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第39話 立ち込める暗雲②

「魔王を出せ!」 「出さぬならこの家ごと焼き尽くすぞ!」  家が揺れそうなほど強く扉が叩かれ、他所の村の男達の怒号が響いた。  ジェイミーとハンナは咄嗟にルナトゥスを抱きしめる。  二人の温かさに包まれ、緊迫している状況なのに、ルナトゥスの気持ちはとても落ち着いている。 「ありがとう。ジェイミー、姉さん。僕はもう、大丈夫だから」 「ルナ?」  ルナトゥスが二人の手をほどき、椅子から立ってドアの方へと向かって行く。 「ルナ、待て、どこへ行く気だ……!」  今外に出たら捕らえられ、拷問を受け、そして待っているのは死だ。 「大丈夫。僕は大丈夫だから」  ルナトゥスが微笑む。幸せを感じているとしか思えないような、柔らかな笑顔で。   「駄目だ、ルナ……!」    ジェイミーが制するより早く、ルナトゥスの手がドアノブに伸びて扉が開いた。  ジェイミーの目に最初に映ったのは人の山ではなく、良く晴れた青い空と眩しい太陽。  室内に光が差し込んで、ジェイミーとハンナは生理反射で目を閉じる。  次の瞬間「わあっ」と、声とも人々の体動ともわからない音がした。  再び瞼を開く。 「ルナ……!」   ルナトゥスの体が多数の手により隠されていく。  光に包まれていたルナトゥスに伸びる、いくつもの怨情がこもった手達。いったいどちらが禍々しいか。  ジェイミーは必死に駆け寄ろうとする。なのに、体が上手く進まない。術でもかけられたかのように、足が地面から離れない。ハンナも同じ様子だ。  代わりに、二人は必死に玄関先に手を伸ばした。    ルナトゥスの姿がもう、他所の村の男達に取り囲まれて見えない……が、不意にルナトゥスの頭の天辺が見えた。次いで、男達の砦が柔く崩れる。 「……っ……!」  ジェイミーの口から声にならない声が漏れた時、ルナトゥスの体が宙に浮かんだ。木々より高く上昇していく。 「ルナ……!」  絞り出した声がルナトゥスに届いたのか、届かなかったのかはジェイミーにはわからない。けれど、空に体をたゆたわせたルナトゥスと確かに目が合った。  ルナトゥスは泣きながら微笑み、赤い唇を開いた。 「さ、よ、な、ら」  とてもとても遠いのに、不思議に唇の形がわかった。 (さよなら? さよならって、ルナ……!!)  刹那。  太陽の光を覆う暗雲が立ち込め、ココット村に影を落とした。  暗雲はさらに広がり、村が闇に包まれる。  皆、周りの様子がわからなくなり、ざわつき始めた。 「どうなってるんだ」 「魔王の術か」 「なにも見えない。誰か、明かりを……!」  事を見守るしかできなかったココット村の住人たちが家からランプを持ち出し、天を照らす。  互いの顔が見え始め、次第に、太陽を覆っていた雲も風に流れ始めた。  再び太陽が顔を出し、晴れ間とまではいかなくても、曇りの日の夕方のような明るさまで戻ってくる。 「────魔王はどこだ……」  だが、ルナトゥスの姿はもう、どこにもなかった。 ***    暗く荒れた森。聞こえるのはカラスの鳴き声だけ。もう、狼の遠吠えは聞こえない。 (皆、いなくなってしまったのか)  ルナトゥスは魔の森に降り立っていた。村へと続く通路には結界を施し、かつて自身が寝床の代わりにしていた木の股へ腰を下ろす。 (ここで身を隠していれば、何人(なんぴと)たりと割れ()近づくことはできない。ジェイミーと姉さんも……我がいなければ迫害を受けることもないはず)  ルナトゥスにはもう、全ての記憶が戻っていた。厳密に言えば、ルナトゥスの潜在意識の中に魔王としての記憶は常に存在していた。  だがジェイミーの家に来たばかりの頃、農園で子供二人に揶揄われてココット村を飛び出した日だ。  あの日を境に過去の記憶に白いシーツがかぶされたかのように、自分が魔王であることが意識から外れていた。  「成長」の前後や怒りの気持ちをコントロールできず魔力を発した日などは魔王の記憶が一時的に戻ったが、それも翌朝には、夜中に見た夢の記憶のように感じていた。    体の幼さに引っ張られていたこともある。だがルナトゥスは、自分は幼い頃にジェイミーに助けられて慈しみを受け、血縁はないけれどジェイミーとハンナの家族なのだと、心から信じていた。   (ジェイミー……)  ジェイミーは最初、ルナトゥスにとっては「情けない人間」だった。顔は美しいが、一人ではなにひとつ満足にできず臆病者でもある。  でも、彼は心底優しかった。  見返りを求めない無償の優しさでルナトゥスに接し、ルナトゥスのために努力してくれた。  そして、ルナトゥスの成長と共にジェイミーも成長して、今では立派な親代わりだ。  ……ルナトゥスは「息子」で終わりたくはなかったけれど。    いつからだろう。ジェイミーがくれる優しさを独り占めしたいと思うようになったのは。  なにがきっかけだったのだろう。自分だけがジェイミーのそばにいたいと願うようになったのは。 (ジェイミー、愛してる。大好きだ)  不器用でも、懸命に愛情を注いでくれた人。いつか自分が、与えてくれた愛情を倍以上にして返したかった。  でもルナトゥスができるのはもう、ジェイミーやハンナに被害が及ぶのを阻むことだけ。   「ジェイミー、寒いよ……」  魔の森はココット村よりずっと北にある。乱立する木々に覆われているために、日が当たらずいつも夜中のように暗くて気温が低い。けれどジェイミーやハンナに出会うまでは、ルナトゥスにとってここが一番の安息の場だった。  それなのに、今はこの場が寒くて寂しい。 (いつの間にか温もりに慣れて、すっかり人間くさくなった。我も……人間になりたかった)  まだ魔王だった頃の体格には戻っていない、薄い体躯を抱きしめる。服からはジェイミーの家で使う洗剤の香りがして、ルナトゥスの胸を酷く締めつけていた。

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