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第四章②
薫は乱暴に肇を抱いた。先程の発情期の猿みたいな男よりも余程酷い。おもちゃを取られた子供がわがままを押し通そうして暴れているような、そんなセックスだった。
「ちゃんと締めろよ。全然気持ちよくない」
「ガバガバで悪かったな。何分使い古しなもんで」
薫は、荒れ狂う情動に任せて何度も自身を突き立てた。この柔い肉を切り裂いて、引きずり出して、食らってしまえば、二度と他人の手に堕ちることはない。そんなことを考えて、己の発想にぞっとする。
「てめぇこそ真面目にやれ、ド下手くそ。ケツ壊れるまで激しく突けよ」
「いちいちうるせぇのはどっちだよ。この淫乱ビッチ」
薫は肇の顎を強引に掴み、無理やり舌をねじ込んだ。技巧も情緒もない、己の激情をぶつけるだけのキス。肇が嫌がるのを分かっていて、口の端に残る古傷を舐めた。唾液を含ませてしつこく舐る。この傷の理由さえ、薫はいまだ知らないままだ。
「ぱぱっ!」
突然、金切り声が鼓膜をつんざいた。薫は恐る恐る振り向いた。真純が、泣き出しそうな顔をして、震えながら立っていた。
「おい、何ぼさっとしてんだよ」
肇は薫の腰に足を絡める。薫はぎょっとするが、肇は何食わぬ顔で薫を抱き寄せる。汗ばんだ肌が密着し、胎の奥が薫を食い締める。
「見せてやれよ、真純に。俺がてめぇのモンだって」
肇は恐ろしく蠱惑的な笑みを湛え、誘うように腰を揺らめかせた。
何を考えているのだろう、この男は。年端もいかぬ息子の前で抱かれても構わないというのか? 薫には全く理解ができない。理解できないものは恐ろしい。薫は戦慄した。
「ぱぱいじめないでっ!」
真純が叫び、ぽかぽかと薫を叩いた。その痛みで、薫ははっと我に返った。
「ごめん、僕……」
「ぱぱぁっ!」
真純は肇にしがみついて泣きじゃくった。「いじめられてたわけじゃねぇよ」と安心させるように言い、肇は真純の背中を撫でてあやす。「ぱぱ、ぱぱ」と泣きじゃくる真純を見ていると、薫は胸の底にずっしりとした罪の意識が折り重なっていくのを感じた。
「てめーきらい! あっちいって!」
「っ……ごめん……」
真純の一言が決定打であった。薫は平身低頭する他なかった。
泣き疲れて眠った真純を、肇は寝室の布団に寝かせた。先に謝ろうと準備していた薫を遮って、肇は平然と言い放った。
「するか、続き」
薫はぎょっとして呆気に取られる。
「まだ出してねぇだろ」
「だ、だからって……しないよ……」
「なんだ、真純が泣いて萎えたか? しょうもねぇ雑魚ちんぽだな」
こんな状況で興奮できるほど、薫の性癖はねじ曲がっちゃいない。心はまだ純粋なまま、こんがらがった初恋で足踏みしているだけの高校生なのだ。
「いつかはこうなるって、てめぇも分かってただろ」
「……分かんないよ」
「俺ァ所詮こうなんだ。てめぇと退屈な家族ごっこなんざするよりも、汚ったねぇジジイのちんぽ咥えて善がってる方が性に合ってんだよ。幻滅したか? いや、」
肇は自嘲気味に笑う。
「そもそも憧れなんざ持っちゃいねぇか。天下の橘財閥のお坊ちゃんが、俺みてぇな半端モンなんかに」
「……」
乱暴に言い放つ肇の言葉には、僅かながら悲哀と憂いが潜んでいるように感じた。真純の滂沱の涙が薫の脳裏に過る。
「……まだ諦めないから」
「はぁ? 話分かってんのかよ、坊ちゃん」
「分かってるよ。僕はやっぱりまだガキだし、お前のことをたぶん何にも理解できていないけど、だからもう一回チャンスをちょうだい。お前がしたいなら毎晩だって付き合うし、お前が退屈だって感じるなら、お出かけしようなんてもう言わないから。けど、真純が起きてる間は絶対しない」
「……ああ、まぁ。あれは俺も萎える」
「それと……」
言っていいのか言わない方がいいのか、薫は一瞬悩んだ。しかし、これが薫の本心である。
「やっぱり、僕以外とはしないで」
「したらどうなる?」
「……分からない」
肇は、値踏みするような表情で思案した。
「ま、その日の気分次第だな」
*
薫は毎日のように肇の元へ通い、毎日のように体を重ねている。しかし、それだけだ。体のいい性処理の道具として扱われているように感じる。そしてまた、薫自身も、肇をそういった道具として扱っている自分に気付く。
薫が通い詰めても、肇は男遊びをやめはしなかった。むしろ、余計奔放になってきている。その都度薫は怒り悲しみ、自分本位に肇を抱いてしまうが、そのことが逆に肇を焚き付けているらしいことにも気付いていた。
薫が暴力を振るったり、暴言を浴びせたりすると、肇はどこか満足そうな顔をする。そのことで、薫の怒りや悲しみも増幅する。完全なる悪循環である。しかし肇はそれを良しとしているようなので、薫はますます泥沼にハマっていく。
「ねぇ、なんでなの」
肇を背後から押さえ付けながら、薫は疑問を口にした。
「なんでって、何がだよ?」
「……」
常日頃から頭に残る疑問。けれど、それを訊いて何になるというのだろう。どうせ何にもならないだろうということを、薫は既に知っている。
「難しいこと考えんじゃねぇよ。俺はオナホで、てめぇはディルドだ。文句あんのか」
「せめてATMって言えよ」
「はっ、ATM付きディルドか。なかなか高性能じゃねぇか」
「……」
やはり、対話なんて無意味なのだろうか。全てが徒労のような気がする。唯一、抱きしめた躰の温もりだけが、薫にとっての揺るぎない真実だ。
「んっ……♡ なんだよ、奥入りてぇのか」
「できるでしょ。開いてよ」
「最近のディルドはわがままも言うのかよ、ン゛……♡」
突き当たりの、さらに奥。女体でいうところの子宮にまで、薫は無理やり突き進む。肇は腰をくねらせて、薫にとって都合のいい位置を宛がってくれるが、枕に爪を立てて苦悶の声を漏らす。
「う゛、っぐ……んんン゛……っ」
苦しいのだろう。逞しい背中が汗でびっしょり濡れている。けれど、気遣う言葉を薫は決して言わない。一方的に憐れまれることが肇の最も嫌うところだと最近知ったからだ。
「ほんと、奥好きだよね。僕も好きだよ。すごい締まるもん」
子宮に矛先を突き立てながら、肇の下腹をそっと撫でる。肇は苦悶の表情を浮かべ、ビクビクと痙攣した。しかし、その声は確かな愉悦を孕んでいる。
「すごっ。こんなとこまで僕の来てるんだ。こんな深いとこまで男咥えて悦んじゃって、お前ってほんと救いようがないな」
「う゛っ、せ……ンぅ゛、っ」
こんなに深いところまで、体の芯を貫くような奥深いところで繋がっているというのに、心はますます離れていく。
肇がこれでいいというのなら、もうこれでいいのかもしれない。男に抱かれるのが肇の幸せだというのなら、薫はその役に徹していればいいのかもしれない。けれど。真純の顔を見る度に、遊園地で買ったぬいぐるみや、おもちゃやなんかを見る度に、薫は虚しくて堪らなくなる。
このままの状態でいいはずがない。この関係が正解であるはずがない。薫は肇とこうなることを望んじゃいない。真純も含めた三人で、普通に食事をしたり、出かけたり、家でただテレビを見るだけでもいいから、そういった日常のささやかなひと時に、薫は確かな幸福を感じていたのだ。
またあの時を取り戻したいが、それがほとんど不可能だということも分かっている。だからって、はいそうですかと引き下がるのは、物分かりのいい子供のようだ。かといって、なんでどうしてと問い詰めるのも、それはそれで子供じみているように感じる。どっちつかずの態度を続けた結果が、このどうしようもない現状なのだ。
結局水族館へは行けず、海に行く予定も自然消滅して、夏は終わりを告げた。
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