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[静流(狂犬にして忠犬) × 藤生(ボス)]バレンタインSS
「……なんですか」
差し出されたものを見た静流がほんの少し眉を寄せた。「chocolate」というパッケージの文字に目が留まったからではなく、キラキラしたピンク色の箱が声の大きな坊主頭の部下を思い出させたからだ。
「何って、チョコだが?」
「見ればわかります」
「プレゼントだ」
藤生の言葉に、さらに静流が眉に皺を寄せた。
「なんだ、その顔は。俺のチョコが受け取れないのか?」
「そういうことじゃありません。いったいどうしたんですか?」
ここは店ではなく事務所だ。しかもボスの部屋だというのに、キラキラしたチョコはあまりにも似つかわしくない。
もしここが店の奥ならキャストやスタッフにもらったのだと静流も思っただろう。実際、バレンタイン間近になると毎年山のようにチョコをもらっていた。だが、藤生がもらったチョコを事務所や自宅に持ち帰ることはない。すべてフロント企業に「差し入れ」という形で押しつけていた。
それなのになぜチョコを持っているのだろうか。訝しむ静流に、革張りの椅子に座ったままの藤生がにこりと微笑んだ。
「どうしたって、今日はバレンタインだろう? バレンタインと言えばチョコをあげる日じゃないか」
美しく微笑む顔に「ソウくんですか?」と静流が返す。すると「ばれたか」と藤生が肩をすくめた。
「もらうことはあっても、あなたがあげる側になったことは一度もありませんから」
「そうだったかな」
「少なくとも出会ってからの十七年間は見ていませんね」
静流の言葉に、藤生が「十七年?」と首を傾げた。
「おまえがウチに来たのは十六だったよな? いま三十だから計算間違えてないか?」
「入ったのは十六ですが、あなたを初めて見たのは十三のときです」
「十三? まだ子どもじゃないか。いったいどこで見たんだか」
「マセガキだな」と笑う藤生に、静流は十七年前の藤生の笑顔を重ねた。
静流が初めて藤生を見たのは十三歳のときだった。場所は華やかなネオン街で、漆黒のスーツを着た藤生は誰よりも美しく、笑顔は煌びやかなネオンより眩しかった。
家に居場所がなかった静流は中学に上がる前から繁華街に入り浸り、中学にはほとんど通っていない。知識も経験もない子どもに華やかな夜の街が優しいはずもなく、それでも薄暗い裏道をねぐらに生きていた。
そんな何もかもが黒ずんでいた静流の日常に差し込んだ光が藤生だった。
圧倒的なオーラと誰もが振り返る美貌に釘付けになった。誘蛾灯に吸い寄せられる虫のように近づき、気がつけばストーカーのように追いかけ回していた。
「十三のガキを惑わせるとは、俺も罪深いな」
「そうですね」
「おい、否定しないのか」
「惑わされた結果、こうしてそばにいるんですからね」
「しかも十七年間も惑わし続けているとは、俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」
「だからっていろんな輩を惑わさないでください」
「そんなことはしてないぞ? 寄ってくるほうが悪い」
「ボスだという自覚を持ってくださいと言っているんです」
「相変わらずおまえは心配性だな」
笑みを浮かべる藤生に静流がため息をつく。
「たとえ俺の命を狙う輩が近づいてきたとしてもおまえがいる。また命がけで守ってくれるんだろう?」
「あのときにみたいに」と薄く笑った藤生が静流を手招きした。目の前に立った静流を見上げながら、労るようにスーツの上から脇腹をするりと撫でる。
十三歳から藤生の完璧なストーカーになっていた静流は誰よりも熱心に、そして誰よりも忠実に藤生の後を付いて回った。だからこそあの日、挙動不審な男の存在にいち早く気づいた。そうして藤生に向かうナイフの刃を自らの腹で受け止めた。
刺したのは組を追い出された元構成員で、どうやら逆恨みした挙げ句の凶行だったらしい。そのことを聞いたのは病院で意識が戻ったときだった。
「活きがいい若者は好きだよ」
間近で微笑む美しい顔に何もかも捨てる覚悟を決めた。「礼は何がいい?」と聞かれ、十六歳の静流は「あんたのそばにいたい」と答えた。
そうして静流は若い衆の一人になった。二年間泥水を飲み、三年目に当時若頭だった藤生の付き人になった。藤生の出世も異例だったが、若く経験の浅い静流が若頭の付き人になることも異例中の異例だった。
その後、藤生は自分の組を立ち上げた。本来そんなことは許されないが、バックに大物がついていたからか邪魔をする組は一つもなかった。おかげで当時は「体で組を買った男娼まがいのボス」と散々言われた。しかし藤生は「使えるものを使って何が悪い」と笑いながらさらなる高みを目指した。
ちなみに現在、事務所はあっても組は持っていない。組を利用したのは最初の二年だけで、持ち物はすべてホワイトなフロント企業に変わった。裏の付き合いを続けつつ表に影響がほぼ出ないのは、金と地位と複雑な表の繋がりを築き上げた結果だった。
(たしかにその手腕は認めるが、だからこそ危ない)
これまで藤生が狙われたことは数知れず、だが、そのたびに静流が体を張って守り抜いた。刺されても撃たれても倒れない静流の姿に大勢が恐れおののき、血を流しながら無表情に相手の息の根を止める様子は「紫堂の狂犬」と呼ばれ生きる伝説となった。
「今日もいい目つきをしている」
スーツの中に藤生の手が潜り込んだ。そうしてシャツの上からねっとりと古傷を撫でる。
「このチョコはソウくんにあげたものとお揃いだ」
藤生がもう片方の手で派手なピンク色の蓋を開けた。
「ソウくんからチョコの相談があってね。ちょうど店用に用意したチョコのサンプルがあったのを思い出したんだ。ほら、一粒で一晩楽しめるっていうアレ。もちろん安全性は確認済みだし、こういうのは藤也も好きだから二人は今夜大盛り上がりだろうな」
「報告が楽しみだ」と話す声は悪戯が成功した子どものように聞こえるが、微笑む顔はまるで妖艶な美女だ。
(これで四十だというのだから恐ろしい人だ)
静流の目がわずかに細くなる。この人はこの先も恐ろしいまでの美貌に笑みを浮かべながら人の上に立ち続けるだろう。想像するだけで静流の背中を武者震いのような震えが走った。
「ということで、俺としてはおまえの体で効果の程を試したいと思っているんだが」
「話の流れがおかしくないですか?」
「そうか? うーん、それじゃあ自分の体で試すことにするか」
「は?」
爪の先まで完璧な男の指が、箱の中から艶やかに光る赤いチョコを一粒摘み口に放り込んだ。
「……うん、甘すぎず洋酒のいい香りもする。悪くない味だ」
満足げに笑う藤生に、静流が呆れた声で「何をしているんですか」と口にする。
「何って、チョコを食べただけだが?」
「ただのチョコじゃないんですよね?」
「ちょっとエッチになるチョコだな」
かわいく言っても駄目だろうと静流がため息をついた。そんな静流を見上げながら、藤生がチョコより赤い唇をクイッと持ち上げる。
「業者から即効性にも自信があると聞いたんだが、どうやら嘘ではなかったらしい」
「だから、何をしているんですか」
「体が熱くなってきたからネクタイを外している」
「いま外しているのはシャツのボタンですよ」
「下はおまえが脱がせてくれるんだろう?」
「……あんたって人は」
再びため息をつく静流に、藤生がいたずらっ子のような笑みを浮かべた。箱からチョコをさらに一粒摘むとポイと口に放り込み、静流のネクタイをグイッと引っ張る。素直に上半身を屈める様子にさらに笑みを深めながら唇を重ねた。
舌で静流の唇を開くと、少し溶けたチョコを無理やりねじ込んだ。そのまま自分の舌を差し込み、チョコを追いかけるように舌を絡めながらキスを続ける。
「これでおまえもチョコを食べたな」
「……一回じゃ収まりませんよ」
「奥の部屋を使えばいいじゃないか」
「そういうことを言っているんじゃないです。シた後のあんたは色気ダダ漏れになるから嫌なんですよ」
「それがどうした?」
「夕方から大垣との懇親会があります」
「なるほど、大垣のオジキに見せたくないってことか」
「抱き潰されたいんですか」
「ははっ。久しぶりにそれもいいな」
藤生の笑顔に静流が眉を寄せた。険しい顔をする十歳年下の情夫にもう一度キスをした藤生は、艶然と笑いながら「懇親会は延期になった」と唇を触れ合わせたまま告げる。
「……俺には報告が来ていませんが」
「うん。さっき俺が直接先方に延期を伝えたからな。決まったばかりだ」
ハアァァァと静流が大きなため息をつく。そのまま自分のネクタイを緩めると、シャツを半分はだけている藤生に手を差し出した。
「まさかため息をつかれるなんてなぁ。近頃のおまえは少し生意気じゃないか?」
「側近としての自覚が芽生えたんですよ」
「そんな自覚芽生えさせなくていいんだよ。おまえは俺だけのものなんだから」
首に腕を絡ませながら笑う藤生に、静流が「そうはいかないでしょう」と側近らしい言葉を返す。
「かまわないさ。俺とおまえが一晩姿をくらませたところで、いまの事務所は微塵も揺るがない。そういうふうに育ててきただろう?」
「一応、ボスの自覚はあるんですね」
「やっぱり生意気だ。そんなおまえも好きだよ、静流」
耳元で囁かれた声に、静流の中の獣が目を覚ました。
軽々と藤生を抱き上げた静流は奥の仮眠室へと向かった。仮眠室には一人用とは思えない大きなベッドと、簡易のシャワー室も備えられている。さらに主の趣味で様々な大人の玩具も揃えてあったが、静流がそれを使うことはほとんどなかった。
その後、性懲りもなく年下の情夫を煽り続けた藤生は精根尽きるまで抱き潰された。「やっぱり狂犬はこうでないとな」と囁いた主人に、絶倫の犬がさらにとどめを刺す。
(何年経っても俺はこの人の手のひらの上だ)
スヤスヤと気持ちよさそうに眠る藤生を見ながら、静流は挑発に乗った自分を反省していた。いつまで経っても追いつけない美しい人の頬を指の背でそっと撫でる。
「まぁ、転がされるのも悪くないと思えるようにはなりましたけど」
忠犬のつぶやきが聞こえたのか、藤生の口元に笑みが浮かんだ。
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