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第16話 6章 初めての発情

 五年の時が過ぎ、蒼は六年生として最終学年を忙しく過ごしている。医学生としての充実した日々。しかし、蒼は未だ発情を経験していなかった。  二十歳を過ぎても発情期が来ないのは、さすがに珍しくオメガ科を受診もしたが、原因は不明とのこと。ただおそらくは、心臓の疾患のために、手術するまで成長が遅かったことは原因かもしれないとの診断だった。しかし、いつ来てもおかしくはないので、抑制剤は常に携帯していた。  蒼と同じ最終学年の六年生、無論小学生のだが、の彰久は、十二歳の誕生日を迎えた直後に初めての精通を経験した。  知識はあったので戸惑いは無かったが、両親に知られるのは気恥ずかしく、自分で下着の始末をして誰にも話はしなかった。しかし、当然隠せるわけはなく、雪哉は、それを察した。彰久の思いも理解できるので、夫の高久と二人密かに息子の成長を喜んだ。 「あの、小さかった彰久も一歩大人の階段を上ったんだね、なんだか感慨深いよ」 「そうだな、本人は照れくさいだろうから、知らないふりをしてやろう」 「ああ、僕もそう思ってる。それにしても、蒼君の発情はまだなんだよな。まあ、オメガの発情期は厄介だから、無いにこしたことはないんだろうけどね」  それは、そうだった。オメガは発情期があるため、制約が多かった。抑制剤で抑えるにしても、その期間は休暇をとらねばやり過ごせない事も多い。自身もオメガである雪哉は、身に染みて知っている。 「近いうちにくるかもしれないな……」  ぽつんと高久がつぶやいた。雪哉の耳には入ったが、その時は気に留めることはなかった。  彰久が精通を経験したその日、帰宅後自分の部屋で宿題に取り掛かった。今日は蒼も比較的早く帰ると言っていたので、外出せず、宿題をしていれば、そのうちに帰って来るだろうと思ったのだ。  最近の蒼は、最終学年のため中々に忙しく帰りが遅くなることもある。そんな時は、慌ただしくゆっくりと過ごせない。早く帰って来る時こそ、ゆっくりと勉強を見てもらいながら、一緒に過ごしたい。 「あき君~帰ってるの」蒼の声がした。自分の部屋に荷物を置くと、そのまま母屋に顔を出したのだ。 「帰ってるよ~」彰久は、部屋を飛び出し蒼に抱きついた。それは、いつものことだった。  彰久がいて蒼が帰って来た時も、蒼がいて彰久が帰って来た時も、彰久は蒼に抱きつく。出会った頃から変わらぬ習慣だった。  最近は大きくなった彰久に抱きつかれると、受け止めるのに力がいるが、蒼もぎゅっと抱きしめてやっていた。  ところが、今日は抱きつかれた瞬間、蒼の体はかっと熱くなり、たちまち沸騰しそうになる。蒼は、そのまま座り込んだ。 「あお君……どうしたの? 具合悪いの?」  彰久が心配そうに、蒼の顔を覗き込むようにして尋ねる。蒼は、返事が出来ない。段々と激しい動機がしてきた。自分の体が、経験したことのない状態になり、自分の体ではないように感じる。  もしかして、発情期……どうしよう……抑制剤は部屋に置いてきたカバンに入っている。彰久は子供と言えどアルファだ。もしこれが発情期なら、フェロモンを当てるわけにはいかない。でも、彰久にこのまま抱きついていたいと思った。  だめだ! このままでは大変なことになる。蒼は、理性と力を振り絞り、立ち上がる。 「あき君ごめん、具合が悪いから自分の部屋に戻る。ごめんね、今日は部屋で休ませて」 「あお君、具合悪いなら、部屋で一人でいるよりここで休んだ方がいいよ、僕直ぐに母さんに知らせる」 「いい……だ、大丈夫だから」  ふら付きながら部屋へ行く。当然ながら、蒼が心配な彰久も付いてくる。  蒼は、部屋へ入る前に彰久を押しとどめ、一人部屋に入ると、急いで鍵を閉める。  彰久は、呆然とした。目の前で蒼が自分だけ部屋に入り、鍵を閉めるなんて初めてのことだ。衝撃も大きいが、とにかく蒼が心配だ。すぐさま雪哉に連絡を入れる。  雪哉は高久の院長就任に伴い、副院長になっていた。副院長室で、彰久からの連絡を受け、尋常でないことを察した。すぐに高久に連絡し、帰宅することを伝える。高久も賛成した。まだ退勤には早いが、秘書に後を託して慌ただしく病院を出る。  帰る道すがら、雪哉は考える。おそらく、蒼は発情期を迎えたのだろう。彰久の初めての精通の日に、蒼の初の発情期……。  雪哉が帰宅し、蒼の部屋に来ると、彰久が部屋の様子を伺うようにして立っている。 「母さん! あお君がっ! 鍵しまってるから入れない」 「ああ、大丈夫合鍵持ってきた。蒼君は母さんが診るから心配いらない。お前は部屋に戻っていなさい」 「僕も一緒に」 「だめだ!」  雪哉の有無を言わさぬ強い言葉に、彰久はびっくとして、引き下がる。逆らえない凄みがあった。  雪哉が入っていくと、蒼はベッドの中でうずくまるように横になっていた。喘ぐような息づかい、顔は火照ったように赤い。間違いない、発情している。 「蒼君……大丈夫か」  雪哉が蒼の背に手を置いて尋ねると、火照った顔を上げて頷く。とても大丈夫そうには見えない。薬は飲んだようだが、アルファに触れたことで誘発された発情には効き目が薄いのだろうと察した。 「薬、あんまり効いてないようだね。注射を用意してきたから打つよ」  辛いのだろう、雪哉へ縋り付くようにして頷く蒼に、雪哉は注射を打つ。安定剤と睡眠薬の成分も入っている。効くなら、朝まで眠れる。抑制剤の効きは人それぞれで処方も難しい。同じ人でも、状況によっても利きが違うことが多々ある。  注射後しばらく、雪哉は蒼の背を優しくとんとんとしてやる。すると、注射も効いてきたのだろう、息づかいが次第に穏やかになり、そのうちすーっと眠った。  良かった、注射が利いたのだ。これで、明日の朝まで眠るだろう。夕食は食べないことになるが、一食くらい抜いても心配いらない。今は、落ち着いて眠ることの方が大事だ。  

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