子育て生活三百六十三日目！ 　凄い。あと二日でルナトゥスが来てから一年だ。つまり俺がルナトゥスの親代わりになって一年。 ルナトゥスは重度の甘えん坊だが、すくすく育って、今では友達も多くいて毎日楽しそうにしている。元が魔王だけあってというのか、俺とは出来が違って成績もいいし、器用だ。 　ルナトゥスのお父上、お母上、ご安心ください。ルナは「人間」としての情もしっかりと身に着けていますよ。 　ページ数残り二枚となった日記帳を閉じる。ジェイミーが使っているのは鍵付きタイプで、鍵はいつもジェイミーの腰に下げる巾着袋の中に入れている。初めの頃は鍵はしていなかったが、万が一ルナトゥスが興味を示して読んだりしたら大変だ、と考え、鍵をして管理するようになった。 （いつかは本当のことを話した方がいいのかな？　でも、それを聞いたからってどうなるのか……ルナにはもう魔力もないんだし……いや、もしある日魔力が戻ったら？　強大な魔力を手にしたら、元魔王のルナはどうなるんだろう。赤ちゃんの時でも前魔王を絞め殺したくらいなのに） 　そこまで考えて、ジェイミーはぶるぶると頭を振る。 （そうならないように愛情をかけて育てているんじゃないか。大丈夫。ルナはもう愛を知っているはずだ。俺や姉さんがそばにいれば大丈夫） 　うんと頷いて日記帳にしっかり鍵を閉め、巾着袋に鍵を入れた。 「じゃあ姉さん。出かけてきます。今夜はルナをお願いします。ルナが眠る時間には戻れると思うんだけど」 「ええ。大丈夫よ。気をつけて行ってらっしゃいね」 　今日は新しく交配する新種野菜についての講習会がピッカラ地区であって、ジェイミーも村の男達数人と参加することになっている。 　昼過ぎから始まり、夕食はピッカラ地区のサリバ村でご馳走になり、それからの帰宅だ。 　ジェイミーの家に来てから夕食も湯浴みも別にしたことがないルナトゥスは、眉をハの字にして寂しがっていた。 　夕食が終わったらすぐに帰ってやらなきゃ。ジェイミーはそう思いながら家を出た。 　しかし。 　夕食会は飲めや騒げやの大騒ぎ。特にサリバ村は、過去に魔王(ルナトゥス)の襲撃により壊滅寸前にまで追われた村だけあって、魔王を倒した「勇者ジェイミー」の参加に湧いていた。 「勇者様、さあ、お酒をどうぞ」 「勇者様、お料理をお入れしますわ」 　サリバ村のオリエンタルな精鋭美女に囲まれ、饗応を受ける。 　サリバ村の男達もまた、酒樽を片手に代わる代わるジェイミーの元に来て、感謝を伝えた。 「勇者様のお陰で魔王に怯えなくてすみます。魔王は本当に恐ろしいやつで。村の富を奪い、村人を傷つけ……確かゾーイ爺さんは魔王に殺されたんだよな？」 　村人の一人が酒で赤くなった顔で別の村人の肩を揺する。 「いや、爺さんは慢性の心臓病だったんじゃないか」 「でも、魔王の恐怖で体を悪くしたに違いない。魔王に殺されたも同然だよ」 「そうだ、そうだ。他にもアメリアおばさんや……ほら、ジェイコブのところの赤ン坊も生まれてすぐに死んだだろう。あれもきっと魔王の仕業だ」 「ああ、間違いないね。魔王は本当に残虐非道だった。忌み色も気味が悪かったが、あの黒い瞳が赤く光る様(さま)には身の毛がよだったよ。死んでくれて万々歳……」 　ガンッ！！ 　突如グラスを卓に叩きつける音がして、夕食会の参加者達が驚いて音の方向を見ると、ジェイミーのグラスが割れていた。 「ジェイミー？」 「勇者様？」 　ジェイミーはグラスを持つ手から肩にかけてをぶるぶると震わせ、うつむいていたが、皆の視線が自分に向いていることを悟ると、なんとか言葉を出した。 「あ……、あの、酔ってしまったみたいで……すみません」 「おや、それはいけない。もしや我々の話が魔王との決戦の日を思い出させてしまいましたか。壮絶な闘いだったことでしょう。本当にお疲れ様でした。ささ、勇者様、奥で少しお休みください」 　村人の一人が采配し、ジェイミーの隣にいた美女がジェイミーを支えて部屋に案内する。 「酔を覚ますお香も炊きますから、どうぞゆるりとお休みくださいませ」 　 　女に言われ、長椅子に横になって瞼を閉じる。重石が乗っているかのように胸が重苦しい。 （ルナは人を殺してなんかいない。なにも知らないのにあんな……確かに、ルナがやったことは許されることじゃない。でも、悲しい理由があるんだ。ルナを責めないでくれ……！） 　けれど声を大にして訴えることはできない。サリバの村は、ルナトゥスにより確かに大きな傷を受けた。憎みこそすれ、誰がルナトゥスに同情を寄せるだろうか。なにより今も姿を変えて魔王が生きていることを知ったら、小さなルナトゥスを討伐せんと村総出で向かって来るだろう。 （表面上の世話はできていても、俺は本当の意味でルナを守れていないんじゃないのか……？） 　ジェイミーは自分の不甲斐なさを情けなく思いながら、お香に誘われ眠りの縁に入っていた。