌打ちする。 「すぐに出るぞ」 「出るって、こんな閉じ込められてるのに……。ドアが開かないと無理ですよ!」 「開かねえなら開けりゃいいだろ」  ディヒトバイがドアの前に立つ。  そしてドアに手をかけて両手で開こうとする。  まさか、ドアをこじ開けようというのか。確かに、ブースト時の身体能力は六倍と言われていたが。  やがて、ぎぃ、と鈍い音を立ててドアが動き出す。  片側だけ開けると少し上に開口部が見える。廊下の非常灯の光が漏れていた。  ディヒトバイは開口部に手をかけてよじ登り、廊下に出る。そして俺を急かすように振り返った。  自分も慌てて開口部に体をねじ込み、エレベーターから出た。  自分が通れる隙間でよかったと安心する。  赤い非常灯だけが灯る暗い廊下の様子を窺う。 「上に行くんでしたよね」  階段はどこだろうかと思った瞬間だった。  今までとは比べ物にならないほどの揺れ、そして轟音。  ダンプカーが何台もまとめて突っ込んできたような衝撃。  立っていられずに床に座り込んでしまう。  頑強な壁が砕け散り、鉄骨がひしゃげる音がする。 「っ……!」  自分たちのいたすぐそば、十メートルも離れていない場所が跡形もなくなっていた。  軍本部の建物が一部分だけぽっかりと崩れている。  外に見えるのは頭上に紋章を戴くA級魔族。巨大な翼の生えたライオン――グリフォンだった。 「ディヒトさん、大丈夫ですか!」  外の魔族を気にしながらディヒトバイの元に走る。  ディヒトバイはさすがというべきか、先程の衝撃などなかったかのように立っていた。  視線は壁の外のグリフォンに向けられている。 「あれを倒してくる。お前は逃げろ」  ディヒトバイはこちらに振り向いてそう言った。 「一人で行くんですか⁉ 俺も……!」 「お前に何ができる。特研に逃げろ。地下なら多少は安全だ」  それだけ言ってディヒトバイは崩落した建物から助走をつけて飛び出した。  そして、目の前のグリフォンを一閃で斬り払う。  魔力を帯びた太刀筋が赤く尾を引いて綺麗だった。  真っ二つに斬られた魔族は紫色の汚泥の塊になり、岩山を転がり落ちていった。  A級魔族はまだ残っている。ここから五体は目視できる。 「ディヒトさん……」  俺はどうする。  このままディヒトバイの後を追うか。  それとも言われた通りに逃げるのか。  ――言ったはずだ。ディヒトバイを守ると。

ともだちにシェアしよう!