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今度こそ、ずっと一緒 2

「ショッピングモールで再会した瞬間、もう逃してなるものかと、強く思ったよ。だけど、肝心のお前の様子が変だったから、あの時は咄嗟に装ったんだ。まさか記憶を失くしているとはな。後に歓楽街で再会するまで調べに調べ、またも鷹木に捉われているお前をどうやって奪還するかと策を練った。ちょうど鷹木が、風俗まで追い込んだお前を助けるヒーローになろうとしていることに気づいたから、その策略を逆に利用させてもらったよ」  結果として、陸よりも早くに秀一が助け出し、藍時を自然な形で扇家に招き入れることができた。 「まあ、そこからが大変だったんだけどな。どうやってオレ達が番なのかを説明するか、たくさん考えたよ。お前からするとオレは知らない男なんだ。そんな奴からいきなり番だなんて言われたら、頭のおかしいやべえ男って警戒するだろ? そうでなくてもお前は男に対して恐怖心を抱いていたからな。だから、『ママ代行』っていう美味しい仕事を餌にしてお前を囲った。やり方としては好ましいものじゃなかったが、あの野郎に奪われるのだけは許せなかった」  それもずっと隠すわけではなく、頃合いを見てすべてを話すつもりだったと、秀一は続けた。  藍時はチョーカー越しにそっと、自分のうなじに触れた。この一年ヒートが起きなかった理由が、まさか番が成立していたからだとは夢にも思わなかった。気づけなかったのも無理はない。自分の首の後ろなど、わざわざ鏡を介さなければ見ることもないのだから。 「鷹木の件はなるべく穏便にカタをつけるつもりでいたんだが、まさかこうなるとはな。お前には悪いと思ったが、前もってスマホにはGPSアプリを入れていて、家の中にはカメラを設置しておいたんだ。それが今回、役に立ったよ」  とはいえ、ごめんな。と秀一は謝った。対して藍時は左右に首を振る。その行動のお陰で、自分は助けられたのだ。やっていることは自分を束縛していた男と変わらないというのに、秀一のそれには嫌悪すら抱かない。自分本位の行動であるか、他人本位の行動であるか。彼らが主とするその差は、とても大きかった。  やがて、目的の病院らしき建物が見えてきた。その手前の信号が赤色になり、秀一は足を止めた。 「なあ、藍時。お前はこれから、どうしたい?」 「え……?」 「オレはこれからもお前と共にいたい。番だからというのはもちろんそうだが、何よりもオレはお前のことが好きなんだよ。まあ、その気持ち自体は、割りと最近自覚したんだけどな。だからこそ、お前の気持ちを尊重したいし、大切にしたい」  鋭くも優しい眼差しが、藍時を見つめる。あのショッピングモールで出会った時から、藍時は秀一の目を恐れていた。何もかもを見透かしているかのようなそんな瞳は今、自分のすべてを受け入れようとしてくれていた。それがわかるからこそ、恐ろしいのだ。 (純が言っていた通りだ。この人はどこまでも相手の気持ちを優先する)  それが少しだけ嬉しくて、少しだけ寂しい。その言葉の意味が、胸が切なくなるほどよくわかった。 『ママが、パパのことを大好きになってくれると、パパはきっと喜ぶの』  その後の行動は、おそらく秀一にとって予期せぬ出来事だったのだろう。藍時は秀一の顔に近づくと、彼の唇を塞ぐように自身のそれをそっと重ねた。わあっと、周りから小さな悲鳴のような声があがった。 「あお、じ……?」  純とそっくりのきょとんとした顔が藍時を見つめた。 (可愛いな)  恐い、恐いと思っていた人間を前に、少しだけ口角を持ち上げながら、そう思った。  藍時は訥々と答えた。 「ごめんなさい……俺は……それには、答えられません」  緩やかに首を振られ、秀一は「そうか」とどこか残念そうに答えたが、そこから続けられた藍時の言葉に、彼は瞠若することになる。 「俺にはまだ……番としての自覚はなくて、あなたのことを、好きなのかどうかも……わかりません。Ωなのに、子どもも産めません。ですが、俺は……秀一さんが最も望むことを……求めます」  それは聞く者が聞けば、他人任せの台詞のように感じられる。しかしそこには間違いなく、はっきりとした藍時の意志が乗っていた。  藍時は自身が持つ鮮やかな緑の双眸を、漆黒のそれに重ねた。 「俺を、愛して……くれますか?」 「んなの……当たり前だっての」  そして秀一は、藍時を強く抱き締めた。優しくも、今度は絶対に離さないという彼の気持ちが、逞しい両腕から伝わった。 「もう二度と離さない。お前も、オレから逃げられると思うなよ」 「……っ、はい……!」  それは、かつての恋人から投げ落とされた、自分を縛る呪いの言葉と同じもの。しかし目の前の人間から紡がれたその言葉は、藍時をどうしようもなく嬉しくさせた。  ・・・  その後、病院を受診した藍時は秀一とともに、純のいる保育園へ向かった。到着したのは、いつもよりも少し遅い、夕日が空を紫色に染め始めた頃だった。  藍時と秀一は、二人で我が子の名前を呼んだ。 「「純」」 「あ、ママ! それにパパも!」  二人の下へパタパタと走ってくるのは、屈託のない無邪気な笑顔。だがその目元は少しだけ、桃のように色づいていた。 「待たせて、ごめんな。純」 「ううん!」  藍時が膝をついて純に謝ると、彼は「全然へーき!」と首を振る。そしてクレヨン塗れになっている小さな両手で、ずっと握り締めていただろう画用紙を開きながら、自身が描いた絵を二人に見せた。そこに描かれていたのは、純の好きな鷲と、「パパ」、「ママ」、「ぼく」と書かれた三人が、笑顔で一緒に花火を見上げているというものだった。 「今日はね、わしさんとママとパパの絵を描いたんだよ。ぼくもいるの。ずっと一緒にいられますよーにって!」  はい、と渡されるその絵を目にして、藍時の頭の中ではそれまでとは少し違う色のフラッシュが焚かれた。  それは夜空に咲く大輪を見上げる自分が年甲斐もなく純とともにはしゃぎ、そんな彼らを優しく見守る秀一との記憶だった。  願いを込めて描いたのだろうその絵は、藍時に「ここにいて、いいんだよ」と言っていた。 「純」 「わっ!? ママ?」 「うん。ずっと一緒だよ。今度こそ、ずっと一緒」  純の誕生日には口にできなかった大切な言葉を、藍時は抱き締める大切な我が子に、ようやく伝えることができたのだ。

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