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第1話

 昼間と言うのに夕暮れを思わせるほど鬱蒼とした木々が揺れている。 「(ひろ)…なんか気味(わり)ぃよ。ホテル戻ろうぜ」  紘の腕を掴んで不安そうな(じょう)は、キョロキョロと辺りを見回す。  大学の卒論にはまだ早いのだが、テーマはそれに決めている紘がこの国に来たのは二日前だった。  2年間バイトをして貯めたお金全てを使っての旅行で、それ程までに書きたい卒論のテーマとは「吸血鬼伝説」である。  中学生のある日に読んだ本で吸血鬼という者に魅せられ、自分なりに一生懸命調べてみたら、まあ伝説だとか病気説とか色々な説がある中で、民間伝承で伝わる人物の存在を知った。  かの虐殺王のヴラド・ツェペリではなく、小さな村でひっそりと暮らしていた者だったらしい。  今回のツアーは、ありきたりなそのヴラドのお城の観光と、その伝説の残る周辺の街を散策するだけというものだったが、紘はもちろんそれで満足ができるはずがない。  一緒に行こうと言ってくれて辛いバイトも頑張った親友の丈にも、もっときちんと吸血鬼伝説を教えてあげたかったし、自分も知りたかった。  民間伝承の残る村というのも城の近くだったこともあり、二人はツアーを抜け出してその村を探しに来ていたのである。 「こんな森の中に無いんじゃないか?その人が住む村なんて…。先も真っ暗だぞ」  丈が言うように森の奥へ向かうほど真っ暗で、もしもその先に村があるとしてもあまり足が進む状態ではなかった。 「なあ…ガイドさんも心配するし、帰ろう」  丈が紘のシャツを引っ張り、戻ることを促した時だった。  脇の草木がガサガサと揺れ、急に人が飛び出してきたのだ。 「うわああああっ!」  2人は腰が抜けたように尻餅をつき、出てきた人物も 「うわっ!びっくりしたぁ」  と声をあげ、それでも大丈夫?と声をかけてきた。 「ごめんね、脅かしちゃって」  声をかけられた方を見ると、1人の少年が佇んでいる。  顎の辺りで切り揃えられた、それは見事な銀色の髪が首を傾げたことでさらっと流れ、蒼い目と赤い唇の少年は 「大丈夫?」  ともう一度聞いてきた。  2人は抱き合ってビビっていたのにやっと気づき、お互い気まずそうに離れて 「大丈夫っす」  と、あはは〜と笑って場を凌いだ。  その様子がおかしかったのか、少年はクスクス笑う。  なんて綺麗な子なんだろう…笑ってはみたが、その美しさに言葉を失いかけていたのも嘘ではない。 「どうしたの?こんなところで。道に迷っちゃった?」  笑いながらそう聞いてくれたが、まさか『吸血鬼伝説の秘密を知っている人がいた村をを探してます』とも言えず、 「え、まあそんな感じです…」  と曖昧に答える。 「そうか、どこに行きたいの?」 「街に出るにはどうしたらいかな…」  とりあえず今回は諦めようと決めて、紘は街へ戻る道を尋ねた。それには丈も安堵した。 「街か…それはちょっと僕には良くわからないな…」  ごめんね、と笑って、ちょっと申し訳なさそうに肩をすくめた。愛らしい仕草だ。 「レンとかセイなら判ると思うんだけど…」 ー誰ー 「あ、僕と一緒に住んでくれてる人達なんだけどね、2人なら道が判ると思うんだ。ちょっと寄って行きなよ」 「え?君のうちに?ってこと?」  突然今会った人物の家になんて行けるわけもない。ましてや海外の…あれ?言葉が…通じてる… 「僕はイフリム、イフリムて呼んでよ。君たちは?」 「っと、その前に、言葉が…通じてる…のは何で?なんだ?」  紘がそう言うと、丈もーそう言えばーと改めて気付いた。 「そう言えば…僕たちちゃんと話できてるね…何でだろう」  イフリム自身も不思議がっていて、問題の解決には至らない。まあ不自由はないからいいんだけど…釈然とはしない。 「俺はヒロ、こっちはジョウだよ。日本から来た。でも、俺らさっき会ったばかりのイフリムの家にお邪魔することなんてできないよ。適当に歩いて、どうにか街に出るから気にしないで」 「ヒィロ、ジョウ、よろしくね。それとね、うちに来るのは気にしないでよ、あまりお客さんもこないから、きっとみんな喜ぶよ」 「いやでも…」  と迷っていると、丈のお腹が『グルルル〜キュウ〜』と音を立てた 「丈!お前恥ずかしいやつ!」  紘の方が顔を赤らめてしまう。 「仕方ねえだろ!鳴っちゃうのは止めらんねえよ」  少しの言い争いのかな、イフリムが笑って 「お腹空いてるならおいでよ。お菓子も食事も用意できるからさ」  そう言われてしまうと、だんだん断りにくくなって来る。 「ん、どうするよ…」  お前がお腹鳴らしたせいだろ、食いしん坊め!といってやろうとしていたやさきに 「リム、どこにいるんだい?」 と言う声が聞こえてきた。 「こっちだよ、レン」  声のする方へ返事をする彼を見て、一緒に目を向けるとさっきイフリムが出てきたところから、今度は一瞬白髪?とも思えるような色素の薄い…黄色を薄くしたような金髪の髪のおとこがあらわれた。声からして多分男性。  背中の真ん中あたりまで伸ばした髪は、イフリム同様サラサラでプラチナのような光を放つ金髪も幻想的なまでに美しい。   レンと呼ばれた人物は、紘たちを一瞥してからイフリムへ近寄って 「探したよ、イフリム。ダメじゃないか、まだ外に出るには君の体調は万全じゃないんだから。所でこの方達は?」  冷たい目をしているが、丸いフレームのメガネがその印象を和らげている。  イフリムよりも何歳か年上ではあろうが、大人っぽい感じというよりは老成した雰囲気を持っており、見た感じ只者ではないと思わせた。   レンと呼ばれた青年は、紘を見つめて少し驚いたような顔をして『ああ…』と本当に小さく呟いて、紘たちに向き直った。 「レン、この人達道に迷っちゃったんだって。街まで連れて行ってあげてくれないか」 「それは災難だったね。いいよ、送ってあげる。その前に家へ寄って行ってくれないかな」  まさか丈の腹の音が聞こえたわけでもあるまいに…と思いながら、この国の人はこんなに親しげに知らない人を自宅へ招いてしまうのか?と、ある意味驚いている。 「イフリムが病み上がりなんだよ。一度家に連れて帰らないと安心できないし、それにうるさいのがいてね…怒られちゃうんだ」  肩をすくめてレンは苦笑した。その〈うるさいの〉と言うのが、さっきイフリムが言っていた名前の最後の1人『セイ』と言う人なのだろうと言うことは理解がつく。 『道に迷ってしまった』と言い逃れしてしまった手前、送っていくという言葉に従わないわけにもいかず、まして病み上がりなどと聞かされたら家に寄らない訳にも行かなくなってしまった。 「それじゃあ…ちょっとだけ…」  自分の言った言葉に責任を取って、紘自らがイフリムとレンの2人へついてゆくことの返事をした。 「じゃあ、こっちにきて」  と先頭立って歩くのはイフリム。  その後ろに従いながら 「僕はバレンティン・ドルクラスティ。長いからイフリムがレンって呼ぶというのでそうなった。レンでもバレンティンでも好きに呼んでね」  と優しい顔で微笑んでくれて、紘と丈も少し安心した。 「ところで、言葉がなぜか判るんですけど…何でなのかわかりますか…?さっきから不思議で」  紘がここぞとばかりにバレンティンに尋ねた。  バレンティンはチラッと紘をみて 「ここが結界の中だからかな」  それだけ言って、ツイッとイフリムの隣へ行ってしまう。 「結界…?」  紘はなぜかその言葉に不穏なものを感じはしたが、今更やっぱり行かないとも言えずに、前を歩く2人に従った。 「でかっ」  家へ着いて、まず紘と丈が同時に言った言葉だ。  日本の感覚で言うと、15LDKくらいな感じ。  バレンティンが、自分たちは落ちぶれ貴族の末裔同士で、かろうじて残ったこの家でひっそりと暮らしていると教えてくれた。  落ちぶれとはいえ元お貴族様ということに、貴族制度が全く根付かなかった国に育った2人にしてみれば、物凄く恐れ多いという感情が湧いてしまっても仕方のない所だ。 「じゃあここで待っててね、イフリム寝かせてくるから。すぐ戻るよ。ついでにエルセイウも連れてくる」  エルセイウというのが、イフリムのいう『セイ』なんだろう。  だだっ広い応接室で、バレンティンが出してくれたケーキと紅茶を前に、紘と丈はそれこそ豪華なソファにちんまりと座っていた。 「ん…か、とんでもない所だな」  目だけを動かして、丈が呟く。 「ん…いい匂いもするしな…」  紘も落ち着かなそうにキョロキョロしてモジモジ。  そんな風に2人の待ち時間は始まったのだ。     「エルセイウ、いるんだろ?」  ドアをコンッと叩いて、その返事も待たずにバレンティンはドアを開けた。 「イフリムは見つかったようだな」  こちらは輝くような金髪で、長い前髪をかきあげ読んでいた本から顔をあげる。  いつ見ても綺麗だなとバレンティンは思う。  黄金といっても過言ではない輝きは、どんな時に見てもその色を失わない。 「知ってるんなら、『お客さん』のことも解ってるみたいだね」 「ああ」  立ち上がってドアの前に立つバレンティンと向かい合う。 「生粋のトランシェリアンだな」 「でしょう?僕もまさかと思ったけど、僕たちの結界に簡単に入り込んできたからね…納得が言ったよ」 「そうだな。この日が来るとは夢にも思っていなかったが…飛んで火に入るなんとかとはこのことだな」  エルセイウはニヤリと笑ってバレンティンを見た。バレンティンも薄笑いを浮かべている。  …が、見た目の良い男性が2人微笑みあているにしては異様に感じるのは、2人の口元に現れた2本の白い牙のせいだった。 「待たせて悪かったね」  エルセイウを伴ってバレンティンが戻ってきたのは30分ほど経ってからだ。 「いえ」   食べていたケーキの皿をテーブルに置いて、2人は立ち上がった。  別に立ち上がる必要もこれと言ってなかったのだが、バレンティンの後ろに控える冷たい笑みを浮かべたエルセイウと言われた人物が、迫力があったものだからというのが理由らしい。 「紹介するよ、彼がエルセイウ。イフリムが言うところのセイだね」 「初めまして…」  なのは全員そうなのだが、取り敢えず。  丈も紘と一緒に頭を下げて挨拶をした。 「こちらこそ初めまして、エルセイウ・アロインスです。イフリムの名前の切り取り方は独特なので、エルセイウと呼んでもらってもかまわないよ」  思ったより優しい声と見事な金髪に気を取られ、紘は差し出された手に数秒気づかなかった。  不思議そうに首を傾げて微笑むエルセイウに、やっと手が出されているのに気づき、 「あ、すみません」  とあわてて手を取り、エルセイウに微笑み返そうとして ーあれ…ー  と、紘は不意に身体を揺らしてその場に跪いてしまった。  「紘?どうした?」  傍の丈が身体を支えるが 「あ…いや、ちょっと眩暈がして…」 「大丈夫か?」  エルセイウも少し動揺したように握った手をそのままに、紘の腕を掴んだ。  バレンティンはエルセイウを見て少しだけ微笑むと、すぐに真顔に戻し紘のそばへと歩み寄る。 「大丈夫?少し休んでいくといいよ。遠慮することないからさ」  エルセイウと丈に支えられている紘の顔を覗き込み、 「きっと疲れたんだよ。迷って結構歩いたんじゃないのかい?」  と言いながら、額や襟元に手を当てて熱の有無を確かめ、バレンティンはこま使いをよんで客室を用意するように言い付けた。 「そうでも…ないと思ったけど、おかしいな…今までに眩暈なんか…」  精一杯の力でそう言いながらクッと身を縮めて、無理して笑おうとした顔を歪める。 『おかしい…バレンティンに触れられると体の力が抜けてゆくみ…たい…」  そこまで考えて、その後は意識が遠のいて行った。 「紘?ヒロ!」 「そんな丈の声を最後に、紘は意識を失った。 「レン、ヒィロが倒れたって?」  ため息と共に部屋へ入ってきたバレンティンにベッドで身を起こしているイフリムが問う。 「いま、エルセイウとジョウが付いてるよ。  花瓶の水を確かめつつ、バレンティンは窓際にたった。 「どうしたんだろうな。きっといっぱい歩いて疲れちゃったんだろうなぁかわいそうに…」  心配そうに俯くイフリムに微笑んで、その手元の花を指先で弄ぶ。 「まさか」  微笑んで嬉しそうなバレンティンを、イフリムは首を傾げて見つめた。 「エルセイウも相変わらず行動が早いなあって」  クスクス笑いながら弄んでいた花の花びらを一枚ちぎってイフリムのベッドへ腰掛ける。 「なに…?」  訳がわからないと言った顔のイフリムの唇に、持っていた花弁を当て 「彼はね、君のためにここへやってきたんだよ…イフリム」  そう言った後薄く開いたイフリムの口の中に花弁をそっと忍び込ませ、その唇を人差し指で軽く抑えた。 「トランシェの花も、もう種が少なくて、来年君にあげられる分が怪しかったんだよ…」  咀嚼してコクンとの見下したのを確認して、バレンティンは唇から指を離す。 「ヒィロはね、トランシェリアンだよ」  この国の人々だと、『ヒロ』とは呼べないらしい。ヒロはヒィロと呼ばれることになる。 「え?」  イフリムの目が細められる。 「そっか…。なんかそんな気はしてたんだけど…そうかぁ〜」 「これで君は復活できる。もうこんな寝たり起きたりの生活は終わりだよ。さっきヒィロのエネルギー…ちょっといただいてみたけどやっぱりすごい。ほんと久しぶりに生き返った気がするよ。血はまだ吸えないけどね。慌てないで」  バレンティンはベッドの上で、よりイフリムに近づき 「でね、そのエネルギーを、リムに分けに来たんだ。トランシェの花の効果と比べてごらん」  バレンティンの唇がイフリムのそれに重なった。  絡み合う舌の感触と共に、イフリムは確かな意識の覚醒を自覚し、ほんの一瞬唇が離れた隙をついてバレンティンの身体を浮かせてみせた。 「イフリム、リム、やめてってば」  浮き上がるバレンティンの腕を掴んで、イフリムもあどけなく笑う。 「こんなことくらいなら、今一瞬で再生した」 「リム、降ろしてよ」 バレンティンも、久々に見たイフリムの力が嬉しいらしく、イフリムでさえも久しぶりに見たと思う笑顔を溢れさせていた。  バレンティンの笑った顔は好きだった。  その顔を見られただけでも、ヒィロたちを連れてきたのは正解だったんだなと思う。  トンっと床に下ろして、バレンティンはイフリムに抱きついた。 「すごいね、リム。いいモノが見つかった」 「でもレン…ヒィロたち帰しちゃうんだろ?」  寂しそうにイフリムは唇を尖らせる 「ヒィロはきっと、しばらく動けなくなるよ」  悪戯そうに微笑んで、さりげなくすごいことを言ってみる。 「安心していいよ、僕とエルセイウに任せてさ」  もう1度軽く唇を合わせて、バレンティンはイフリムから離れた。 「もう少し休んでおいで。あの2人はずっといるから大丈夫」  そう言い残してバレンティンは部屋から出ていく。  パフッと布団に潜り込んでイフリムは呟いた。 「ずっといるのか…へへっ」  その言葉は確かにお遊び相手がいると言う純粋なモノではあったが、イフリムの舌には遠い過去にたまに食べるご馳走のように、本当にごく稀にしか口にできなかったトランシェリアンの赤い液体の味が蘇っていた。  部屋を出てもバレンティンは嬉しさに頬が緩んでいた。  イフリムが復活する。  もうそんな時は来ないかと思っていたが故に、イフリムのためイフリムのためだけにトランシェの花を咲かせて来た。  弱い花ゆえに枯れることも多く、その度にイフリムの命を気遣って絶望の淵に立たされていた。  しかし、そんな思いももうしなくていい。ヒィロがいれば、イフリムはかつての王に戻れるのだ。  一族の血を引くイフリム。  先ほど自分を持ち上げた力は、一族を束ねるものにしか持たされない能力の一つで、他にも様々な能力が備わっているはずだ。  ゆっくり復活していってもらわなくちゃ。  そんな貴重な一族の王は、命に変えてもその存続を維持しなければならない。  それにそろそろ仲間を増やさないと、とエルセイウとも話していたところだ。一族の再興などと言ったことは毛頭考えていないが、絶やすことも考えていなかった。  イフリムの力が甦れば、仲間を増やすのは容易なことだ。 「とにかくヒィロだ。ヒィロを仲間に招かなくちゃ」  そう呟いて、バレンティンはヒィロが寝かされている部屋へと向かった。

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