5 / 6

バースデイ

 やや古ぼけたオートロックもないマンションのエントランス。 おれは大きな手提げの紙袋を一旦床に置き、到着したことを知らせるために電話を掛けた。電話の向こうではいつにない楽しそうな声が聞こえる。そして、その背後から複数の人の気配がしている。  「あ、ハルくん?上がっておいでよ〜」  「言われなくても上がるよ、荷物があるから玄関開けて待ってて」  間延びした「はーい」という返事のあとサイズの合ってないスリッパをパタパタ鳴らしながら移動して、「開けたよ」と告げて通話は切れた。  エレベーターで最上階まで上がり、扉が開くとその直ぐ目の前で玄関を開け放って声の主は待っていた。・・・なんか変な、上にろうそくが立ったおめでたさ全開なサングラスを掛けて。  「何、その頓痴気なメガネ・・・」  「うん、まあ誕生日だからね。てか何その大荷物、おれの?おれの?」  それは勿論だけど、それだけではない。  「いろいろだよ」  背後に回り込んで手提げの中を覗こうとするのを手で制して三和土に靴を脱ぐ。靴の数が多い。普段なら絶対にない、婦人ものの靴がある。  用意されていたスリッパに履き替えて通路の先のリビングに行くと、ソファが端の方に寄せられて、真ん中にちょうど赤ちゃんがすっぽり入った大きな籠が置かれていた。よく寝ている。  「よかった、インターホン鳴らさなくて。優明ちゃんは?」  優明ちゃんとは、この赤ちゃんの保護者だ。この部屋の主である藤川玲の実の娘である。  玲・・・アキくんはソファの奥、裏がコーティングされた遮音性の高いカーテンに仕切られた別室を指差した。  「随分と寝不足してたみたいだから昼寝させたよ」  「流石、気が利くねえ」  当初、自分らはこの子が生まれる前に優明ちゃんに、幼いうちは大変だろうから節目の行事とか応援が必要なときに呼んでくれと言っていた。が、思いの外大変すぎて部屋が荒れているのでうちには呼びたくないと正直に申告があった。  そこでアキくんは「出かけられる日があればタクシー代は出すから、うちに息抜きに来たら?」と提案した。  優明ちゃんは大喜びして「じゃあお父さんの誕生日に行く」となり、それが今日である。  誕生日祝がてら、生まれて半年経った孫の顔を見せに来たのだ。  アキくんにとっては最高の誕生日プレゼントなのではないだろうか。なんて孝行娘なんだ。  その話を聞きつけて、おれはアキくんへの誕生日祝と、優明ちゃんへの出産祝いを持って仕事を一旦周りに投げて飛んできた。  おれは未婚だし、前記研修のローテでちょっと接した事があるくらいで、あまり赤ちゃんと触れ合ったことがない。だから実はずっとアキくんに孫が生まれると知ってからずっと楽しみだった。  「赤ちゃんいつ寝たの?」  「寝かしつけてから優明が寝たから・・・まあ1時間位前かなあ。手のひらに指やったら握ってくれるとは思うけど」  籠の中で眠っている赤ちゃんの顔を覗き込む。なんとなく優明ちゃんに似てる気がする。 優明ちゃんに似てるってことは多分アキくんにも似るしアキくんの実のママさんにも似ているはずだ。遺伝ってすごい。  「まあ、起こしちゃうと悪いから今はいいよ。じゃあ、アキくんには先にこれね」 手提げから更に小さな手提げを出して手渡す。  「開けていい?」  「そりゃいいよ」 手提げの中から小さな包みを出し、包装を剥がしていく。箱の中にはメガネケース。  「まさか、これを入れる為に?」  アキくんが自分のかけている変なメガネを指差してこちらを向いて言う。  「んなわけないでしょ、入らないよ。・・・てか、その変なメガネいつまで着けてんの。てか、いつから着けてたの」  「優明が寝てから…」  もしかして、この変なメガネをかけた姿は娘には見せていないのだろうか、この人。娘の前では若くてかっこいいお父さんって顔してるんだろうか。おれにはこんなふざけたメガネで対応するくせに…。  「はいはい」  …優明ちゃん、この人、ちょっと、いや、だいぶ変な人ですよ…。  心のなかで、カーテンの向こうにいるであろう娘さんの脳内に直接語りかける。  「いいから、そのケース開けてみなよ」  かば、と音を立てて蓋が開く。中身は青く着色されているチタンフレームの軽量の眼鏡だ。勿論レンズも非球面を選んでおいた。  「ん?老眼鏡?もう持ってるよ?」  「いや、これは拡大鏡。ルーペだよ。中途半端な距離でピント合わせて見るより、顔近づけてしっかり大きくして見れるのがあったほうがいいと思って」  早速目の高さに眼鏡を持って、眼鏡を前後させて目を拡大して見せてくる。絶対やると思ってた。寝ている母子を起こすまいと笑うのを堪えるが、無理。  笑っていると、他人の気配に気がついたのか、赤ちゃんがちょっと不機嫌そうにウニャウニャ言い始めた。  泣き始めるのではないかと慄いているおれを尻目に「あ、起きる」と言って、アキくんは眼鏡を外してケースに戻してダイニングテーブルに置くと赤ちゃんの傍に駆け寄って膝をついた。  意外にも目を覚ました赤ちゃんは泣き出さず、じっとアキくんを見ている。  やがてアキくんに向かって手を伸ばし、アキくんはその瞬間を見逃さずそっと抱き上げた。そしてそのまま担いでおれの方に向かってくる。  「ほい、抱っこしてやって。手はこうして、こう」  勝手のわからないおれの腕の形を整えて指導してから、赤ちゃんを載せた。  赤ちゃんはおれの顔にかかっている髪の毛に興味を示して腕の中で身を捩って掴もうとしている。  「髪まとめたほうがいいよ、涎でベチャベチャにされちゃうよ」  アキくんが正面から手を伸ばして、赤ちゃんを抱き上げて引き離しくれた。一旦赤ちゃんをラグの上に座らせる。生まれて半年ってもう座れるんだ、と感心した。  「助かった…ねえ、そういえばこの子にもお祝い持ってきたんだよ。開けてちょっと出して。着せたとこ見たい」  「え、服買ってきたの?」  手首にかけていたヘアゴムで伸びっぱなしになっているサイドからトップを束ねる。  包装を剥がして中身を取り出すと、小動物のような丸耳がついたやや黄色みの入った青緑っぽい紺色のポンチョが出てきた。  着せてみせたところ、予想はしていたけど、どうしようもなくかわいらしい。  アキくんは「待って!写真撮る!スマホ!」と騒ぎ、スマホがベッドにあることを思い出したのか娘が寝ているカーテン向こうの寝室に乱入した。当然だがそのせいで優明ちゃんは起きてしまった。  そして、寝ぼけ眼のまま出てきた優明ちゃんも小動物と化した我が子を見るなり目を丸くして「す、すまほ…」とフラフラと寝室に取りに行った。  その後は、オッサンふたりと新米ママでのかわいい小動物ちゃんの大撮影会だった。おれも呆れるほど撮った。動画も撮った。この動画があれば今後暫く仕事でどんなナーバスになっても秒で回復できそうだ。  自分の子でもないのに完全に浮かれてしまった。  「そういやこの子、なんて名前つけたんだっけ」  生まれて届け出た後すぐに一旦教えてもらったはずだけど、すっかり忘れてしまっていたので優明ちゃんに尋ねる。  「理子。理科の理に、子供の子。筋を通す子であってほしい、一から了まで、だって。いい名前だよね」  「だろぉ?当然だよ、おれがつけたんだもん」  アキくんが腕組みをして得意気にふんぞり返って言う。  「あーあ、おれも子供とか孫とかほしいな…来月のおれの誕生日、何くれるか楽しみにしてるからよろしく」  そう言うと、一休みしてお茶を啜っていた優明ちゃんが盛大に吹き出して噎せた。 初出:文学フリマ東京39 – 2024/12/1(日)

ともだちにシェアしよう!