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第19話 7章 医師として
四月になり、蒼は北畠総合病院の研修医として医師としての道を歩み始めた。
初期研修は二年、全ての科を回り専門の科を決めることになる。その後は後期研修として専門の科を極めることになる。
蒼は、既に専門は小児科と決めているが、他の科を学ぶことも医師として大切な事なので、毎日が勉強の日々を過ごしている。
「おい! 蒼、こっちだよ、こっち」
遅い昼食を取りに食堂へきた蒼に、吉沢が声を掛ける。吉沢も国試に合格し、北畠総合病院の研修医になっていた。
「ああ、お前も今ごろ昼か」
「ああ、やっとありつけた」
「お互い、研修医は大変だな」
「だよな、覚えることだらけだし、分かんないことだらけだから、看護師にも気を使って大変だよ。看護師ってなんであんな怖いんだ」
声を潜めて言う吉沢に、蒼は意外な思いを抱いた。蒼は看護師に対して、怖いと思った事はなかった。皆とても優しくて、いや、それ医者の仕事と思うこともしてくれるのだった。どこが、怖いんだ……。
「えっ、怖いかな……優しいと思うけど」
「科によって違うのかな……お前今内科だよな。内科の看護師は優しいのかな」
現在外科に配属されている吉沢は思うのだが、その後他科に行っても、吉沢の看護師感は変わらないことになる。無論蒼のそれも変わらない。
つまり、通常の研修医は大抵が看護師を怖いとまでは思わずとも気を使う。医師として指示せねばならない立場なのに、現場知識はベテラン看護師の方が上だからだ。ために、看護師の当りが強いことも当然あるのだった。
しかし、蒼の場合は、入院していた子供の時と同じだった。皆が皆、蒼には甘い。率先して手助けして、それこそ手取り足取り世話を焼くのだった。鬼の師長と言われる看護師でも、蒼には目じりが下がるの常だった。
吉沢は、追々その事実に気付くのだが、蒼が気付くことはなかった。そのあたりは全くの無自覚だった。無自覚ゆえに、なおさら庇護欲がわくのかもしれない。
「ところでお前、新しい住まいにはなれたのか」
「うん、快適だよ。ここからも近いしね」
吉沢には、書生でなくなるから北畠家を出て、病院の借り上げ社宅に移ったと説明していた。そうなった経緯はともかく、それ事態は事実だからだ。
「お前の方こそ、晴香ちゃんとの新生活上手くいってるのか」
吉沢は就職を機会に、かねてから交際中の晴香と、籍を入れて一緒に暮らし始めていた。結婚式と披露宴は秋にすると決めていた。
「上手くいってるのかな、まあお互い夜勤当直ですれ違いも多いし、小さい喧嘩はしょっちゅうだけど、深刻な喧嘩はないよ。秋の結婚式には来てくれよ」
「勿論、出席するよ。晴香ちゃんの花嫁姿きれいだろうね」
「っぷっ、ははっきれいって、お前吹き出すようなこと言うなよ!」
「失礼な奴だな! 自分の嫁さんだろ、きれいだから結婚したんだろ」
その後二人は、急いで残りの食事を食べ終わると、慌ただしくそれぞれの病棟に戻っていった。
蒼の心身は病院にいる時は充実していた。上級医に指導を受けている時。看護師と触れ合い、患者と向き合っている時。自己研鑽に励んでいる時。全てを忘れて没頭できた。
しかし、自宅へ戻り一人になるとだめだった。思うのは彰久のことだった。抱きついて来た時の温もり、手の感触。自分を呼ぶ声。全てがまざまざと蘇る。
どんなに忘れようと、振り払っても駄目だった。やはり、彰久は自分のアルファなのか? 違う! それはいけない。相手は子供、それも恩ある方のお子様。二十四歳と十二歳じゃどう考えても犯罪だ……蒼は一人葛藤した。
自ずと、自宅へ戻った時は疲れて眠るだけの日が続いた。一人部屋にいることが怖かった。
彰久を忘れるために、蒼は仕事に没頭した。忙しさを理由に北畠家を訪ねることも無くなった。何度か雪哉には誘われたが、彰久に会うことが怖かった。会えば、自分の気持ちを抑えられないことは、蒼自身が一番分かっていたからだ。
雪哉も薄々察するのか、余り強引には誘うことはしなかった。今の蒼には、医師としての研鑽が大切と思い、病院で上級医として、目を掛けるにとどめていた。
「母さん、あお君ちっとも来ないね、どうしてるんだろう」
「研修医は忙しいんだよ」
「母さんがこき使ってるんじゃないの」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない、蒼君は優秀なんだよ。優秀で見込みがある研修医ほど、忙しいんだよ。見込みがないと使われないから暇になる。つまり、蒼君はそれだけ目を掛けられてるんだよ。立派な医師になると思うよ。お前も負けないように頑張らないとな」
蒼が好きならアルファとして成長しろとの思いからの言葉だった。それでなくては、アルファはオメガを守れない。
雪哉には、彰久の思いが分かっていた。思い合う二人を結ばせてやりたい思いは当然ある。雪哉にとって蒼は弟も同然の存在だった。蒼が彰久と結ばれれば、本当の家族になる。それは嬉しいことだと思う。しかし、それは今じゃない。酷だとは思うが、今は二人それぞれが頑張る時だ。そうすれば、真に二人が運命の仲なら結ばれるだろうと思っている。
雪哉の言葉に、未だ中学生の彰久は、アルファとしての自分の立場を考えた。蒼が好きだ。蒼が自分のオメガであるとの確信もある。しかし、自分のオメガだからと、ただ求めればいいわけじゃない。それは分かる。じゃあ、どうすればいい……。
アルファは体格、能力共に他のバース性よりも優れている。反対にオメガはひ弱な人が多い。だからこそアルファはオメガを守らねばならない。それが、アルファに生まれた者の務めだ。
蒼はオメガだ。体格も中学生の自分と変わらない。むしろ、今は彰久の方が大きくなっているかもしれない。力も彰久の方が強くなっている。だからと言って、自分が蒼を守れるか……それは難しい。
中学生の子供が、一人前の医師になった人を守れるわけないのは彰久にも分かる。悔しいけど、それが現実だ。
彰久は、大人になりたかった。早く大人になりたい。大人になって、あの大好きな人を求め、そして守っていきたいと心から思う。
『僕急いで大人になるから、あお君待っていて』彰久は、心の中で何度も呼びかけた。
蒼に焦がれる気持ちと、焦燥を、彰久は勉強に打ち込むことによって消そうとした。決して消えることはなかったが、彰久の学力はめきめきと上がった。元来、トップクラスの学力ではあったが、他の追随を許さぬものになっていった。
立派な医者になる。父親の高久を超えるほどの医者にならねば、それが彰久の目指す姿だった。
「父さん、母さん僕首席での卒業が正式に決まったよ」
「おおっ! それは良かった! 頑張ったな」
「ほんと頑張ったよね、えらいよ! 母さんも嬉しいよ」
「卒業式で校長先生から表彰されるんだよ!」
「そうだな、私の時もそうだった」
「あっ、そうか父さんも首席だったんだよね」
「母校で息子が首席なんて、あなたも嬉しいですよね」
「ああ、嬉しいよ。まだこの先高校、そして大学とあるが、一つの節目だ。当日はお祝いだ。ご褒美も考えないとな」
高久のご褒美という言葉に彰久の目が輝く。
「ふふっ、彰久何かお目当てがあるって顔だな」
「うん、あるよ。何でもいいの?」
「あまり高額な物はあれだが、希望があるなら言いなさい」
高久、そして雪哉も当然何か物と思った。しかし、彰久の希望は違った。
「お祝いにあお君呼んで欲しい。この三年間は教わってないけど、小学生の時あお君が勉強見てくれた。その基礎があって今の僕がある。首席で卒業できるのもそのおかげだと思っているんだ。だから、あお君に報告したいし、祝ってもらったら一番嬉しい」
彰久の言葉に夫夫は深く頷いた。なんの異論もない。一緒に祝ってくれたら、喜びは倍増するとも思う。しかし、この三年間一度もここに来なかった蒼の思いも察するものがあった。
察しながらも、もし蒼を幸せにするアルファが現れたなら、そのアルファに蒼を託したいという思いもあった。彰久が大人になるのは、余りにも先だからだ。二十代の花の時を、子供が大人になるのを待ってくれとは、望めない。それは酷なことだから。
ただ、今のところ蒼にそういったアルファが現れた気配は感じられない。
誘ったら、蒼は来てくれるだろうか……。
「そうだな、確かにお前の言う通りだな。彼は、お前にとって兄とも思える人だ。私たちにとっては弟のような家族同然の人だからな。是非一緒にお祝いをと、誘ってみよう。ただし、来る来ないは蒼君が決めることだ。強制できないことは分かっているな」
彰久は、蒼のこと兄とも思える人じゃない、唯一の大事な人なんだ。そう思ったが、ひとまず父の言葉に頷いた。
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