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本日は大安吉日、友人代表の俺はトイレで

 除菌グッズにマウスウォッシュ、汗拭きシートや消臭スプレーも置いてある。その一つ一つにはお手製のラベルが付いていて、それらが入っているカゴの横にはメッセージカードまで添えてあった。小洒落たThank youの文字が、あぁ、本当にお似合いだと思う。ちょっと抜けているけど、人を思いやれる優しい洸希(こうき)と、きっと気配り上手なんだろう、あの人は。  今日は中学生の頃からの親友、洸希の結婚式だ。ガーデン付きの一軒家レストランは、まばゆいほどの笑顔で溢れていた。この場にいる全員が、洸希とその妻となるあの人の門出を祝っている。もちろん、俺だって二人の末永い幸せを……。  何度も口にした言葉なのに、思い浮かべるだけで窒息しそうなほど胸が苦しくなる。罪悪感から、俺は大きく溜息をついた。  洗った後の濡れたままの手を振って、小さな花瓶に水滴を落とす。花嫁のブーケと同じピンク色の花は、洸希の左胸にも飾られていた。この花は二人の幸せの象徴だ。俺の手から落ちた雫を弾いて、花弁は一層輝きを増していく。  鏡を覗けば、この場に全く相応しくない酷い顔が見えた。いい加減、席に戻らないと。あと少しでお色直しを終えた二人が戻ってきてしまう。もう一度、あともう何度、二人が手を取り合う様を見なければいけないんだろう。俺の役目は終わったんだから、いっそこのまま披露宴が終わるまでトイレに籠城してやろうか。  いやいや、何考えてるんだ、俺は。そんな馬鹿げたこと……。  自嘲を浮かべながら振り返ったちょうどその時、目の前のドアが開き、ピカピカに磨かれた黒の革靴が目に入った。避けようと思い体を少し捻るが、その人物はゆっくりと閉まるドアに背を向けたまま、なぜかそこに立ち尽くす。 「あの……」  渋々持ち上げた視線をまるで掬い取るように、目の前の男は俺の顔を覗き込んできた。 「大丈夫? なんか顔色悪いけど」  筋張った手が頬に触れる。驚いて、俺は文字通り飛び上がり半歩退いた。 「だっ、大丈夫です! そこ、どいてください。席戻るんで」 「さっきスピーチしてた人だよね? 新郎の友人代表。いやぁ、あれよかったよ」  咄嗟に自分の顔を覆った俺の腕を掴み、男はぴったりと体を近づけて、耳元で囁く。 「俺、思わず泣きそうになっちゃった。だって、お前……洸希君のこと好きなのバレバレなんだもん」 「なっ……!!」  振り解こうとしてもびくともしない。焦りと恐怖で声を上げそうになる俺を見て、男は人差し指を口元に当てて「しーっ」と微笑んだ。 「騒がないでよ。せっかく今日まで我慢してきたのに、台無しにしたくないでしょ? 洸希君の晴れ舞台」  頭の中が沸騰しているんじゃないかと思うほど、視界がグラグラと揺れる。歯がガチガチと音を立てる。喉がヒュッヒュッと空気を吸い込む。 「俺、あのスピーチですげぇ興奮したんだよね。ほら、ここ」  手の甲に押し付けられた下半身は布越しでも熱い。縒れたスラックスの前立てから触れるファスナーの凹凸が、なぜか堪らなく不快だった。 「お前のせいだよ。お前のせいで、せっかくのおめでたい雰囲気ぶち壊し。……ねぇ、今すぐ何とかしてくれない?」  あともう一秒でも長くこの男と見つめ合っていれば、涙が零れ落ちていたかも知れない。ずっと耐え忍んできた劣情を嗤われ、踏みにじられ、今さら何の矜持が残っているのか。それでも俺は、この男にだけは泣き顔を見られたくなくて、体を引きはがすと自ら進んで一番奥の個室の扉に手を掛けた。 ◇◇◇ 「これ使いなよ」  この男は、どうしてこんなものを持ち歩いているんだろう。 「俺、中じゃないとイケないんだよね」  やや広めの個室の中で扉に背を預け、男ははにかむような笑みを浮かべた。 「だからさ、フェラしながら自分で解しな。ツライの嫌でしょ?」  手渡された個包装のローションを見ながら唇を噛む。だけど、たとえ血が滲むまでそうしていても、結局何も変わらない。諦めという言葉は、何より今日の俺に相応しい。そんな考えが頭に浮かび、震える手は自然と自分のベルトに伸びていた。 「物分かりがよくて助かるよ。……ねぇ。いつから好きだったの、洸希君のこと?」  ウェストのチャックを下ろすと、スラックスは足首まですとんと落ち、ポケットのスマホが鈍い音を立てた。「意外と大胆」とニヤつく男の視線が絡みつくけど、これから床に膝をつくのなら、いっそこの方が汚れなくていい。 「幼馴染だって言ってたよね。てことは、ほら、新婦より先に好きだったんだ? あの二人、会社の同期だから」  何も答えずに下着を後ろ側だけ尻の下までずらして、ローションの封を切る。クリームのように粘度の高いそれは、仄かに甘い匂いがした。右手で掬って、自らの粘膜に触れさせる。自分でも驚くほど従順な体の中で唯一健気に抵抗を示す窄まりも、軽くつつけば呆気なく己の指という異物を受け入れた。 「……黙ってるなら、口はこっちに使いな」  男は扉に凭れたまま、これから排泄をするかのような仕草で股座のものを取り出す。実際、すぐ横に便器があるからなのか、それはとても自然な動作に見えた。ただ、そこがそそり立っているのが不自然なだけ。 「まずは丁寧に舐めてね」  右手は後ろにしたまま、床に跪き、左手を扉について体を支える。躊躇すればするほど、きっと嫌悪感は増していくから、一思いに顔を近づけた。青臭いそれをなるべく嗅がないよう細く息を吐き、唾液で濡らした舌を下から上へと這わせていく。 「ああ、そうそう……。ちゃんと後ろ、指動かしてる?」  ぐっと俺の頭を引き寄せると同時に、男は下の方を覗き込んだ。ワイシャツに隠れて下半身は見えていないかも知れないが、それでも堪らなく惨めだった。 「お前の指細いし、三本くらい入るようにしときなよ。痛そうにされると萎えんだよね」  縦に二本押し込んでいた指を、言われた通りもう一本増やす。俺の体温ですっかり緩んだローションは、内壁に擦り込むたびに滑らかさを増していたが、それでもかなりキツかった。ほとんど動かすことも出来ないほど、皮膚がピンと張り詰めている。  自慰とも自傷ともつかないこの行為に、当然快感なんて伴わない。そのはずなのに、陰毛が鼻先を擽るたびに、体の内と外の境目が水音を立てるたびに、男の手に髪を鷲掴みされるたびに、脳みそがふやかされていく。現実と夢が曖昧になっていく。 「口開けて、咥えなよ。歯なんて立てたら……わかってるよね?」 「んん…………」  先走りで濡れたそれは、するりと滑るように口の中へ入り込んできた。味のない皮膚に包まれた肉の塊。先端が喉を突くと、押し出されるように吐息が鼻を通り抜ける。 「……可愛い顔してるよね。モテるでしょ」  いつの間に汗をかいていたのか、額に張り付いた前髪を男の指が掻き分けた。 「それなのにどうして、ノンケなんか好きになったのかなぁ……。案外、そういう自分に酔ってるだけだったりして」  片方は自分の体の一部だとしても、こうして口と肛門を塞がれてしまうと、まるで生物として生き続ける術を失ったかのような錯覚に陥る。そもそも俺は、何を目指して生きていたんだっけ。 「どの道、叶わない片想いなんて、エゴでしかないよね」  斜め上に視線をやったことで、スマホのカメラを向けられていると気が付いた。すぐに目を伏せたけど、顔は隠さない。このくらい弱みを握られていた方が、なんだか気が楽だから。 「お前みたいな奴見てるとさぁ、ほんと腹立つんだよね。親友のフリして、今日も心にも無い言葉を口にして……」  男は俺の髪を掴んで、口から陰茎を引き抜いた。硬く勃ち上がったそれは跳ねるように動き、俺の頬をべチリと打つ。どちらの体液かわからないものが顔を濡らすが、すでに唾液は顎まで垂れているし、この際気にならなかった。 「早く立ちなよ。壁に手ついて、ケツ向けろ」  言われた通りに動きながら、男がコンドームを嵌めるのをぼんやりと見ていた。あぁ、本当に、今から俺は犯されるんだ。親友の結婚式場の、トイレの片隅で。 「なんて可哀想な洸希君」 「…………っ、んぅ」  初めての人に貫かれる瞬間というのは、どうしてこうも特別なんだろう。 「あー……やっぱり、お前って」  俺の肉襞は食虫植物のように絶え間なく蠢き、ぴったりと隙間なく男の肉棒に吸い付いた。 「相当ヤることヤってんな。純情、健気な顔してるくせに」  自分と他人の境界が曖昧になるこの行為でしか、得られないものがある。 「お前みたいなビッチは、こういう神聖な場に相応しくないんだよ」  本当は、望んでいたんだ。俺の代わりに醜いものを吐き出して、この感情を塗り潰してくれる存在を。 「ぁ、んんっ……」 「すっごい締め付け。図星かよ」  深く深く穿たれるほどに、俺の罪が軽くなるような気がしていた。俺だけが悪いんじゃない。こんなことになってしまったのは、俺が悪いんじゃない。俺はただ純粋に、洸希の幸せを願っている。 「あー……お前ヤバいね。どんだけヤればこんなトロットロになんの?」  荒い息遣いが耳に掛かり、男の腰つきが次第に速くなる。頬を張り付けた木目調の壁紙が、ひんやりと冷たくて心地良い。  腰を抱き込む手が、半勃ちの股間に伸ばされたその時――まさにその時、重なる二人の身体は擦れる金属音でビクリと跳ね上がった。他の誰かがこのトイレに入ってきたようで、楽しそうな話し声も聞こえてくる。 「……浮気じゃねーよ。元カノと会ってただけ」 「それ普通にお前が悪くない?」  扉の向こうの会話に耳をそばだてるようにして、男はぴたりと腰の動きを止めた。しかし、一番深くまで打ち込まれた陰茎だけは、無意識なのかピクピクと小刻みに震えている。 「普通にただ飯食っただけだし」 「てか何でバレたん?」 「風呂入ってる時スマホ見られた。ありえねー」 「マジで? ……あれ? てか、あいつトイレにもいないな」  その瞬間、俺の心臓が一際大きく脈打った。 「そこ一個ドア閉まってるけど。声掛けてみる?」 「あーほんとだ。でも別の人かもだし」  そして、男が耳元で小さく囁く。 「……ね。外の二人、もしかして友達?」 「…………っ」  俺の股間に触れていた指先が、裏筋の敏感な場所をなぞり始めた。さらに、ゆっくりと腰で円を描いて、男は俺の中で異物の存在感を際立たせようとする。ただ欲望の赴くまま動いていた先ほどまでとは違い、俺を一層追い詰めるために。息を止めて身を潜めるべきなのに、腹筋が震えて口から鼻から空気が漏れる。 「ちょっとでも声出したらバレちゃうね」  友達二人はそれぞれ別の個室に入ったようで、会話は止まり用を足す音が聞こえてきた。そのことで逆に調子付いたのか、男は俺のワイシャツのボタンをいくつか外して、アンダーシャツに指を滑らせ突起を探し当てる。 「っ、んん……」 「ここも弱いんだ?」  ほとんど耳を噛むようにして吹き込まれる言葉が俺を煽る。爪で引っ掻かれた乳首はすぐに硬く隆起して、ますます敏感になって我慢できなくなってくる。だけど、少しでも身を捩れば男の陰茎が腸壁に擦れて余計に辛いから、口元を押さえる手に力を込めて歯を食いしばるしかなかった。  それから程なくして、友達たちの会話が再び聞こえ始める。 「やー、てかさ。洸希の嫁、おっぱいマジでデカくね? 一回でいいから揉んでみてぇ」 「手付きやめろ。洸希にバレたら殺されるぞ」 「あいつって昔から巨乳好きだよな。絶対、乳で選んでる。教室で皆でエロ動画見てた時も」 「だからお前、ここではやめろって……」  もう俺を探す素振りは見せないまま、ゲラゲラと笑いながら二人はトイレを出ていったようだった。  安心したのも束の間、内壁を引き攣られる感覚がしたと思えば、ズンと一気に奥まで挿し貫かれた。内蔵を押し上げる強い圧迫感に腰を引いて逃げようとすると、男の腕が俺を抱きかかえるように絡みつき、さらに深く体の中心を抉られる。 「んンッ……ぁあっ……!!」 「お前だってバレてなくても、ヤってんのはバレたかもね。このエロい匂いで」  背後から俺の耳の後ろに顔を埋めるようにして、男はすんすんと鼻を鳴らした。それから、指で輪を作って俺の陰茎を潜らせる。 「下品な会話してたもんねぇ、お前の……や、洸希君の友達」 「ああっ、んっ……」  男の動きに釣られて俺の腰も動いてしまう。中から外から敏感な場所を擦られて、刺激は下半身から全身へと広がっていき、壁に縋り付いて立っているのがやっとだった。 「あいつらに嫁を寝取られて洸希君が傷つくところ、想像してみな。興奮すんじゃない? ほら、チンコがちがちになってきた」 「い、いやっ……あっ……」  強く強く胸を締め付けられるような感覚。激しく脈打つ心臓から送り出された血液は、そのまま全て股間へと流れ込み、あり得ない欲求へと姿を変える。 「そういう妄想で何回抜いた? 洸希君の不幸をいつもオカズにしてんだよね? お前ほんとに最低だよ」 「あ、う、ああぁっ……」  気付けば俺は自分の意志で腰を振り、獣のように呻きながら、必死に快楽の糸を手繰り寄せようとしていた。イキたくて堪らない。洸希の幸せを、汚したくて堪らない。  あいつらだってそうじゃないか。この男だって。俺だけじゃない。下劣な欲望を抱くのは俺だけじゃないんだ。  本当はずっと、二人が早く別れればいいと思っていたこと。喧嘩をしたと聞けばほくそ笑んでいたこと。プロポーズの日に断られるようにと願ったこと。洸希を傷つけるためだけに気持ちを打ち明けてしまおうかと考えたこと。今日だって、何もかも目茶苦茶にしてしまいたい衝動に駆られていたこと。  蟠っていた醜い感情が一遍に溢れ出したかと思えば、それはゾクゾクとした快感へとすり替わり、熱くなった下半身を駆け抜ける。 「ん、や、……あ、あああぁっ……!!」  その瞬間、俺は首を仰け反らせて絶頂に喘いでいた。吊り下げ型の照明が作る優しい色の光が降り注ぎ、まるで洸希に痴態を見られているような錯覚に陥る。嫌悪と軽蔑に塗れた視線。俺が汚した、洸希の幸せ。  いい気味だった。 「あーあ、こんなにしちゃって。ちゃんと掃除しなよ」  やや萎んだ男の陰茎がずるりと肛門から抜け落ちる感覚がして、支えを失った俺はその場に膝から崩れ落ちた。木目調の壁紙には、迸った白濁液がべったりと付いている。 「俺は先に戻るけど、お前もあんまりトイレ占領すんなよ。……それじゃ、これからも義弟(おとうと)と仲良くしてあげてね。お前の連絡先、後で聞いとくよ」  ハッとして顔を上げ、扉に手を掛ける男の姿を目で追った。そう言えば、見覚えがある。黒のスーツにシルバーのネクタイとポケットチーフ、照れ臭そうに、でも安心し切った表情で笑う……脳裏に浮かんだのは、お色直しの退場の時に新婦と手を繋いでいた男の姿。  脚を引きずるようにして個室を出ると、マウスウォッシュでうがいをして、汗ふきシートで首筋を拭い、ジャケットに消臭スプレーを吹きかけた。お似合いの二人が、仲睦まじく相談して、俺たちのためを思って用意したそれらを見ていると、洸希の声が頭の中を木霊する。「私達にとって何よりも大切で、かけがえのない皆様にお集まりいただけたことを……」  鏡を覗けば、この場に相応しい微笑みを浮かべる顔が見えた。そうだ、早く席に戻らないと。手を取り合い、皆に祝福される二人をこの目に焼き付けなきゃいけない。 「おめでとう、洸希。幸せになれよ」  口にした言葉に嘘はない。この会場にいる他の全ての出席者と同じように。  ……あぁ、本当に、いい気味だ。  頬を伝った一雫は、花弁を濡らすこともなく、いつまでもその場に留まり続けている。 (終)

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