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第36話 再会

 馬を走らせながら、アーセールはルーウェのことを考える。無事に、西の領地へたどり着いただろうか。道は、サティスがついているから大丈夫だろう。うまく、レルクトへ敵軍が移動してくれれば良いが、もし、西の方へ向かったとしたら……それが一番怖い。  不安を払拭させるために、走る。 (夜明けまでが、まずは勝負……)  北の国境まで、急いでも一日半。その距離を、アーセールはかけ続けることが出来るが、馬は乗り継がなければ駄目だ。だが、休みなく移動して、いざ、皇太子を助けるとなったときに、体力が減っていたのでは、これも話にならない。  そして、そこまで行くには、情報も必要だ。  情報収集、移動、救出作戦。  失敗だけが怖い。  協力者もなく、たった一人で、皇太子を助け出す。うまく行かなければ、第二王子が皇帝になるだろう。  そうなったとき、ルーウェの身柄はどうなるだろう。皇太子派の王子ということで、処刑されればまだいいが、あの第二王子は、アーセールの件もあるから、ルーウェに対して、酷いことをするだろう。 (絶対に、それは駄目だ)  失敗は出来ない。だが、慎重になりすぎても駄目だ。早さが勝負、ということもある。北の国境には、町がある。要塞都市になっているはずだった。ここへ入る方法は、ある。商人と偽って入れば問題ない。そして、その支度は調っていた。この国は物騒になったから、北の国で商売をするつもりだと言えばいい。門番に渡す、多少の金目のものを持っていたし、商品として持っているのは、沢山の香油だ。花の香りを移した香りの良い香油。だが、火を付ければ、普通に燃える。いざとなれば、火炎瓶のように使うことも出来る。  北の国境には何度か行ったことがある。  中に入ってしまえば、中々攻め落とされる心配は少ない場所だ。第二王子も、要塞都市の外壁を壊してしまえとは言わないはずだった。ここは、北の国への備えの拠点でもある。つまり、この町の外壁が崩れた時には、北の国に国境を脅かされる心配が出てくる。  中々、攻めづらい場所に逃げ込んだものだと、アーセールは関心してしまう。  ともあれ、まずは北へ向かわなければならない。馬を走らせつつ、すこし、後ろ髪を引かれるような気持ちがないわけでもなかった。  途中の町で腹ごしらえをしていると、「もしや、アーセール将軍では?」と声を掛けられた。声を掛けてきたのは、年若い男だった。アーセールは見覚えがある。 「お前は……イネスか?」  昨年までアーセールの軍にいた青年で、母親が病気になったというので実家に戻ったはずだった。 「母上のご様子は?」 「えっ、そんなことも覚えていてくださったんですか?」 「当たり前だろう。……ここが故郷だったのか?」 「ええ。おかげさまで、母はだいぶ回復しました。このあたりは、ご覧の通り何にもないんですけどね、うちは、畑をやっているんですよ、しがない農夫で。第八王子殿下を伴侶にお迎えした貴族の方に、馴れ馴れしく済みません」  はは、とイネスが笑う。 「ああ、それは……まあ……」  離婚間近だとは、言いづらい。しかし、元部下は、その表情をしっかりと読み取ったようだった。 「……もしかして、第八王子殿下と、喧嘩でもなさったんですか?」 「なんで解るんだ」  思わず答えてしまった、口を手で押さえた。 「まあ、大抵、将軍がうっかり、いらないことを言ったんだと思うんですけど……訳もわからないままに謝ったりするのは、本当に止めてくださいね」 「えっ?」 「なぜ、相手が怒っているのか、ちゃんと、理解してからお話しして下さい。まあ、喧嘩が過ぎて、こんな所までおいでになったのでしたら……ちょっと、酷い夫婦げんかだとは思いますけど」  明るく笑うイネスが憎い。 「まあな……、それは……まあ、さすがに離婚かも知れないな……」 「何やったんですか。……あー、まあ、もし、離婚ってことになったら、またこの村に遊びに来て下さいよ。このあたりには、将軍の部下だった奴らが結構いるんです。たまに、みんなで呑むんです。一年に一回だけですけどね。あの頃は楽しかったなーって」  どこか遠いところを見るような目をして、イネスは言う。イネスや、その他の青年たち―――農家の、次男、三男……などは、みな、一生、土を耕して、腹一杯になるまで食うこともなく、毎日働き通しで、死んでいく。自分の子供を持つことも、妻を持つことも、稀だ。ただ単なる労働力。それしか価値がないと言っていた青年たちにとって、軍で、きらびやかな制服に身を包み、王都に住んで自分の稼ぎで楽しく食事をした暮らしは、憧れに満ちた遠い眼差しをするほど、きらきらしい思い出だったのだろう。 「……俺の部下で、このあたりにいる奴らがいるのか?」 「えっ? ええ、結構いますよ。あっ、覚えてますか? 将軍が伝令に使ってた『早足のニコ』。あのすばしっこいヤツ。あいつなんか、俺の隣なんですよ」 「え? 同じ町の出身だったのか?」 「いや、違うんですけど、あいつが嫁さんのところに婿養子に入ったんですよ。女ばかりの三姉妹で、働き手が欲しいってさ。そこのパン屋のオヤジですよ」  早足のニコといえば、どんな乱戦の戦場でも、即座に伝言を届ける、優秀な伝令だった。 「また、懐かしいな……」 「でしょう? 他にも沢山居ますよ。あいつらも、将軍が来てくれたら喜ぶと思います」  ははは、と笑うイネスの手を引いて、アーセールはイネスの耳元に囁く。 「……力を借りたい」 「えっ?」 「……今から、北の国境へ行く。任務は、北の国境にいる、とある方のお身柄を救い出すことだ」 「それって……大任務じゃないですか!」  配慮して小声で叫ぶイネスに対して、アーセールは、平然としたものだった。

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