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第18話┋約束─64bitの夢─
「尾上さん、夜更かしですか?」
欠伸混じりの間延びした声で我に帰った。
「あ……気づいたらこんな時間だった」
時計を見ると深夜の2時だ。23時までの記憶はあるから、三時間はゲームにのめり込んでいたらしい。高松がリビングに入ってきたのも、いま声をかけられるまで気が付かなかった。
俺の悪い癖だ。ゾーンに入るというのだろうか、集中するとなかなか戻ってこられない。
「そろそろやめないとな」
ずっと前かがみの体勢でいたから、首も肩も凝っている。伸びをして、ゆっくりと息を吐いた。少しずつ体から力が抜けていく。
「明日も休みだから、無理に寝なくても。それだけ集中してたら目が冴えてるでしょ」
「まぁ、そうだな」
深夜の2時なんて普段はとっくの間に寝ているというのに眠気はどこかへ行ってしまった。しばらく眠れる気がしない。
「俺も起きちゃったし、眠くなるまで一緒にいましょうよ。ココア飲みませんか?」
「じゃあ、お願いしようかな」
電気ポットがコポコポと音をたてる。
キッチンに入った高松はココアをサッと作り、二人分のマグカップを持って俺の隣に座った。
そっと肩が触れ合う。
高松が入れてくれたココアは温かかった。むしろ熱いくらいだ。舌が火傷しそうな程だから、少しだけ冷ますことにした。
「尾上さん聞いてくださいよ。俺、さっき夢を見てたんですよ。すんごい幸せだった。でも全然覚えてなくて……どうして良い夢はすぐ忘れちゃうんでしょうね」
まだ少し眠そうな高松はぽつりぽつりとしゃべり始めた。視線を明後日の方に飛ばして、夢の内容を思い出そうとしている。
「良い夢か。確かにすぐ忘れるな。嫌な夢はしっかり覚えてるのに」
「そうそう。刺される夢とか幽霊に追い回される夢とか、いや~な夢見ると最悪ですよね」
嫌な夢。
俺の嫌な夢は──嫌いな奴に首を絞められる夢だ。恐怖と焦りと諦めが同時に襲ってくる。それでも死にたくないと強く念じて、なんとか目を覚ます。そんな夢。
これがどういう夢なのか、自分でもなんとなく分かっている。今までの嫌な記憶が形を変えて俺を苦しめているのだ。
嫌な記憶なんて早く無くなったらいいのに。心身共に健康になってきたと俺は思っていたけれど、完全にこの悪夢が無くなることなんてないのだろう。きっと身体に刻みつけられてしまったのだ。
俺は不自然に言葉を詰まらせてしまったけれど、高松は見守ってくれている。俺が何に苦しんでいるのか分からなくても、良くない何かを察しているのだろう。
「……ね、尾上さん。夢なら起きてる時にも見られますよ。子供の頃に、将来の夢とかあったでしょ?」
子供の頃の夢、か。
「いや、なんで将来の夢の話になるんだ」
「『夢』って全然違う二つの意味があるの、不思議じゃないですか?」
「確かに。そうか……夢。俺の子供の頃の夢は」
──子供の頃の夢なんてあったっけ。
俺はいつだって、目的もないままぼんやり生きているのか。
「俺には夢なんてなかった。先のことを考えてなかった。俺は、好きなことして好きなように生きてきたんだ」
そうだ、俺はずいぶんと恵まれていたらしい。裕福な家に生まれ、子供の頃からのびのびと好きなことをさせてもらえた。好きな習い事に通い、欲しい本やゲームも全部手に入れた。私立の大学に入り、六年間バイトもせず、モラトリアムを謳歌した。
いつだって夢なんかない。大体のことが叶っていたからだ。そんな奴が他人の喜びも悲しみも理解できるだろうか。ゲームや映画やフィクションの中だけで、何かを知ったような気になっているだけなのだ。
「尾上さん……?」
そして、他人も俺を知らない。俺の身に理不尽な暴力や恐怖が降りかかろうとも知る必要がない。それだけ人と人の間には壁があると感じている。
十年以上俺と同じ会社に勤めている者は、俺がしばらく休職していた事を知っているだろう。やせ細って今にも倒れそうな見た目をしていたから、復帰後も腫れ物のように扱われていた。社長の身内なのも相まって、俺が限界までサボっていても何も言えないんだと思う。
気づけば腕が震えている。これじゃタバコだって持てやしない。手首を押さえてみても止まる様子はない。だんだん息も浅くなっていく。
──嫌だ。高松の前でこんな姿を二度と見せたくなかった。違うんだ、俺はもう大丈夫なんだ。
「嫌なことは言わなくていいんですよ。誰にだって、恋人にも家族にも言えないことの一つはあるんじゃないかなぁ」
高松の言う通り、俺には誰にも言えない過去がある。
半ば洗脳され、脅されて身体を差し出していたことも、あのタバコを吸う意味も、墓場まで持っていくと決めた俺の『永遠』の秘密だ。それなのに、言いたくないのに、分かってほしいと思うのだからなんて傲慢なのだろう。
言葉がダメなら──そっと手のひらを重ねれば、何かが伝わるのだろうか。
「……手繋いでてもいいか」
高松は何も言わず頷いた。高松のしっかりした温かい手に、細くて冷えた自分の手を重ねた。入れてからしばらくたったココアを少しずつ飲んで、体の芯を温める。それでもやはり高松の方が温かかった。
深夜の時間はいつもよりゆったりと静かに流れていった。
しばらくすると、高松は付けっぱなしのテレビ画面を見つめていた。
「珍しいですね、ロクヨンのゲームしてるの。いつもの古いゲームはスーファミじゃないですか?」
テレビ画面には先程までプレイしていたゲーム画面が映し出されたままだ。
「まあそうだな。ロクヨンは……当時プレステがあったからあんまりしなかったんだけど、何本か好きなカセットがあったんだ。だから、たまには違うのもな」
確かこのハードが発売されたのは俺が中学の頃だったと思う。受験の時期だったが、どうせ受かるからそんなことはどうでもよかった。発売日に手に入れた。
「懐かしいな。64bitがどうとか、他のよりすごいハードだ! って騒いでたイメージがあります。新しいことができるってワクワクしますよね」
「ワクワク、か……」
本体にカセットを差して、デモ画面でスタートボタンを押す。ウィンドウが出てキャラクターが何かを喋った後スティックを倒せば、俺の思った通りに動き出す。俺が喜び、感動し、楽しくゲームを遊べばキャラクターもイキイキと動き出す。
別にその興奮はロクヨンに限った話じゃない。初めて歌が流れたときも、平面上でしかなかったゲームが3Dになったときも、俺はどうしようもなくワクワクしていた。
自分の中で世界が広がった気がした。
「そうだな。色んなものが初めて見るものばかりで」
「あの頃楽しかったなぁ……子供だったから?」
「いや、そういうわけじゃないと思う。今でも俺はゲームを楽しいと思える」
俺の中でゲームというものは、今も昔も特別な意味を持つ。熱中できるものであり、暇を潰せるものであり、人と人を繋げるものでもあった。俺と高松が出会ったのもゲームセンターだった。
「それなら目新しさとか? 俺は流行りもの好きだし」
高松はミーハーを自称するくらい流行に敏感だ。世間なんて興味のない俺と完全に真逆。
良いものは良い。好きなものは好き。スコアを競った昔のゲームも、自分の世界を広げる最新のゲームも、俺の中では等しく良いものだ。
「……高松」
「なんですか?」
高松の方をちらりと見た。特に変わりない、いつも通りの彼だった。
「じゃあさ、新しいものを手に入れたら、昔のものは忘れられていくのか」
たまに、俺は逃げているのだろうかと思う時があるのだ。いい歳して仕事をサボって、人付き合いも最小限で、狭い世界に閉じこもって何をしているんだと。ただの趣味だ、自分の居場所はここだと言えばそれまでだけれど、もう、人生の折り返しは過ぎているというのに。
「まぁ、どうしても忘れちゃいますよね」
「じゃあその程度のもの……言うなら、要らないものかな」
「そんなことはないでしょ! 新しいから良いなんてことないですよ。それに、全部持っててもいいじゃないですか」
「でもいっぱいいっぱいになるだろ」
「その時はその時で、要らないものだけ捨てればいいんですよ」
そんな都合のいい話があるかよなんて言いたくなる。昔の嫌なことなんて忘れたいよ。上手く立ち回れるんだったらこんなに苦労していないんだ。
「じゃあ、俺じゃどうしても捨てられなかったら……忘れたくても忘れられなかったらどうするんだ?」
つらい過去、意味のない執着、自分と他人の間にある厚い壁を……俺は捨てたい。
「うーん? 捨てたいんなら、俺が断捨離手伝おうかな。あとは、捨てずに俺の部屋に置くのもアリですし。一緒の持ち物にしちゃうの」
……一緒の持ち物にする?
『捨てる』のではなく『持つ』。高松が俺の荷物を持ってくれるというのなら、少しは気も楽になるのだろうか。俺の情けないところを晒けだせるのか、そこまではまだ分からないけれど。
「まだまだ頼ってくれてもいいのに、尾上さんは一人で完結しようとしちゃうんだから。……もしかして俺じゃ頼りない?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、もっと甘えてね。俺だけじゃなくて、色んな人にも、だよ」
「お前以外にも……?」
高松は静かに頷いた。
「俺は尾上さんと恋人だけど、出会う前の尾上さんは知らないし、親にもなれないから」
──本当は分かっていた。
40年のそれなりに長い人生、俺はいつも独りのような気がしていたけれど、勝手に疎外感を感じていただけだったのだ。いつだって、周りに人はいた。
「尾上さん。……無理だけはしないでね。約束だよ」
握っていた手のひらが開かれる。高松は自身の小指と俺の小指を絡めていた。指切りなんて何十年ぶりだろう。それこそ子供の頃だろうか。
「約束だな」
世界のすみっこでも別に寂しくなかったはずなのに、楽しそうな笑い声に耳をかたむけているだけで良かったはずなのに────馬鹿デカイ声で『俺に』話しかけてくる奴がいたら、俺だってつい返事をしてしまうよ。
「あ、ちょっとだけ夢の内容思い出した。初めは俺と尾上さんが並びでパチンコ打ってたんですけど、気づいたらゲーセンにいて、クレーンゲームでお菓子取ってるんですよ。パチ屋の端玉で貰えるようなお菓子ばっかり取ってて、尾上さんが『そんなもんいるか?』って聞いてくるの」
「なんだそりゃ。そんな夢がいい夢なのか」
コンビニやスーパーではあまり見ない、個包装の小さいお菓子を思い出して苦笑する。
「いい夢ですよ! 尾上さんがいるだけで、俺にとってはいい夢です」
「俺がいるだけでいいのか?」
「はい!」
一寸の迷いもない、元気な返事だった。
こいつは本当にに変な奴だ。俺なんかを好きだって言って一緒にいてくれる。
きっと俺は一人でも生きていけるけれど、二人でいればもっと楽しいのだと高松は教えてくれる。
たとえ違ったとしても、そう思っていたい。
だから、ゆめゆめ止まるな。同じ時を過ごして、同じ未来を見よう。ロクでもない人生だったけれど、きっと変われたと最期にそう思いたいから。
「ココアもう一杯いりますか?」
空になった二つのマグカップを見て高松は言った。
「いや、大丈夫だ。もう寝ようかな」
「分かりました。俺も眠くなってきたし、丁度いいですね。……尾上さんもいい夢見れるといいな」
そうは言うけど、いい夢ならもう見ているんじゃないか。俺は毎日、いや、今だって太陽の隣でぽかぽか暖かくうたた寝しているのだから。
「……俺はお前と一緒にいるのが好きだよ」
「俺も好きですけど、急にどうしたんですか」
「ふふっ……言いたかったんだよ。なぁ、今日は一緒に寝てくれないか。たぶん、いい夢が見られそうなんだ」
春のうららかな日差しも、夜店のりんご飴も、一つ年をとった日のろうそくの光も、雪かきをした朝も、いつも高松がそばにいた。全部が色づいて、温かくて、朝起きると幸せな気持ちになっている──そんな夢を見よう。
高松がマグカップをキッチンに持っていく。その間に俺はゲームをセーブして電源を落とした。冒険の続きはまた明日。
俺はその日、本当にいい夢を見た。
いつものようにデカイ声で笑う高松が隣にいた。おそらく食後のアイスを食べていて、ふとその顔を見ると今より随分と老けている。いつもの茶髪に白髪も増えて、(老眼鏡だろうか)見慣れないメガネをしていた。
高松は目尻に深く刻まれた皺を寄せて、今日も楽しかったですねと笑っていた。そして、明日も楽しいよと高松に笑いかける俺もまた──同じくらい年をとっているのだ。
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