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嬉しい思い出

お腹いっぱいおいしいものを食べさせてもらって、ベッドに横になる前にトイレにも連れて行ってもらった。 流石に用を足している時は個室から出て行ってもらったけれど、すぐ外にいると思うとなんとなく恥ずかしい。 いや、それ以上に恥ずかしいところを思いっきり見られてるんだけど、それとこれとはまた違うというかなんというか……。 トイレの水を流し終わるとすぐに直己さんが入ってきて嬉しそうに僕を抱きかかえて寝室へと連れて行く。 僕の世話の何がそんなに嬉しいのかはわからないけれど、すごく幸せそうだ。 「佳都、少し休むか?」 「うーん、さっきまで寝てたからまだ眠くないです」 「そうか、なら少し話でもしようか」 「はい。何を話しますか?」 「そうだな、佳都はどんな話がいい?」 そう聞かれて一瞬答えに詰まったけれど、聞きたいことはある。 でも、教えてくれるのかなぁ? 「んっ? どうした?」 「なんの話でもいいですか?」 「ああ、もちろん」 「じゃあ……お父さんの話が聞きたいです。直己さんはお父さんの教え子だったんですよね? お父さんは家では寡黙なタイプで特に仕事の話は全然してくれなくて……だから、僕はお父さんがどんな仕事をしているのかも知らなかったんですよ。お父さんはあまり感情豊かな方ではなかったけれど、時々経営学の話を尋ねてみた時だけすごく嬉しそうに話をしてくれたんです。それで、僕……お父さんといっぱい話がしたくて経営学部に入ることにしたんですよ。でも、僕の大学合格が決まる前に亡くなっちゃって……結局話をすることはできなかったんですけど、お父さんが好きだった経営学を好きになれたから良かったのかなって。お父さんの本も理解できるようになりましたし……。でも、お父さんがどんな人でどんなふうに生徒たちに慕われていたのかを聞いてみたくて……」 直己さんは僕が話しているのをじっと聞いてくれて、そして、いつの間にか涙を流していた僕をぎゅっと抱きしめてくれた。 「佳都、よくわかったよ。私が知っている佐倉教授の話をしよう。ほら、涙を拭いて」 「あ、ありがとう、ございます……」 優しく指で涙を拭ってくれる直己さんの優しさにホッとしながら、僕はそのまま抱きしめてもらった。   ✳︎ ✳︎ ✳︎ 医師免許を取るために桜城大学医学部へと入学した私は、元々医者の道に進む気などなかった。 父親がMRIやCTといった医療機器会社を経営していることもあって、もし後を継ぐとしたら医師としての経験が役に立つと思ったからだ。 だから正直医学部の授業を受けるよりも経営学や経済学を学んだ方が将来の役に立つと思っていた。 医学部で必要な単位を取りつつ、他の学部の授業も受けまくった。 その中で一番興味を惹かれた授業が佐倉教授の経営学の授業だった。 自分の必修と被っていない時は必ず受講しに行き、最前列で話を聞いた。 「君、いつも真剣に話を聞いてくれているね」 ある時、佐倉教授に授業終わりに突然声をかけられた。 まさか大勢いる受講生の中から私を覚えてくれているとは思っていなかったが、考えてみれば大教室の最前列に座る人はほとんどいない。 ただの受講生なのに迷惑をかけてしまっていたのかと 「すみません、お邪魔でしたか?」 と謝ると、 「何を言っているんだ? 私は喜んでいるんだよ」 とにこやかな笑顔を見せてくれた。 それが、いつも真剣な表情で大きなホワイトボードに向かう佐倉教授の初めてみる笑顔だった。 「少し話をしよう」 そう言って連れて行かれたのは教授の研究室。 綺麗に片付けられた部屋が、教授の几帳面さを表していた。 「君は医学部の学生だそうだね。なぜ私の講義を?」 「私は医師として患者を診るよりも、最先端の医療機器や医師の負担を減らす電子カルテのソフトウェアを開発して、少しでも患者のためになりたいと思っているんです。医学部に入ったのは医師として実際に現場で働いた経験がある方が、より良いものを開発できるんじゃないかと思ったからです」 「なるほど。良い考えだね。だが、大変だろう? 医学部の講義は山のようにあるのに、その上私の講義もほとんど受講するのは……」 「はい。ですが、佐倉教授のお話は聞き漏らしたくなくて……」 「そうか。そこまで言ってもらえると教授冥利に尽きるというものだ。 もし、良かったら君が空いている時間に私の研究室に来ないか?」 「えっ? 佐倉教授の研究室に?」 「ああ、君に直接講義をしてやろう。君が聞きたい話をなんでも話してあげるよ」 佐倉教授からの思いがけない提案に私は驚きつつも、嬉しかった。 正直、ほとんど休憩なしで受講に行っていたから身体が悲鳴を上げていたんだろう。 「ありがとうございます!! 嬉しいです!!」 とお礼を言った後、ふっと意識を失ってそのまま眠ってしまったんだ。 ちょうどその日はその後、私になんの授業もないことを佐倉教授は知っていたんだろう。 そのまま私を教授の研究室にあるソファーで休ませてくれた。 2時間くらい寝ていたのか、目を覚ますと教授は自分の席に座って何かを真剣にみていたんだ。 「あっ、すみません。急に眠くなってしまって……」 「君は熱中すると飲食や睡眠を忘れるタイプのようだな。医師が倒れては話にならないからな、君が医師を目指さないのは自分のことをよく理解しているとみえる」 「はい。その通りです」 「ははっ。冗談だよ」 佐倉教授はこんなにも感情豊かな人だったのだな。 知らなかった。 「あ、あの……さっきは何をご覧になっていたんですか?」 「ああ、あれか。ふふっ。私にはまだ幼い息子がいるんだが、その子がこの前の参観日に私のことを作文で書いてくれたんだ」 「へぇ、そうなんですか」 「それを妻が録画して送ってくれたんだが、どうやら私の仕事がなんなのかよくわかっていないらしい。一生懸命推理しながら作文の最後には、いつも家で本を読んでいるから小説家かもしれないと言っている」 その映像を思い出しているのだろう。 教授の顔がいつものそれと全然違う。 「ふふっ。可愛らしいお子さんですね」 「ああ、私は子どもとの接し方がよくわからなくてね、君たちのように学生相手なら話せるんだが幼い子はどうしていいやらわからなくて……」 「なら、息子さんが推理したように本を出されてはいかがですか?」 「えっ? 本を?」 「はい。自分の父親の本が本屋さんに並んでいる。それだけで息子さんは喜ぶと思いますよ」 「そういうものか……なら、頑張ってみるとするかな」   ✳︎ ✳︎ ✳︎ 「それからすぐ後だったな。佐倉教授の初めての本が出版されたのは……」 「そんなことが……。じゃあ直己さんのおかげだったんですね。僕がお父さんの形見の本を持つことができたのは……」 「佐倉教授は教授なりに佳都のことを愛していたと思うよ。だからこそ、あんなにもたくさんの本を出版したんだ。佳都が本屋で自分の名を見つけて喜ぶ顔が見たくて」 「お父さん……」 僕はお父さんの気持ちが嬉しくて……そしてそんな素敵な思い出を教えてくれた直己さんに感謝の気持ちがいっぱいで僕はまた直己さんに抱きついて涙を流した。

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