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第23話 闇よ再び
(草原に座っているのはおれ?)
黒い猫の耳を持つその人は花畑に座り歌う。彼の目の前に、黒い外套を着た男が立っていた。
(カース!?)
黒猫の男は黒い外套を着た男に手を差し出した。その手には花の冠が。笑みを浮かべ、幸せそうに笑う黒猫の男。そこで暗転。一気に現実に引き戻された。
(草原にいたのはおれじゃない。あれは——?)
困惑していると目の前に突然、一人の人物が現れた。猫族だった。真っ黒な瞳に真っ黒な耳と髪。おれと一緒だった。
紅玉色の生地に、白い大きな花が散らされている着物を纏っていた。おれは直観でこの人が歌姫なのだ——。それと同時に、先ほど頭の中に流れ込んできた映像はこの人なのだと理解した。
歌姫は焦点の合わない虚ろな瞳で、おれを見つめていた。ぱくぱくと動く唇からは、聞き覚えのある旋律が零れる。
(ああ、これは……)
無意識の内に、おれもその旋律を歌っていた。心の奥底から湧き出てくる旋律は、王宮の広間で歌ったものだった。聞き取れないほど小さかった彼の歌声は、おれの脳に直接訴えかけてくる。
おれたちは、まるで二つで一つのように歌った。一人だと小さい声も、二人になれば声量が増す。最後まで歌い切った後。彼は『ああ、可愛い私の半身——』と言った。
(貴方が——歌姫なの?)
おれは心の中でそう問いかける。歌姫は優しい笑みを見せた。
『そうです。私の名は音 ——。貴方が来るのを待っていました』
(おれのからだを使って、貴方は蘇るんでしょう?)
『貴方は私の器ですから。当然のことです』
(器……。そうだ。おれはここで、消えてしまうんだ)
思わず後ろを振り返る。心配気に見守っているサブライムがいた。
(そんな顔しないで。サブライム。貴方の望み通り。おれ、がんばるから)
気を取り直して、歌姫に視線を戻してから、再び対話を始める。
(貴方は、カースをやっつけられるの? ねえやっつけられるんでしょう?)
『カース。カース——……』
(そうだよ。カースだ。貴方が千年前に封印した悪い奴だ。世界に戦争を巻き起こした)
『カース。カース』
なんだか様子が変だった。歌姫の残像はじりじりと音を立て始める。
『カースは——。私の……。カースは——で、彼は……』
(なに? なにを言っているの?)
「ねえ、音! なにを言っているの?」
思わず叫んだ。その瞬間。周囲が不意に暗くなった。視線を巡らせると、青空は厚い雲が垂れこみ、いつの間にか周囲は薄暗くなっていた。
「一体——なにが?」
『カース。カース。カースは私の——です。カースは私の——です』
音は同じ言葉を何度も何度も繰り返す。まるで壊れた玩具みたいで気味が悪い。残像は、消えたり現れたりを繰り返した。
「凛空!」
異常を察知したサブライムが、おれに向かって走り出した。騎士団も剣を構えながら周囲を警戒していた。
恐れでからだが動かなかった。立ち尽くしているおれの元に、サブライムが駆けつける。彼は長剣を握っていない左腕でおれの肩を引き寄せてから、ぎゅっと抱きしめてくれた。
そこにいたみんなが、正体の知れぬ恐れに慄いていた。サブライムに身を寄せ周囲に視線を配る。すると——。
「ラリ、これはどういうことなのですか!?」
エピタフが鋭い声を上げた。はったとして視線を遣ると、ラリだけは平然とそこに立ち尽くしていたのだ。彼はくつくつと不気味な笑い声をあげた。
「……はは。あははは! 私はこの時を待っていたのですよ! エピタフ様——!」
「お前は——。やはり信用なりませんでしたね!」
エピタフは指を口元に立てる。しかし——なにも起きなかった。エピタフは困惑したような表情でラリを睨み返す。
「やはり——この塔には、仕掛けがあるようですね」
「エピタフ!」
サブライムはエピタフの名を呼んだ。
「ああ、残念でございます。塔には、貴方たち王宮の魔法使いを拒絶する仕掛けを施しました。ねえ、カース様」
(カースだって!?)
忌々しい名に、意識が行った瞬間。おれの目の前に立ち現れた闇が形を成し、藤色の剣を振り下ろした。それは瞬く間の出来事。しかし。その剣はおれたちには届かない。サブライムが長剣でそれを防いだのだ。
「ほんの刹那の出来事に反応するとは。あっぱれな王よ」
カースはサブライムの剣を弾き、おれを抱えたまま後ろに跳躍した。ふんわりと地上に降り立つカースの足元の花たちが枯れていく。
まるで周囲の生き物たちの命が、彼に吸い尽くされているような錯覚に陥った。
サブライムのおれを抱く手に力が入る。いつも飄々としている彼でも、カースとの対峙には、緊張感が高まっているのだ。
「また会えたな。音の器——。黒猫の子よ」
「カース……」
彼は漆黒の外套を翻し、両手を広げた。
「じいさんは? じいさんを殺したの!?」
カースの不気味な仮面が露わになる。彼は笑っていた。
「じじいか。忘れたな。それよりも——その黒猫を渡せ。そうすれば、楽に殺してやる。抵抗すれば、無限の地獄に落とすぞ」
「——太陽の塔で歌姫の覚醒儀式を執り行うという情報は、お前の仕掛けた罠だったというのか?」
サブライムはカースとまっすぐに対峙していた。カースの闇は、辺り一面を包み込むように広がっていく。
「ああ、そうだ。こんなに簡単に引っかかるとは。さすが、あの無能な王の末裔」
エピタフは、ラリを侮蔑するかのように見据えていた。
「ラリ。貴方という人は。太陽の塔を守護する一族でありながら——。いいえ。貴方は一族の者ではなかったということですね?」
ラリが太陽の塔を守護する一族ではないとは、一体どういう意味なのだろうか。エピタフと対峙していたラリは、肩を揺らして笑っていた。それから彼は、目隠しをしていた布を外す。すると、白濁した双眸が露わになった。周囲は皮膚が引き攣れていて、まるで火で焼かれた痕みたいに見えた。
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