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第17話 規格外の王
「すまない。凛空。歌姫が覚醒した後。お前がどうなってしまうのか。おれたちにもわからないのだ」
サブライムは声色を落として言った。
「……——おれが、おれではなくなっちゃうって……」
じいさんが別れる間際に口にした言葉。それは、このことだったのだ。
「そうなるのかも知れない。しかし、そうならないかも知れない」
足元ががらがらと崩れ落ちる感覚に陥った。あの夢を思い出した。蒼白い炎で燃えている大地を眼下に、自分ではない自分が憂いている映像が蘇った。
覚醒を果たしたら、夢の時と同じ感覚になって、そしてそれがずっと続くというのか。自分の意志でからだを動かすことができなかった、あの夢の中みたいに——。
「おれは……」
「凛空」
サブライムはピスを見た。
「凛空にとったら、これは深刻な問題だ。今すぐに決断を迫るわけにはいかない。少し時間をくれてやってはどうだ」
ピスは大きくため息を吐いた。
「王よ。甘い考えは捨て去りなさい。多きを助けるための犠牲はつきものです」
「だからといって、凛空を犠牲にはしたくない。お前だって本当はそうなって欲しくはないと思っているのだろう?」
「しかし——」
ピスは言葉を切った。しかし、ラリは苛立ったように声を荒上げた。
「なんと愚かな! 黒猫如きの命と、地上の平和。どちらを優先させるおつもりか。——信じがたき腑抜けの王」
「ラリ。言葉が過ぎるぞ」
ピスがたしなめたが、サブライムは黙ったままだった。
「よいでしょう。一日だけ待ちます。もし儀式を執り行わないのであれば、その黒猫は殺すがよい。生かしておいてはカースの思うつぼ。では——失礼いたします」
ラリはしゃがれた声でそう言い放つと、執務室を出て行ってしまった。
しばしの沈黙の後。ピスは眼鏡を押し上げて言った。
「結果は決まっているのです。王。猫の町を犠牲にした。そして我々は凛空のことも犠牲にするしか方法はないのです」
彼はそう言ったかと思うとおれを見下ろした。しっぽが震える。
「すまぬ。お前は生まれた時から一人で、この世界を救う運命を背負わされてきたというのに。我々は代わってはやれぬ。リガードは、そんなお前を不憫に思ったが、それでも希望を捨てずにいた。私も信じている。リガードの希望にかけたい。お前なら、きっとやり遂げると。——だが、それは私たちの勝手な願いだ。最後に決めるのは、お前自身」
彼はサブライムに頭を下げた。
「王よ。次の公務まで、少しだけお時間がありますが」
「そうか」
サブライムは腰を上げると、おれの手を握った。それから黙って、執務室を出た。
*
おれはサブライムに連れられて、庭を歩いた。王宮には、庭を管理している人がいるに違いない。花が整然と咲き誇っていた。
こうして改めて近くで見てみると、花とは美しいものなのだ、と思った。桃色、藤紫、菜の花色……色とりどりの花たちが、まるで美しさを競うように咲いていた。
しかしそれも時期が来れば終わりだ。そうだ。何事も、始まればいつか終わりがくる。おれたちは、いつも同じではいられないってこと——。
花の回廊を歩いて行ったサブライムは、開けた場所にある石造りの東屋に足を踏み入れた。そこは壁がなく、石の支柱と手すりがあるだけで、周囲の庭の様子が一望できた。目の前には池があり、水面がきらきらと輝いていた。
サブライムは、おれを石造りの椅子に座らせてから、自分は手すりに腰を下ろした。
サブライムはなにも言わない。ただじっと、周囲の庭を見つめているばかり。その横顔は、眉間に皺を寄せ、深刻な様子だった。
彼は王様だ。王様だったら、当然、国を守ることを一番にしなくてはいけない。きっと、ここでおれをなだめすかして、太陽の塔に行くように説得したいのだろう。
(説得って……。おれには選択肢がないじゃない。最初から道は一つなんだ)
太陽の塔へ行って、歌姫にからだを渡すのか。それとも、ここで殺されるのか。だったら、ただ死ぬよりも、人のために死ぬほうがいいに決まっている。おれの選択肢は、決まっていたのだ。
「この庭は美しいだろう。凛空」
ふとサブライムはおれに視線を向けてきた。彼はおれの顔を見た途端に口元を上げた。
「そんな泣きそうな顔をするな」
サブライムの長い指がおれの頬を撫でた。
「泣きそうな顔、している?」
「しているぞ。情けない顔だ。耳も垂れて。みすぼらしい捨て猫みたいだぞ」
サブライムは哀れみとも、笑みとも取れる不思議な表情を浮かべている。きっと「ああ、こんな運命に生まれて可哀そうに」って思っているに違いない。そう思うと、なんだか自分で自分が可哀そうになってきた。
じんわりと涙が浮かぶ。なぜこんなことになってしまったのだろうか——。そんな思いばかりが胸に渦巻いている。しかしどこかでわかっていた。誰も肩代わりしてくれないということも。
「ねえ、本当におれは歌姫の生まれ変わりなんだろうか。ねえ、どう思う? サブライム……」
彼は優しさを含んだ碧眼でおれを見ていた。
「お前は残念ながら歌姫だ。おれはそう信じている」
「どうして……? どうしてそう思うの? わからないでしょう? 予言通りに生まれてくる子って、おれ以外にもいるかも知れないじゃない。なんでおれなんだよ……」
涙がこぼれて声が詰まった。この思いを誰かに受け止めてもらいたい。駄々っ子みたいにわんわん泣いて、「嫌だ、嫌だ」って叫んでみたかった。
「おれの話をしよう。凛空」
ふとサブライムの穏やかで、温かみのある声が耳に届く。はったとして彼を見上げると、サブライムはどこか遠く――そう。きらきらと光る水面を、ぼんやりと見ていた。
「おれは王族に生まれたが、規格外でね。おれの母は正妃ではなかった。一部、おれを王として認めていない者がいるのはそのためだ」
サブライムの横顔には翳りが見え、いつも堂々とした、威厳のある王様ではなかった。
「正妃は大病を患ったおかげで、子を設けることができなくなった。父はそれでもかまわない、と言っていたそうだが。周囲がそっとしておくはずもない。王族の血が絶えることはあり得ない。父は周囲からの強い勧めで、貴族の子だったおれの母との間に子を設けた。それがおれだ」
それは理屈として通らないじゃないか——と思った。血を絶やさないように、と周囲から勧められて、サブライムが生まれたそれなのに、彼の存在を認めない人たちがいるって、どういうことなのだろうか。
それに——。サブライムのお母さんはどんな思いをしていたのだろうか、と心配になった。サブライムのお父さんは、サブライムのお母さんを愛していたのだろうか。
「サブライムのお母さんは……?」
「おれの母は死んだ。父は最後の最後まで、正妃をつがいとして大切にしていたからな。おれの母は、ただおれを生むためだけの道具に過ぎなかった。
おれは生まれるとすぐに母から引き離されて、正妃に育てられた。王太子としてそれが筋だったからだ。だが——おれを取り上げられた母は、ずっと王宮の置く深くに閉じこもって一人で死んだ。
おれは生まれついた時から、生きる場所が決められていた。王宮の仕組みの中で、その通りに生きていくしかなかった。だがしかし——。人を悲しませるような仕組みはいらないのだ。おれは、皆が笑顔で暮らせる国を作りたい。与えられた運命を甘んじて受け入れるつもりはない」
おれの気持ちを察したのだろうか。サブライムは柔らかな笑みを見せてから、おれの頭を撫でてくれた。
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