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第6話 閨での語り

 寝台は、広々としていた。 (これは俺が横向きになっても寝ることが出来るほど広いな……)  特別に誂《あつら》えたのか、こういう寝台があるのか良くわからなかったが、とりあえず、その広々とした寝台の端と端に縮こまって、アーセールと第八王子はいた。互いに、背を向けて、寝台の端と端にいるわけだから、初夜の伴侶同士の行動としては、笑ってしまうような状況だ。 (しかし、苛立ちが酷すぎて眠れない……)  今し方第八王子から聞いた話は、胸が悪くなるようなことばかりだった。  第八王子。  美しい方だが、後ろ盾は居ない。身の回りの品も不自由している有様だった。それを、放置していた皇帝陛下にも、苛立たしい気持ちが募る。 「あの」  小さな声が、聞こえてきた。 「はい?」 「……薔薇園でのこと、覚えていなくて、済みません。私は、あなたに、何を申し上げたのですか?」  第八王子が、おずおずと聞く。アーセールは、少しためらったが、素直に言うことにした。少なくとも、ここで生活をしていくのならば、彼に心を開いて貰う必要はある。その為に、誠意を見せる必要はあった。 「大昔ですよ」 「はい。でも、それならば、私は、まだ、かなり幼かったのでは?」 「そうですね。でも、俺より、あなたの方が大人だった。……俺は、母親を亡くして、一人で、薔薇園の隅っこで泣いてたんです。皇宮に、父のお供で連れられて。母親を亡くした、朝のことでした」 「ご葬儀よりも、公務を優先させた……?」  第八王子の声は驚いていた。 「お召しとあらば、何を差し置いても馳せ参じるのが臣下の勤めですから。けれど、その日の俺は、まだ子供で、なにも受け止め切れていませんでした。そんなときに、あなたが……どういういきさつだったか忘れましたけど、俺に、きっと強くてカッコイイ騎士に成ると、そう告げてくれたんです。俺には、それが護符か予言に思えた」 「そんな、簡単なことで?」 「あなたも、ご母堂を亡くされたと仰いました。あなたは、十日も泣いて周りに迷惑を掛けたのに、俺は誰にも迷惑を掛けないでいるから、とても強いと……誉めて下さって。その言葉が、私には、とても、甘く感じた」  幼いラベンダー色の瞳が、柔らかく笑むのを今でも想い出すことが出来る。それで、第八王子の名前から、『砂獅』を自分の紋章にして、いつも身につけていた。 「私の名前が由来で『常勝将軍』が、『砂獅』を身につけていて下さったと……知っていたら、きっと、私も、日々が辛くなかったし、自らに誇りを持つことが出来たでしょう」  小さく第八王子が笑う。そのかすかな声を聞いて、アーセールは、少し、嬉しくなった。先ほどまでの思い詰めた表情を思えば、少しは、気持ちが落ち着いたのだろう。 「……私に関する悪い噂の殆どは、真実ですよ」  第八王子が、近付いてくる気配がわかった。純白の練絹《ねりぎぬ》で作られた夜具が、それを伝えてくる。 「残念ながら、俺は、殿下の噂を殆ど知らないのです。知っていることと言ったら、たぐいまれなる美貌をお持ちであるということくらいで」  第八王子が、アーセールの背中に抱きついてくる。その手が、小さく震えていた。折れそうなほどに、細くて頼りない手をしている。 「殿下」 「……何でもしますから、お側に置いて下さい」  涙声で、第八王子が訴えているのを聞いて、アーセールは「えーと、殿下、後ろを向きますよ」と断ってから後ろを向いた。そのまま、第八王子に向き合う。ラベンダー色の瞳が、不安げに揺れているのが解る。 「本当は、……その、抱きしめたり、共寝をしたりするつもりもなかったのですが……」 「私が、きたならしいものだから、ですよね……済みません」 「いえ、本当に、そのようなことを思ったことは一度もなくて……かえって、俺の方こそ、血まみれなんですよ。だから、あなたが、怖がると……」  常勝将軍、というあだ名の裏に、人々の侮蔑が透けて見えていることも、アーセールは知っている。 「あなたは、国のために働いたのでしょう? 私とは、違います」 「いや……どうも、俺は、趣味であちこちをなぶり殺しにしたという、悪評もありますよ。勿論、事実ではありません。それに、常勝将軍などと言われていますが、部下を何人も亡くしました。その者たちに対する補償は十分であったのか、家族はどうしているのか、俺には、それを知ることも出来ません」 「そう、ですか……」 「ですから、あなたの方が、俺を怖がっているのではないかと思いました。それで、口を開いて頂けないのかと」 「そんなことは……っ」 「なら、お互い、怖がることはないと言うことで安心しました。それと」とアーセールは、言うべきか迷いつつ、言葉を続けた。「……俺の傷が、国のために尽くした傷で、それを名誉と仰るのならば、あなたの身体に付いた傷は、あなたが生き延びるために負った傷です」 「えっ?」 「……何のご事情も知らぬ身で、過ぎたことを申し上げます。あなたが、どなたも傷つけることなく、あなた自身の死を望むわけでもなく、ここまで生き延びていらっしゃった名誉の負傷です。あなたの身体と心に傷を負わせた者を、俺は許しがたく思いますが、それを、あなたが、羞じたり、まして、汚いなどと卑下されることはありません」  ラベンダー色の瞳が、大きく見開かれ、そこから、止めどなく、大粒の涙が溢れた。 「あ、す、すみません……その……いままで、そんなこを、考えたことは一度もなくて……」 「俺の傷は人の命を奪った証。あなたの傷は、あなたの命を守った証です。尊さが異なります。あなたのそれは尊いのです。人の命を奪うより、守る方が幾倍も」  耐えきれなくなったのか、第八王子が、アーセールの胸に飛び込んできた。ためらいながら、アーセールはその華奢な背を撫でてやる。その、優しいぬくもりに、胸が、じんわりと温かくなるのを感じていた。

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