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第26話 彼女の痛み

◇◇◇  ふわっと甘い香りが鼻先を掠める。その香りは、自分の中で幸せな時といつも共に有った。ただ、今ここにあるそれは、これまでのどの記憶の中よりも、濃くて近い。  優しい朝日を受けて輝く海の明滅が、彼女の肌の輪郭をサラサラと踊るように流れていった。    アオイと初めて夜を超えた。幸せすぎて気が狂うかと思った。いつも誰かの一番になりたいと願っていた俺たちが、お互いの一番になってからは幸せに過ごしている気でいた。  それでも、これまでの幸せとはなんだったのだろうかと思うくらいに、骨の芯から震える時間だった。その時はっきり理解した。俺は絶対に碧じゃないとダメなんだ。 ——満たされるって言葉が安っぽいと思ってたのは、満たされてなかったからだろうな。  ぼんやりとそう思いながら、俺はアオイの肩に口付けた。    早朝の空気はまだ少し冷えていた。初夏とはいえ、高台にあるからだろうか。体を動かすとシーツの冷えた部分が、少し辛い。 「わ、冷たっ」  そう言って俺がゴソゴソと動いていると、碧が僅かに身じろいだ。ぐっすり寝ていると思ったのに、起こしてしまったらしい。 「リョウ、もう起きたの?」  アオイが訊ねる。俺は途端に気恥ずかしくなって、少し声を上擦らせながら応えた。 「う、ううん、大丈夫。え? 大丈夫って変か。あの、あ! お、おはよう」  そして、この状態からどうしたらいいのかが全くわからずに、何も言えなくなってしまった。アオイはふっと笑うとくるりとこちらを向いた。そして、くすくすと笑いながら「おはよう」と応えてくれた。 「ちょっと恥ずかしいね。だから……もうちょっとこのままでいさせてよ」  アオイは俺の方へと近づいてくると、額を俺の鎖骨に当てて目を閉じた。そのまま俺の胸に手を当て、「いい匂い」と呟いた。 「ちょ、ちょっと。ダメダメ、そういうの」 「え?」と聞き返すアオイの口を、少し長めのキスで塞いだ。寝ぼけていた碧の目はそれでしっかり開いたようなので、その目に熱を込めて見つめた。 「寝起きにそう言うこと言われると、困ります。勃ちます……」 「あ、ご、ごめん」  俺の視線でその意味を理解してくれたのか、アオイはパッと顔を赤た。正直そういう反応をされると余計にまずいのだけれど、今日はこれから話し合いをする予定になっている。  この後に葵さんたちとする話の内容を考えると、今は抱き合うわけにはいかなかった。アオイの短い髪に鼻先を埋めてながら手で梳いた。 「ねえ、アオイ」 「んー?」  この後、揃った大人たちとの確認が進むに連れ、おそらくアオイは辛い思いをする。その時に俺は絶対的な味方だとわかって欲しかった。そのために、決定的なことを突きつけられる前に、昨日のうちにどうしても碧と抱き合っていたかった。    そして、これまでとは変わった今の関係の状態で、これからの苦しみを二人で超えたい。ずっと俺の思いは変わらないことを知って欲しかった。碧は髪を梳くと、いつも気持ちよさそうにする。今も嬉しそうに口元を綻ばせながら、目を閉じていて、とても幸せそうに見えた。 「これから先、何が起きても俺はアオイと一緒にいる。それはずっと変わらないからね」  碧はそれを聞いて、ゆっくり顔を上げた。俺をじっと見つめたままだ。俺はその唇に吸い寄せられるように近づくと、ほんの僅かに唇を触れた。  ポッと小さく頬に赤みが差した。それでもまだ、何かに思いを巡らせている。そしてそれは、恐ろしく色気のない話へと繋がりそうだった。 「昨日さ……」  話し始めたアオイの声は、なんの感情も含んでいなかった。それは、感情が振り切れてしまってそうするしか無くなった時に出る声だ。絶望の先にある、虚無の声。俺にも経験があるから、よくわかった。 「あの、中野洸太さん? さ、ピアスしてなかったよね。ピアスで人格切り替えたりって、できるのかな。精神病の治療が出来るなら、そういうことも出来そうじゃない? 昨日の反応って、明らかに知らない人にする反応だったでしょ?」 「……それは、俺も思った」  まるで違う人みたいだった。同じ顔をした他人でないのであれば、他に説明がつかない。二重人格だと言われれば、納得がいく。それほどの違和感だった。  俺たちの近くの人間は、俺、アオイ、優希さん、美咲さん、美咲さんを襲った人……と、ピアスによってなんらかのコントロールを受けている人が多くて、この発想に辿り着くのもそう違和感が無いことだった。  優希さんのように性愛の矛先が変更可能なのであれば、その治療を応用すれば人格だって変えられるのかもしれない。そんな風にSFめいた発想を持ってもおかしくは無いだろう。  ただ、それがなんのために行われるのかという謎だけがずっと残っていた。 「うちの母親さ、もしかして鈴井玲央という人間を好きすぎるあまり、人為的に作り上げてるのかもしれないよね。プログラムにキャラの情報埋め込んだら出来そうじゃない? でもさ、そうなるともうあの人異常だよね。それもね、多分他にもいるのよ。だってあの人の彼氏って、多分曜日別くらいにたくさんいる。その人がみんな鈴井玲央だったのかもしれない。興味なくて気づかなかった。でもよく思い出してみたら、みんな玲央って呼ばれてた気がするの。それにみんなお揃いのダイヤのピアスしてた。首輪してるみたいだなって思って気持ち悪くて、それだけは覚えてた。所有欲みたいだなって、ずっと思ってたから……」  俺はアオイをぎゅっと抱きしめた。そのままの状態で話を聞く。 「リョウ、『ブレーカー』シリーズ、打ち切られそうだって、随分前に優希さんが私に教えてくれたんだ。私、それを聞いたことも忘れてた。こっちを向いてくれない人のことなんか覚えておく必要もないって思って、記憶から切り捨ててたみたい。もしそれで優希さんを恨んでるとしたら……」  俺は何も言えずにいた。ただ、抱きしめる腕に少しずつ力を込めて、ここにいるよと伝えることしか出来なかった。 「そうなったら、私は殺人未遂犯の娘だよ? それでも、私と一緒にいてくれるの?」  アオイは嗚咽を漏らし始めた。俺は上半身を起こして、アオイの向いている方へ顔を出した。そして、上から覆い被さるようにキスをしながら呟いた。 「そう。それでも一緒にいるよ。それは絶対に変わらない。絶対だよ」  涙で濡れたアオイの頬に手を添えて、その目をまっすぐ見た。 「アオイは、アオイ。誰かの何かであるとしたら、俺の一番大切な人。それだけだよ」  そのままアオイの体を両手で包み込んだ。  アオイは俺の首に手を回して、大きな声をあげて泣き始めた。そうすることで、絶望の淵から這い上がろうとしていた。 ——そう、泣くんだ。泣いて全部振り落としてしまえ。  誰かに振り回されて不幸になる必要なんてない。俺たちは、俺たちを愛してくれる人を信じて、幸せに生きていけばいい。 ◇◇◇ 「これが咲耶荘……すごいな、和と洋の混じり方が父さんの好みそのままだ」  俺たちは後藤さんの運転する車に乗り、咲耶荘へとやって来た。海岸沿いから高台に向かって聳え立つ、チョコレートブラウンとテラコッタカラーのグラデーションが映える建物は、古刹のような趣と都会的なデザインが目を引く。  上階に行くにつれ色合いが淡くなり、ペントハウスはガラス張りになっていた。そこに映るのは真っ青な空と海ばかりで、そこはさながら深い青が塗られているように見えた。  父は昔から暇さえあれば神社仏閣へと出かけていた。木材の経年変化のような色合いと、朱色の経年変化のような色合い。宮大工が作ったようなデザイン。それが父の好みを表している。  玄関前に車を止めてドアマンに出迎えられると、クリーム色とブラウンに囲まれたロビーへと入った。そのラグジュアリーな空間に驚いていると、その奥に身なりを整え、シャキッと姿勢良く立つ紳士が二人いることに気がついた。 「父さん……」  その男性のうち年配の方は、このホテルの支配人である市木幸彦(ゆきひこ)。俺が十年前に家を飛び出して以来、会っていなかった実父だ。  ここは周囲の景色や建物の外観もさることながら、ホスピタリティに定評があり、その最たるものが支配人の人間力だと言われている。  この初老の男性は、ピンと張り詰めた空気と共にその奥に柔和な雰囲気も併せ持ち、人を惹きつけてやまないと評判だ。父さんは昔からそうだった。 ——だからこそ、父さんが非情な発言をしたのが俺には許せなかった。  隣には、副支配人の蓮兄さんが立っている。彼もまた支配人によく似た雰囲気を持つ人だ。この二人が並んでいると、周囲の空気と相まって、とても高貴で清らかな雰囲気が漂い始めるように思える。それもまた、昔から変わらないことだった。  ロビーをドアマンに先導されて、二人の方へと歩いていく。支配人と副支配人はゆっくりと微笑むと、俺たちに向かって慇懃に会釈をした。 「久しぶりだね。葵、沙枝」  柔らかく微笑む支配人姿の父さんを見て、俺は鼻の奥がつんとするのを感じた。友人を侮辱され、自分の秘密を知られてからは、顔を合わせるのが怖くて一度も会わなかった。  それでも、本当はずっと会いたかった。母さんが亡くなった後も兄と自分を育てながら、優しい思い出をたくさん作ってくれた父に、会いたく無いわけがない。    ただ継母が優希を侮辱した時に、俺を庇ってくれなかったことだけが、幾つになっても、どうしても許せなかった。それさえなければ、あの人が父さんの隣にいなければ、俺はいつでも帰って来ただろう。今でもあの人だけには会いたくない。 「お久しぶりです。父さん。……兄さんも」  なんとか言葉を捻り出し、涙は目の淵にとどめた。今は、それよりやらなくてはならないことがある。十年ぶりの再会ではあるけれど、ゆっくり話している時間はなかった。 「後藤くんも、久しぶりだね。二人のことを大切にしてくれていると、蓮から聞いているよ。ありがとう」  そういうと、父さんは後藤さんにスッと手を差し出した。父さんは、後藤さんの存在を沙枝姉さんの彼氏としては認識している。だが、彼は今や俺の彼氏でもある。果たして彼はそのことを知っているのだろうか。  そう訝しんでいると、蓮兄さんがこちらを向いて無言で頷いているのが見えた。それを見て、後藤さんは握手に応じることにしたようだった。 「こちらこそ、大切な娘さんと息子さんを預からせていただいて、ありがとうございます。私からご挨拶に伺うべきところろを、これまで失念しておりました。無礼をお許しください」  そう言って、深く頭を下げた。父さんはそれを見てふっと微笑んだ。俺はそれを見て驚いてしまった。 ——俺たちみたいな人間を毛嫌いしているんじゃないのか?  十年前に揉めた時、本当は父さんが何と言ったのかはよく覚えていない。ただ、継母に貶されたことだけをはっきりと覚えていた。そして、その継母を止めなかった父さんに失望したのだけは覚えている。  ただ、そこで母さんを叱ると後々大変だろうと思って、あえて騒がずにいてくれたのかもしれない。そもそも、昔から父さんはとても温厚で優しい人だった。もし、あの日の姿が演技だったとしたらどうだろうか。 その考えに、これまで思い至らないほど思い詰めていた自分に気がついた。 「では、お部屋に参りましょう」  父はスッと進行方向を示すために手のひらを差し出した。その時、ネームプレートがキラッと光って、後藤さんがそれに興味を惹かれたようだった。 「市木幸彦さん……咲耶荘の幸彦さん、ですか。神話みたいですね」  父は、やや驚いて後藤を見た。そして微笑みながら呟いた。 「私は『さちひこ』ではなく『ゆきひこ』と読みますけどね。後藤さんは、神話にお詳しいようで」  そう言って歩き始めた背中は、やや楽しそうにしていた。俺と沙枝姉さんは、思いがけず仲良くなりそうな父と後藤さんの様子に安堵していた。 「本日のお部屋はこちらになります。特にセキュリティが厳しいため、私と副支配人以外はこちらへは参りませんので、ご安心ください」  俺たちは父さんの案内で部屋の中へと入っていった。今回は三人で共に過ごすために、最上階の部屋を用意してもらった。そして、万が一みんなが危険に晒されそうだと判断した場合は、この部屋に全員で避難することが出来るようにしてもらっている。 「では、私たちはこれで失礼いたします。何かありましたら、こちらまでご連絡ください。葵、これは私の個人的な連絡先だ。何かあったら遠慮なく連絡しなさい」  父さんはそういうと、俺にメモを書いた名刺を渡してきた。 「来てくれてありがとう」  そう言って優しく微笑んでくれた。その笑顔を見ると、まるで自分が小学生くらいに戻ってしまったかのように、父さんの胸に飛び込んで泣いてしまいたい気持ちに駆られていた。   「……はい」  泣き出しそうになっている俺の顔を見て、父さんの目が潤んでいった。その目を伏せながら、兄さんと一緒に仕事に戻って行った。 ◇◇◇  俺たちは荷物を置いてソファに落ち着くと、すぐにサトルに連絡を入れた。それから十分ほどして、優希とサトルが部屋にやって来た。 「おーす。お疲れ」  俺は部屋に二人を招き入れると、リビングへと案内をした。沙枝姉さんと後藤さんは立ち上がって二人を迎え入れた。 「よう。新婚旅行どころじゃなくなったな。でも、そろそろ色々な問題をスッキリさせようぜ」 「……ちょっと、デリカシー無さすぎでしょ!」  不躾な後藤さんの物言いに、沙枝姉さんは呆れて背中をポンと叩いた。それでも、そんな発言で場を和ませることができるのは、後藤さんの強みだと皆が知っている。 「あはは。後藤さん、相変わらずですね。あの、リョウとミドリは少し遅れて来ます」  優希は後藤さんにぺこりとお辞儀をした。今回ここで話す内容は、ミドリの母が優希を狙っていたという認識で間違いがないかというすり合わせになる。そして、二人の鈴井玲央と向井が何をしようとしていたのかを突き止めることを目的としている。  そのために、ミドリの母である佐野さんの行動を確認していかないといけないのだが、佐野さんが犯人だと断定して話を進める必要があるため、まずはミドリがいない状態で話を進められるだけ進めようということになった。  そうなったのは、「佐野親子は元々かなり仲のいい親子だった。その母が殺人や悪事を企てていたと知ったら、少なからずショックを受けると思う」という優希からの提案があったからだ。 「優希、まず最初に確認なんだけど、吉良燁は『ブレイカー』シリーズの打ち切りに反対したままなんだよね? そのことで、彼女に恨まれているという可能性はある?」  俺が尋ねると、優希は俯いて足元を見つめたまま、記憶を辿るように話し始めた。 「うん。確かにまだ反対している。打ち切りは上が決めたことで、これまでも何度か引き伸ばしたんだけど、もう覆せないところまで来ているんだ。それで、本人にも最終決定を伝えたんだけど、それで命を狙われるほど恨まれるとは、正直思ってなかったよ。しかも……そのことで、僕と間違えてサトルが刺されたなんて」 「えっ? 優希は自分が狙われていて、サトルが間違えて刺されたと思ってるのか?」  優希は「うん」と頷いた。そして耳朶をつまみ、ピアスを擦った。サトルのスマホに通知が飛ぶ。不安の兆候が出始めているようだ。優希自身もそれに気がついたようで、二、三度深呼吸をしてから先を続ける。 「僕がそれに気付いたのは、一昨日の旅行準備でリョウとミドリから鈴井玲央という男が存在するっていう話を聞いた時だよ。だから、二日前ってことになるね」 「なんでそれが恨まれているって思う根拠になるんだ?」  優希は窓の外へと視線を移した。外は快晴で、空の青と海の青しか見えない。しばらくそうしていたその目には、涙が浮かんでいた。 「小説の中に描いていた人物を実際に作り上げてしまうほど、依存していたんだとしたら……それを打ち切りにしようとした出版社のことは、許せないだろうなと思ったんだ。登場人物を実際にいる人間のように思う恋も、一つの精神疾患として存在するから……」 「佐野さんは妄想性障害ってことか? もしそうなら、いつまでも恨み続けるというのも、確かに納得がいくな」  俺が答えると、サトルが「いやそれなら……」と割って入ってきた。 「フィクトセクシュアルとかフィクトロマンティックの方が近いとは思うけど、まあ妄想性障害も全く無いとは思えないかな……それなら、邪魔をする人間は殺そうと思うことは、あるかもしれない」 「信じられない。でも……あるんだろうね、そう言うことも」  沙枝姉さんがぼそっと呟いた。ここにいる人間の大半は、マイノリティだ。だから自分が信じられないタイプの人間が存在したとしても、絶対的な否定をすることが少ない。人に理解されない感覚を持つという意味では、自分たちも同じだからだ。    ただし、だからと言って完全な理解を示すことができるわけではないし、実際に命を狙う行動を起こすことは了承できない。それだけは間違いない。 「じゃあ、佐野さんが優希を恨んでいて、刺そうと思っていた。それが、なぜか間違えてサトルを刺したって優希は認識してるんだね?」  葵の問いに、優希は小さく「そうだね」と答えた。 「もしくは、僕の大切な人を奪うことで、同じ思いをさせようとしたか……どちらにしても、サトルが刺された原因が自分にあったんじゃ無いかって思った時、正直申し訳なさすぎて死にたくなったよ。でも、仕事から帰ってきたサトルが、僕の顔を見てすごく嬉しそうにしてくれたから……。今は、吉良先生を説得して、自首してもらおうと思ってる」  俺の方を振り返った優希は、目に涙をいっぱいに溜めて、ふるふると震えていた。俺はその姿を見て、とても胸が苦しくなっていた。それなのに、パートナーであるサトルはなぜか目を大きく見開いて驚いていた。 「なんだよお前、どうしたの? 今って驚くところ?」  俺が訝しむと、サトルは俺の背中をバシンと平手打ちしてきた。その力がものすごく強くて、「ってえな!」と怒鳴りつけたところ、今度はサトルも涙を流していた。  俺はギョッとして、「何、どうしたのお前たち」と尋ねた。 「優希が……ルーティン無しで泣いている」  呆然とするサトルとはらはらと涙を流す優希の隣で、後藤さんがポツリと呟いた。 「そうか、優希くんは泣くことすら出来なかったんだったな。……良かったな世理。お前の努力が実ったんだろ?」  後藤さんはサトルの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。サトルは驚いていたが、後藤さんの笑顔を見てつられるように表情を緩めた。 「でもそうすることで、ミドリがどうなるかを考えると、とても辛いんだよ。僕は、ミドリにとっては疫病神でしかない」  五歳からのミドリは、ほぼ親からの愛を受けていない。いないものとして扱われ、それを見兼ねた優希が世話をしてきた。 「ずっと可愛がって来て一生懸命育てた妹のような存在に、ペドフィリアとして迷惑をかけそうになった。だから離れてしまった。その時に親からされたのと同じような喪失感を味わってるはずなんだ。その上その親を犯罪者に導いてしまった。申し訳なくて」  大粒の涙をこぼす優希を、サトルがそっと抱きしめた。優希の頭を大きな手のひらで包み込み、宝物を守るように引き寄せた。 「でも、サトルは刺されて重傷だったんだ。佐野さんにはその罪は償わせなければならない。そこを誤魔化すのはダメだ。それに、ミドリも母親が優希を狙っていることに気付いてるぞ。今朝、リョウから来たメールにそう書いてあった。だから最初から話に参加しても良かったらしいんだけど、俺が止めたんだ。二人で心を落ち着かせてから、こっちに来てくれって言ってある」 「そう。疑ってるんだろうなとは思ってた。でも出来れば証拠が揃うまではそう思わないでいられるようにって思ってたんだけど……状況的に、間違いないと言えそうだよね」  そう言うと項垂れてしまった。サトルはそんな優希の頭を撫でながら「お前は悪くない」と言い続けていた。優希はサトルの温もりを感じながら、さめざめと涙を流し続けていた。

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