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第52話 平和への歌

 地を揺るがすような雄叫びや、太鼓、銅羅の音が鳴りやむ気配はない。先ほどよりもなお大きく聞こえていた。 「戦況は?」  サブライムの登場に、スティールとピスが顔を上げた。 「お帰り。やあ、凛空も。無事でなにより——」  彼はにこっと笑みを見せたかと思うと、戦況を報告した。 「老虎とガズルが指揮をして、戦いを止める第三勢力として参戦しているが……。常軌を逸している。正気を失っているんだ。連合軍は止まらない。獣人のくせに人間の肩を持つのかと、虎族と熊族がやり玉に挙げられている」 「援軍を出したいが、こちらも余力がない。自分たちでなんとか持ち堪えてもらっているところです」  ピスもつけ加えた。 「シーワン……。——私が行きましょう」  エピタフは眉間に皺を寄せた。老虎のことを心配しているのだ。しかし——ふとエピタフのからだが揺らいだ。そばにいたスティールが彼を支える。 「無茶だ。お前は病み上がりだろう? 連戦続きだし」 「傷は平気なんです。おかしいですね。少々、からだの様子が……」  負傷者の対応をしていた先生が笑った。 「大丈夫だよ。心配するな。病気じゃない」 「病気ではない?」 「ああ、後でちゃんとみてやるから。それよりも、手伝ってくれ。そこで突っ立って話しているんだったら、負傷者の手当をしないか」  先生は踵を返し、負傷者の手当に戻っていった。  カースの襲撃で本部は壊された。スティールたちは、仮設本部を設置していたが、その横では先生たちが負傷者の治療にあたっていた。負傷している兵士たちは「うう」と苦痛の呻き声をあげている。先生の補助をしているのは、厚生省の人たちだ。先生と並んで、厚生省大臣のオペラが治癒魔法を施している。  しかし、負傷者の数が多すぎる。人手が足りていないようだった。 「しっかりしろ。意識を手放すな。死ぬぞ」 「先生——……助けてくれ。痛い。痛い……」 「先生、こちらも診てください」 「待っていろ、今、行く!」  いつも呑気な先生は珍しく大きな声を出していた。  血の匂いがした。肉が焼ける匂いもしていた。あの夢と一緒だった。このままでは——もっと大変なことになる。  悲しみ。  苦しみ。  痛み——。  負の感情が、この世界を覆いつくしてしまったら、闇に覆われてしまうのだ。 (もう誰も失うわけにはいかないんだ。おれがこの戦いを止める)  ——音。それがおれの役目なのでしょう? 千年前の貴方と一緒で……。  おれはサブライムの腕を引っ張った。 「サブライム。おれを高いところに連れて行って」 「凛空?」  サブライムは驚いたような顔をしていたけれど、おれのやりたいことを理解してくれたのだろう。力強く頷くと、すぐにおれを抱え上げて走り出した。 「——わかった。一緒に行こう。凛空。戦いを止めよう」 「うん!」  サブライムはそばに控えていた馬におれを押し上げた。それから自分も馬に飛び乗った。  馬が駆け出すのを合図に、スティールやピスたちも馬に乗り込んで走り出した。 「王たちを援護しろ!」 「二人を守るのだ!」  背後からそんな声が響いてきて、みんながサブライムにつき従っている様子がわかった。サブライムの操る馬は、城壁のてっぺんへと続く道を駆け上がった。  城壁の上にいた騎士たちはサブライムに道を開けた。 (ねえ、聞いて。お願い。もう殺し合いは終わりにしよう。おれたちはおれたちだ。みんなが一人の大事な命)  城壁の高いところに降り立ったおれは歌った。おれたちは平和を取り戻さなくてはいけないのだ。人間だとか、獣人だとか。そんな区別がない、なんのしがらみもない世界をここに作る。  サブライムが必死に作り出そうとした世界。  音やカースが夢見た世界。  じいさんがクレセントと暮らしたかった世界。  スティールやその仲間が目指した世界。  その世界が、今まさに実現できるところまで来ているのだ。それなのに、言葉を失くし、力に頼る方法では悲しみしか生まれない。おれたちは種族を越え、手と手を繋ぎ、言葉を交わし、お互いがわかり合う世界を作らなくてはいけないのだ。  おれに向けられて放たれた矢をサブライムとスティールが叩き落してくれた。  天空から降り注ぐ魔法の攻撃をエピタフの防御魔法が跳ね返してくれた。  おれに向けられた敵意はとても痛い。胸に突き刺さって、おれの心をじわじわと侵食していく。けれども、こんなことで負けてはいけないのだ。 (お願い。おれの歌を聞いて! 憎しみに心を閉ざさないで!)  罪深きわたしたちに なにができようか  ただ震え 地にうずくまるばかりか  いや それは違う  罪深きわたしたちだけれど それでもなお  わたしたちには祈りがある  不安に打ち震える哀れな子よ  剣を捨て去り  わたしの手を取りなさい  わたしと共に歌うのです  どういう仕組みなのかわからないけれど、飛空艇にいる博士が、おれの歌を戦場に届けてくれた。エピタフや魔法省の魔法使いたちも、鳥を使っておれの歌を広く届けてくれた。  おれの歌に気がついた者たちは一様に手を止め、周囲を伺うように視線を巡らせた。そうして、隣の者たちと互いに視線を交わす。敵であれ、味方であれ、それは一緒だった。それから、手に握っていた武器を地面に投げ捨てた。 「争いが収まっていく——」  剣を手にした戦士たち。  傷ついた戦士たち。  みんなが、おれの歌に耳を傾けてくれた。  雲に覆われた長い闇夜が明ける——。  燃えるような朝日とともに、そこにいるすべての者が剣を捨てたのだった——。  必死に歌っていたおかげで、からだが限界を迎えていたらしい。膝が折れて倒れそうになった瞬間。サブライムの腕がおれを抱き留めてくれた。 「よく頑張ったな。凛空」 「サブライム。おれ……」  彼を見上げた瞬間。どこからかおれを呼ぶ声が聞えた。はったとして視線を上空にやると、飛空艇がゆっくりと旋回しながら、おれたちの頭上にやってきた。  甲板からは、博士たちが両手を振っている。無事だったようだ。  城壁外の戦場からは、老虎が大きく手を振っているのが見えた。彼は大きな声で叫ぶ。 「我らの歌姫だ! 歌姫だぞ! 争いを歌で止めた! 平和の象徴だ!」  その声に、そこにいた人たちはおれを見上げて歓声を上げた。 「歌姫だ!」 「王、万歳!」 「歌姫の誕生だ!」  歓喜の声にほっとした瞬間。意識が遠退いていった。 (じいさん、おれ。がんばれた? ねえ、褒めてくれるかな……)  柔らかい風が頬を撫でるたびに、なんだかじいさんに頭を撫でてもらっている気持ちになった。  失われた命は戻らない。けれど、おれたちは生きている。生きている者は、これからのことを考えていかなくてはいけないのだ——。

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