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37話・嬉しい独占欲
「また連絡つかないって担当さんから泣きつかれたんだけど、どうなってんの詩音 !」
「ごめんごめん、スマホの充電器壊れちゃってさ~」
「どうやったらここまで粉砕できるんだよ!」
床の上に散らばる充電器だったものを見下ろしながら、伊咲センパイが詩音さんに怒りをぶつけている。
また担当さんからSOSが来たので詩音さんの様子を見に来ているのだが、間が悪いことに俺とのデートの真っ最中だったのだ。故に俺も同行している。
「幾つか予備があったはずなんだけど」
「どこにあるかわかんなくなっちゃった♡」
「もう! ばか!!」
怒ってはいるけれど見捨てることはない。伊咲センパイは予備の充電器を探すために仕事部屋へと引っ込んだ。俺はとりあえずリビングやキッチンに散乱するペットボトルと宅配弁当の容器を分別しながらゴミ袋に詰めていく。
すると、すぐそばに詩音さんがしゃがみ込んだ。長くてボサボサの前髪の隙間から真っ直ぐな瞳に見据えられる。視線を返すと、彼はニコリと笑んだ。
「あはは、また片付けさせちゃってごめんね~」
「構わないっすよ。慣れてるんで」
「へえ?」
「姉も片付けができないタイプで、俺が全部やらされてました。今も実家に帰ると部屋の掃除を頼まれます」
「なるほどね~、手際が良いわけだ」
俺の言葉に、詩音さんは感心したように何度も頷く。そして、ニッと目を細めた。顔立ちはよく似ているけれど、伊咲センパイとはやはり違う。うまく言い表せないが、詩音さんは複雑で底が見えない。表向きのだらしない姿からは彼の本質が掴めないのだ。
「伊咲の悩みの種、君がやっつけてくれたんだってね。ありがと」
「当たり前のことをしたまでっすよ」
仕事部屋にいる伊咲センパイに聞こえないくらいの声でお礼を言われ、俺も小声で返す。
これまで伊咲センパイが弱音をこぼせる相手は詩音さんしかいなかった。劣等感を生む比較対象でありながら同時に無条件で縋れる身内でもある。この二人の関係は単なる従兄弟という括りでは収まらない気がした。
俺の思考を見透かしたのか、詩音さんは小さな声で話し始めた。
「伊咲はね、小さな頃に父親から精神的な虐待を受けていたんだ。ボクや他の子と比べられて、どんなに頑張っても褒めてもらえなかった。だから自信をなくしちゃったんだよね」
彼に劣等感を刻みつけた元凶は実の父親。
酷い話に思わず俺の眉間にシワが寄った。
「伊咲のお母さんは伊咲を守るために苦労して離婚して扇原 の家に戻ってきた。その頃には伊咲はすっかり引っ込み思案になっちゃったんだ」
モラハラ気質の父親に追い詰められ、幼い頃の伊咲センパイはすっかり萎縮してしまったという。
従兄弟とはいえ同じ名字なのはなぜだろうと思っていたが、離婚して母親が旧姓に戻したからだったようだ。
「伊咲は父親みたいな身勝手な男を恐れながら、同時に認めてもらいたくて求めてしまう。聞いた限りでは、元カレも似たようなタイプだと思うんだよね」
引っ越し屋のバイト先で眞耶 さんがこぼしていた愚痴を思い出す。
『彼は家事とかやらないタイプだわ。だって言動がパパにそっくりなんだもの』
詩音さんの予想通り、伊咲センパイの父親は田賀と同じく自信家で傲慢な性格だったのだろう。
伊咲センパイが田賀に惹かれながらも恐れていた理由がわかった。不名誉な噂を流されて捨てられたからじゃない。元々彼の中にあった傷を、トラウマの元凶である父親に似た田賀が更に抉 ったから悪化してしまったのだ。
「俺は伊咲センパイに幸せになってもらいたい」
「うん。ボクもそう願ってるよ」
詩音さんは長い前髪の奥の目を再び細め、俺に笑顔を向けた。
生活能力皆無で、誰かに面倒を見てもらわなくては生きていけない人。そんな風に詩音さんを捉えていたけれど、実際は違うのではないかと感じた。
伊咲センパイの心に刻み込まれた劣等感を少しでも軽くするため、わざと社会不適合者を演じているのではないか。もしかしたら、伊咲センパイの精神状態はこれでも以前よりマシな状態になっているのかもしれない。
「あの、詩音さん……」
真意を問おうとした時、仕事部屋から伊咲センパイが顔を出した。
「あったよ充電器。早く充電して」
「それが、肝心のスマホがどっか行っちゃって」
「どこで失くした! ばか!!」
やはり素で抜けているのかもしれない。
キャンキャン喚く伊咲センパイを宥めながら、どこにあるかも定かではないスマホを探す。チラリと詩音さんに視線を向ければ、彼は困ったように肩をすくめ、なおも怒り続ける伊咲センパイに謝罪の言葉を繰り返していた。
「そういえばさ~、引っ越すって話はどうなったの? 伊咲」
「まだなんにも決まってない」
片付けと並行してスマホを発掘し、無事に充電器にセットした後、俺が淹れたコーヒーを飲みながら詩音さんが口を開いた。
実は、伊咲センパイは引っ越しを考えている真っ最中なのである。
田賀がやって来た日、男が無理やり押し入って彼の部屋で暴れた件で他の住人から苦情が入った。管理会社から退去勧告をされたわけではないが、ちょっと住みづらくなってしまったのだ。
引っ越しを勧めたのは俺だ。あのアパートは田賀に場所を知られている。
俺が徹底的な報復をしなかった理由は伊咲センパイの身を守るため。もし例の件が原因で百瀬眞耶との婚約が破談となれば、逆恨みした田賀が何をしでかすかわからないからだ。とりあえず政略結婚がうまく行けば接触する理由はないが、物事に『絶対』はない。伊咲センパイには早く転居して安全を確保してもらいたかった。
「獅堂クンんと一緒には住まないの~?」
「あ、もう断られたっすよ」
「へえ? なんで~?」
俺が真っ先に提案したが、悩む間もなく即座に断られてしまった。
「獅堂くん、なんでもしてくれるんだもん。慣れたらダメ人間になっちゃう」
先日お泊まりした際、おはようからおやすみまで一緒に過ごした結果が『同棲拒否』である。
溢れる愛情を持て余した俺がありとあらゆる世話を焼き過ぎたせいで逆に怖くなったらしい。俺としては、俺なしで生きられなくなっていただいて全く構わないのだが。
「じゃあ伊咲がここに住めばいいよぉ。部屋は余ってるし、獅堂クンには通いで来てもらってさ~」
さも名案と言わんばかりに詩音さんが同居案を提示するが、伊咲センパイは渋い顔だ。
「詩音は獅堂くんのごはんが食べたいだけだろ」
「いやあ、獅堂クンの手料理食べてから宅配弁当が味気なく感じちゃってさ~、あはは」
どうやら何度か差し入れをしているうちに詩音さんの胃袋まで掴んでしまったようだ。伊咲センパイと一緒に住めば俺がメシを作りに来ると期待しているらしい。
詩音さんのマンションは確かに部屋が余っているし、セキュリティ体制も万全。正直悪くない話だと思ったが……。
「四六時中詩音と一緒に過ごすくらいなら、僕は獅堂くんにダメ人間にされるほうを選ぶよ」
そう言って伊咲センパイは俺の腕にしがみつき、べえ、と詩音さんに舌を出した。
「従兄弟のボクより恋人を取るのぉ!?」
「当たり前でしょ。僕の獅堂くんの恩恵を掠め取ろうとしないでよね!」
いま『僕の獅堂くん』って言った?
俺に対する独占欲を口にした?
遠慮がちな伊咲センパイがそんな風に言ってくれる日が来るなんて思わなかった。やばい嬉し過ぎる。
「ぜ、ぜったい幸せにします……ッ!」
突然号泣しながら天を仰ぎ始めた俺を、二人は若干引きつつ宥 めてくれた。
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