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第30話
いつの間にか寝てしまっていたのか、鼻先を潮の香りを含んだ風にくすぐられ、瞼を開けた。
目の前で、岳の黒く艶やかな瞳が七凪を愛おしげに覗いていた。
「俺……、寝てた?」
「寝てたというか、飛んでたというか、五分くらいかな」
急にさっきまでの行為が恥ずかしくなって、七凪は岳に背を向けるように寝返りを打った。すぐに岳が後ろから包み込むように七凪を抱いてくる。
「やっぱ媚薬は嘘だったんだな。浄化の塩入りの湧き水飲んでセックスしても、まだ全然七凪のことが好きだ」
七凪は弾かれるように頭を岳に向けた。
「ほんとだ!」
二人は微笑み合って、軽く唇を合わせる。
「七凪、好きだよ」
「俺も岳が好き」
そしてまた二人は微笑み、キスを交わす。
「そうだ、今何時!? 天文台閉まるの何時だっけ?」
七凪は跳ね起きようとして、さっきまで岳を呑み込んでいたそこが鈍く疼き、思わず顔をしかめる。とろりと中からも溢れてきて、その場にへたりこんでしまう。
岳はすぐにそれを察したようで、いたわるように七凪の頭を撫でた。
「七凪、ちょっと待ってて」
岳は濡れたタオルを持ってくると、七凪のまだ敏感な部分を優しく拭いてくれた。
それから天文台に電話をした。
「まだこれから行っても間に合うってさ。七凪、歩けるか? おぶってやろうか? いや、それは体勢的にキツそうだからお姫様抱っこしてやろうか」
岳は冗談みたいなことを真顔で言う。
「ただでさえ男の尊厳を喪失した気分なのに、お姫様だっこなんかされたら俺死ぬ。大丈夫、ゆっくりだったら歩けるから」
岳は少し困ったような顔をしてうなずいた。
日本一の星空の下を、二人は手を繋いで歩く。
足元の草陰では虫たちが賑やかに羽音を震わせ、暗がりの向こうから静かな波音が聞こえてくる。
「俺さ、実は七凪に言ってないことがあるんだ」
歩きながら夜空を仰いでいた岳が呟いた。
何? と、七凪は無言で岳を見上げる。
「俺が七凪を好きなのって、もうずっと前からなんだよね」
「え?」
「うん」
「それって湧き水を間違って飲む前からってこと?」
「そう」
「いつから?」
岳は照れくさそうに、七凪の執拗な視線から目を逸らす。
「かれこれ中学、いや、小学校くらいというか、初恋は多分七凪というか」
岳の告白に七凪の足が自然と止まる。
毎年、紙袋いっぱいにバレンタインのチョコをもらうのに、一度も彼女を作らなかった岳。
「え、じゃあ、岳の好みのタイプ……、身長170センチ以上で……」
「人が振り返るほどの美人。それ七凪のことだよ。七凪は自分のこと、その他大勢男子なんて言ってるけど、そんなふうに七凪のことを思ってるの七凪だけだよ。それに伊織とか悠馬とか、みんな俺の七凪への気持ち薄々気づいてると思う……」
「えっ、みんなってマジで?」
「うん」
それでもみんなの態度は普通だった。
「あいつら、みんないい奴だよな」
岳はしみじみと呟いた。
「ごめん、俺だけ岳の気持ちに全然気づかなかった」
そんな昔から岳は自分に恋をしていてくれたのか。辛くはなかったのだろうか。七凪はこの数ヶ月間だけでも、どうしようもなく苦しかったというのに。
「気づかれないようにしてたから。それにずっと言うつもりもなかった。このまま七凪の幼なじみでいようと思ってた。それにもしかしたらこれは強すぎる友情かもしれないとも思ってたし、はっきり自分でも分からなかったんだ。けど、七凪が本気で彼女作るとか言い出した時に、分かったんだ。自分の七凪へのこの気持ちは恋だって。そう認めてしまってからは、もう想いを止められなかった」
それは知っている。岳の七凪を見つめる瞳は、七凪が愛おしくてたまらない、そう、無言で語っていた。
七凪は岳に何か言葉を返したかったが、どんな言葉も岳の七凪への想いの前では、薄っぺらに思えた。
男女の普通の恋愛と違って、これから先の二人の未来は簡単にいかないことも多いだろう。星一つ出てない、闇夜を歩いているような気分になることもあるかも知れない。
でも……。
七凪は満天の星空を仰いだ。
夏の大三角形を作るはくちょう座のデネブに、わし座のアルタイル、そしてこと座のベガ。
その他にも無数の星たちが降ってきそうだった。
けれど七凪のシリウスはどこにもいない。夏の終わりの今、シリウスが見られるのは明け方だ。太陽より早く東の空から昇ってくるその姿は、まるで朝日ではなくシリウスが夜明けを連れてくるように思えた。
「岳」
手を引いて、少しだけ七凪の前を歩く背中に呼びかける。
岳が七凪を振り返る。
その背後には満天の星空。
そして岳はどの星よりも七凪の目に輝いて見えた。
シリウスの言葉の意味、それは“焼き焦がすもの”。
そばにいるのにこんなにも恋しく、身体に残る岳の痕跡は七凪を熱く燻り続ける。
「岳は俺のシリウスだよ」
この先どんなことがあっても、七凪の歩む道を明るく照らすこの輝きがある限り恐れることなど何もない。
岳はどの星より一番眩しい笑顔を浮かべる。
七凪は岳に向かって両手を広げた。
「岳、早く天文台に行きたい。抱っこして走って!」
「了解!」
岳はすいっと七凪を抱きかかえる。
七凪は遠くに見える天文台の灯りを指さした。
「レッツ、ゴー!」
岳が走り出すと、七凪は鈴を振るような笑い声を上げた。
岳もそれに続く。
二人の笑い声が、満天の星空の下に響いた。
了
*最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
次の物語は夏をテーマにしたものを予定しています。(多分、ほぼ確実に)
物語の主人公達と皆様に同じ夏を体験していただけたらと思いますので、
連載は6月くらいにスタートしようと思っております。
「神様の悪戯」「俺たちの誓い」の倍の長さのお話になります。
中学で出会った2人の一夏の冒険と恋のお話です。
お時間のある方は、また覗きに来てくださると嬉しいです。
Xで創作に関することや連載開始について呟きます。
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それでは、物語の船が出航する港でまた皆様にお会いできますのを楽しみにしております。
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