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第6話
数時間後に何かが割れるような音で目が覚める。何事かと寝ぼけ眼で考えてから、鏡で一度自分の身なりを整えてオリヴァーは慌てて部屋を出てレオンハルトの部屋へと向かった。
中へと入ると、部屋に置いてある骨董品を投げられたらしく頭から血を流して怯えるレオンハルトと興奮した様子で、彼と向き合うロミルダの姿があった。
「っ、騙したんでしょ!!!」
大きな声で言う彼女にレオンハルトは、目を白黒させながら、額を押さえて、状況を把握しようと必死だ。額から滴り落ちた血には手をつたい白いベットシーツに血のシミをつけている。
「な、ど、うしたんだ。ロミルダ」
「どうしたもこうしたもないわよ!!私の事最初から疑ってたなんて信じらんない!!」
「何を、言って……」
「っは、でももう遅いのよ!!必要なものは頂いたからっ」
「レオンハルト様!!」
緊迫した状況の中で、オリヴァーは流血しているレオンハルトに一目散に向かった。そんなオリヴァーをレオンハルトは片手で制するようにして、それから少しふらつきながら立ち上がる。
……っ、指輪を返してしまったからだ、だから、ロミルダ様は怒って。
自らが浅い考えでやってしまったことがまさかこんな形で現れるとは思っておらずオリヴァーは混乱した。しかし、それでも動くことは出来ない。レオンハルトの前では彼に逆らうことも前に出ることもできない。
それでも自分の不手際だ。指輪がレオンハルトの元にあれば、自分の王宮の重要文書を盗んだという罪がバレていると知って、早々に退散してくれるはずで、それについて後からレオンハルトにゆっくり彼女の立場や、狙いを教えてあげればいいと思っていた。
そんな浅はかな考えが生んだ事態であり、自分に責任がある。
「ロミルダ、いいから落ち着いて、くれ」
「何が落ち着けよ!! 陰で私を操っていたつもりだったわけ!?」
「とにかく、冷静に」
ぱたぱたと血を流しながら、レオンハルトは彼女に向かって歩みを進めた。寝起きに骨董品のツボを投げつけたような相手にである。
……それにしても起き抜けにそんなことをする方もする方だと思いますけれど、私も炎の魔法の使い手ですからそのぐらいは想定しておかなければなりませんでした。
「でももうこれでおしまいよっ!!あんたなんて王太子じゃないかったら一生言葉も交わしたくないような男だった」
「……なぁ、どうしたんだ急に、お前はそんな言葉を言うような人ではなかったはずだ。俺には、わかるぞ」
いよいよ、レオンハルトは状況の意味不明さに困り果て、急に罵ってきたロミルダにそんな風に言ったのだった。
宥めようとしてこの状況に至ってすら、未だに彼女を愛しているような顔をして近づこうとする。落ち着いて、話し合えば分かり合えると本気で思っている。
当たり所が悪ければ致命傷になるような傷を負わされているというのに自分の唯一の従者も盾にせずに、激情だけで他人を傷つける人間に向かって、優しさで何とかしようとする。
……そうですよね。主様はそういう方です。
分かっているからこそ、こんな状況を作り出してしまった自分を呪いたくなった。
「あんたになんてほんの少しだって分かってほしくないわっ!!のうのうと生きてきただけで王太子でいられたあんたなんて、お花畑みたいな頭でバッカみたい」
ロミルダは髪を振り乱して怒り狂い、レオンハルトに対しての本当の気持ちを吐露する。それでも、レオンハルトは、抱き寄せようと手の届くところまでそばに寄った。
「何よ!! 私の邪魔をしたくせにそれでも愛をささやくつもり?もう茶番はごめんよ」
「茶番などと、一瞬も思ったことは無い。思っていたとしても、それははお前が見てる幻の中の私だ」
「……そういう言い回しが気持ち悪いの!!!」
レオンハルトの心の底からの言葉に一瞬言い淀んで、それからロミルダは、ものすごく不敬なことを言って、夜にこの部屋に来た時に着ていただろう羽織をかけて、部屋の出入り口に向かう。
「とにかく、もう二度と私の邪魔をしないで!!…………もし本当に何も分かっていないのだとしたら…………あんたって本当に出来の悪い王族ね」
そんな捨て台詞を吐いて、勝手に扉を開けてレオンハルトの部屋から出ていく。
彼女が去っていって呆然とするレオンハルトとオリヴァーだけが部屋に残される。何も分からない彼に自分の失態だと話すべきなのか、そう一瞬頭の中に考えがよぎる。
……それよりも先に、手当をしなければ。自分の保身など今は考えるべきではないですっ。
「主様!とにかく今は傷の手当てを、ご尊顔に痕が残ってしまいます」
声をかけて立ち尽くしているレオンハルトの手に触れる。その手にはきちんと指輪がいつもの通りにはめられている。それは、自分が守り切った大切なものであると同時にこんな状況を生み出してしまった忌まわしきものでもある。
「……」
「主様……レオンハルト様、さあ、座ってください」
導くように手を引く。寝巻であるズボンしかはいていない彼には新しいシャツも必要だろう、いつまでもこんな格好をさせていては従者の名折れだ。
しかし、手を引いてもレオンハルトは動くことは無く、彼はガクッと顔を俯かせた。
それから、オリヴァーの手を振り払う。パシッと音が鳴って、重たい沈黙があたりを包んだ。
今すぐにその血をぬぐって清潔にして、彼の痛みを和らげて差し上げなければならないのに、彼はそれよりも意中の相手に振られたことによる衝撃の方がずっと大きいようで、オリヴァーの気持ちなど気にせずに、ただ一歩踏み出した。
「何か誤解があったんだ、追いかけてくる」
……っ。
駆け出そうとするレオンハルトの手を再度オリヴァーは強く握った。それから「すべてッ」とオリヴァーは口を開く。叫ぶような声だった。
あんな風に、彼が一番気にしている言葉を言われたというのに、それでもまだ、彼女に何か誤解があってその言葉を誤っていってしまっただけだと信じて疑わずにレオンハルトは向き合おうとする。
その健気さがどうしても悲しくなってオリヴァーは続けた。
「すべてお話いたしますから! 私の不手際です、どうか、ここは……」
懇願するようにいうオリヴァーにレオンハルトはやっと振り向いて、眉間に濃い皺を寄せたまま、オリヴァーに聞いてくる。
「……お前、何を知っているんだ?」
「大方の事は、把握しています。ですからどうか」
「…………」
言い募るオリヴァーにレオンハルトはただしばらく逡巡してそのまま、ベットへと腰かけた。その行動にオリヴァーは少し安心して、それから、水の魔法道具を使って、彼の額の傷へと癒しをかける。
血は流れ出て、彼の頬に血の跡をつけていた。それがどうしても痛ましくて、オリヴァーは自分の持てる魔力のすべてを使って、彼の傷を癒す。
「……」
「……」
太陽の日差しが差し込む部屋の中で、どんよりと沈んだ空気があたりを包み、緩やかな時が流れていく。こんなことになってしまったのも、悪女に騙された彼の責任だと言ってしまうのは簡単だった。
しかし、そんな彼の愚行に油を注ぎ、ロミルダから暴行を受ける様な事態にしてしまったのはすべてオリヴァーの不手際である。彼がただ、のんきにああして眠ってるだけで、何も気がつかずにのほほんと生きているだけだったらこんなことにはならなかった。
……こんな傷まで負わせて……しまって、あんな言葉まで言われて。
彼が傷つかないようにとひたすらに守っているつもりなのに、どうしてこうもうまくいかないのか。
その理由は、自分がこうして前世からの記憶がある転生者であり、彼が聖女である婚約者を貶める様な悪役であるからなのか、そんな考えがまたよぎってしまう。
どんなにしても自分の力だけではどうしようもない事なのか。
そんな風に現実逃避のような思考をしてから、それでも今ここに自分の至らなさを伝えなければならない状況があることを後悔してもしきれない。
話をするといったのだから、それを覆すわけにはいかない。彼に嘘をつくような行為だけはあってはならない。
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