15 / 43
スクープ1
バンコクから帰ってきた翌日は夕方からの撮影だった。なので、撮影に行く前に母さんのお見舞いに行って、その後に事務所に行く。社長と事務の浅川さんにお土産を渡すためだ。
病室のドアをそっと開けると、おばあさんも母さんも寝ていた。母さんのベッド脇の椅子に座り母さんの寝顔を見る。母さんの寝顔なんて入院して初めてみた。入院病棟で看護師をしていた母さんは忙しくて、俺が起きているときに寝ていることはほぼなかった。
仕事が終わって家に帰ってくると掃除や洗濯をして、俺の食事を作って待っていてくれた。ほんとに一日中フル回転していた。だから病気になったんだろうか。少し安めと神様が言っているんだろうか。でも、死ぬのは違う気がする。
よく見ると顔色があまり良くない。体調があまり良くないんだろうか。でも、俺がバンコクに行っている間に逝ってしまわなくて良かった。こんな仕事をしているから、親が死んでも忌引なんてない。親が死んだ直後でも笑っていた、という話を聞いたこともある。せめて、死に目には会いたいけれど。
しばらく寝顔を見ていると、ゆっくりと母さんが目を覚ました。
「柊真。おかえり」
「ただいま」
「タイはどうだった? 暑かったでしょう? 食事は大丈夫だった?」
心配していたのか一気に訊いてくる。
「蒸し暑かった。日本の蒸し暑さなんて可愛いもんだね」
「そう。体調は崩さなかった?」
「うん。大丈夫だよ。食事も辛くないものを選んだから大丈夫だった」
「お腹くだしたりはしなかった?」
「うん。氷は穴の開いているやつは安全なんだって。だから外で飲み物を買うときは氷を気をつけて見てた」
「そう。お水を使うから心配よね。でも大丈夫なのなら良かったわ」
「観光客の多いところは大丈夫なのかもしれないけどね」
「それでも、注意はしなきゃダメよ。って帰国してから言うものでもないけど」
そう言うと母さんは小さく笑う。その笑顔が儚くて泣きそうになる。やっぱり体調があまり良くないんだろう。
「あ、お土産買ってきたよ」
「そんなのいらないのに」
「そう言われてももう買って来ちゃったから受け取ってよ」
俺は紙袋からストールを出して渡す。グリーンのグラデーションのそれは、色も明るく若々しく見えるだろうと思って選んだ。
「タイシルク?」
「うん。色は俺が適当に選んじゃったけど、似合うと思うんだよね」
俺がそう言うと、母さんはストールを肩に掛ける。
「どう?」
「うん、似合う」
「お仕事で行ったのにありがとうね」
「仕事は夜はなかったから、ショッピングモールとか行く時間あったんだ。それに、病院でも寒いときがあるでしょう。そんなときに使えたらいいと思ってさ」
「ありがとう。柊真は本当に優しいわね。お父さんそっくり」
そう言って目を細める母さんは、俺に父さんを重ねているのかもしれない。
「特に優しくもないよ。普通」
「優しいわよ。いつか、いい人と巡り会えるといいわね。どんな人と巡り会えるのかしら」
「母さん。俺、好きな人がいるって言ったじゃん」
「そうだったわね。その人がそうだといいわね」
颯矢さんが巡り会う人ならいいのに。きちんと失恋させてくれないけれど、もう失恋したも同然だな、と思う。そう考えると鼻の奥がツンとする。やばい。今日はこれから仕事なのに。
「今日、仕事は?」
「これから」
「じゃあ泣いちゃダメよ。目赤くなるし腫れるから」
「わかってる」
颯矢さんのことになると、途端に泣き虫になる。男なのにみっともないな。
「ごめんね。母さんが余計なこと言っちゃったわ」
「そんなことないよ」
「あんた、時間はまだ大丈夫なの?」
母さんにそう言われて時計を見ると、事務所に寄るならそろそろ行かなければいけない時間だった。
「この後事務所に少し寄るからもう行くね。ごめんね、ゆっくりできなくて」
「そんなのいいわよ。お仕事忙しいのはいいことよ」
「うん。ありがとう。また来るね」
「待ってるわ」
そう母さんに見送られて、俺は病院を後にした。
ともだちにシェアしよう!