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現れたのは小さな天使と、鷲のような男 2

(こういう時は……そうだ。迷子センター)  大型のショッピングモールには必ず設置されている迷子センターの存在を藍時は思い出した。しかしこのまま迷子センターに連れていくにしても、引き渡す際に少年が不安に駆られて、必要な情報を聞き出せなくなるかもしれない。今頃きっと血眼になって探しているだろう親に向けてアナウンスをするためにも、名前や性別、年齢といった情報は必要だ。少年が自分の問いかけに答えてくれる今、最低限のことは聞き出しておこうと、藍時は順番に質問を続けた。 「お名前、言える、かな?」 「……っ、じゅん!」 「じゅ、ん?」 「うん!」  少年はコクコクと頷いた。名前を知り、藍時はどこか懐かしさを覚えた。よくある名前だ。もしかしたら、「じゅん」という響きが好きなのかもしれない。  そんなことを思いながら、続けて親の名前を尋ねた。 「パパの名前、は?」 「えっとね……しゅーいち!」 「しゅう、いち……」  ポツリと復唱すると、自分の鼓動が大きく弾んだように感じた。 (何だろ……もしかして、俺が知っている人なのかな)  記憶を辿るも覚えはない。だが、どこかで耳にしたことがあるのだろう。バイト先が転々としていることもあり、知り合う人間の数だけは多い藍時だ。もしかしたらそのうちの誰かかもしれないと、それ以上は考えなかった。過去に知り合っていたとしても、今の彼には覚えがないからだ。 (名前と性別はわかった。その他に必要な情報は……)  思考を巡らせながら、ぐっしょりと濡れた自分のハンカチをポケットに戻す。余分にハンカチを持っていなかったので、代わりに少年のポケットにあるハンカチを借りて濡れそぼつ顔を優しく拭った。すると、ハンカチの縁に油性マジックで書かれた「おうぎじゅん」の文字が、藍時の目に飛び込んだ。 (もしかして……)  迷子になった時のための情報を他にも身に着けているのかもしれない。そう考えた藍時は、鼻を啜る「じゅん」に向かって、そのハンカチを広げてみせた。 「じゅん、君。この他にも、例えばお名前、とか……そういったもの、持っているかな?」 「すん……これ?」 「じゅん」は自分の着ているパーカーの裾を捲りあげると、裏地についているタグを引っ張り藍時へ見せつける。そこには綺麗な文字で「扇純」と記されていた。また、逸れた時や事故にあった時のことを想定して、名前の他に性別、誕生日、携帯番号、血液型が書かれていた。 (この子、俺と一緒のO型なんだ)  自分と同じ血液型と知り、少しだけ親近感が湧いた。  携帯番号はおそらく保護者のものだろう。それが母親のものなのか、父親のものなのかは不明だが、どちらか一方にでも繋がればいい。藍時はボディバッグからスマホを取り出し、いざ記された携帯番号を入力する。  少年以外が相手でも、今なら声を出して話すことができるかもしれない。しかしそんな淡い期待は、三回目のコール音の後にあっけなく砕かれた。 『はい』 「ぁ……っ……うぅ……」  発信に答えたのは男性の声だった。低くもよく透るその声は、はっきりとした口調で「もしもし?」とこちらへ問いかける。藍時は必死に話そうとしたが、見えない手によって首を絞めつけられているかのようで声が出ない。  耳元に添えるスマホの向こう側では、男が変わらずこちらへ呼びかけている。早く答えなければ。だが焦れば焦るほど、喉は窄まり、呼吸が苦しくなっていく。 「ぅ、ぁ……」  何度目かの呼びかけの後、耳元がしんと静かになった。ああ、もう駄目だ。藍時が諦めようとした、その瞬間……。 「パパ!」 『……純?』  純が叫ぶように、藍時のスマホに向かって呼びかけた。それはスマホの向こう側にいる男にも伝わったようで、訝しげに純の名前を呟いた。 『本当に純なのですか?』  その問いかけに、藍時は慌ててスマホをスピーカーモードへと切り替える。続いて純の声が拾えるように、スマホ画面を平に傾け、相手に語りかけるよう促した。 「パパ! ぼくだよ! じゅんだよ!」 『純……』  相手の安堵した声に、藍時もまたほっと息を吐いた。大粒の涙を零していた純も笑顔を綻ばせ、スマホの向こう側にいる「パパ」を何度も呼んでいる。  純の元気な声を耳にして、男は微笑を声に含ませながら、話を次へと進めていく。 『ともかく、無事でよかった。すぐそちらに向かいますから、大人しく待ってなさいね。それで今、誰と一緒ですか?』 「ぁ……」  名前を言わなければ。藍時はとっさに口を開くも、出るのは蚊の鳴くような声だけで言葉を紡ぐことができなかった。  どうして上手く事を運べないのか。歯痒くなる自分に嫌気がさす。  そんな藍時の気持ちなど知る由もない純は、無邪気な笑顔で驚くべきことを口にした。 「うん! 今ね、ママと一緒!」 「えっ?」 『えっ?』  まったく同じ反応が、藍時と姿の見えない相手から同時に発せられた。  純が自分のことをママだと呼んでいたのは、てっきり母親のいない恋しさからくるものだと思っていた。それがまさか、本当に母親だと信じて呼んでいるとは。  相手も困惑しているのか、言葉を失っているようだ。訂正をしなければさらなる誤解を招くだろう。 (違います! 俺はこの子のママじゃありません!)  手指を動かし、パクパクと金魚のように口を開閉するも、藍時の心の声はスマホの向こう側どころか、目の前の少年にさえ届かない。  スマホから声が聞こえなくなったことで不安になったのか、純は不思議そうに「パパ?」と呟いた。 『ああ、いや……すみません。それで、場所は?』  純の声で我に返ったのか、相手は困惑気味に二人がいる場所を尋ねた。  純が顔を上げ、藍時を促した。 「ママ、ばしょ!」 「あ……三階の、エレベーター近くの……フロアガイド、の、前……」  純と目が合うと、自然と声が出た。訥々と告げる藍時の声は相手にちゃんと届いたらしく、『エレベーター近くのフロアガイド……』と復唱される。  伝わったことで安心したのか、藍時は汗で冷たくなった額に手の甲を押し当てた。 (ともかく、これで父親と合流ができる)  現在、男がどこにいるのかにもよるが、同じショッピングモール内ならば時間はさほどかからないだろう。五分か、十分か。そのくらいなら一緒に待つことができる。  だが予想に反して、合流は思いの外早くに果たされた。 「ああ、見つけました」  つい先程までスマホから聞こえていた声が途端、背後から聞こえてきた。パッと先に顔を上げたのは、純だった。 「パパ!」  純は藍時を置いて駆け出した。その走る姿を視線で追うと、そこにはあの鷹木よりもさらに背の高い、大柄な男が立っていた。

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