あの時の俺には、涼真に縋り付くしか道が残されていなかった。 　あの日以降、女の欲情した場面を見ると、それが映画だろうがアニメだろうが怖気立つ。だからと言って、男が好きになったのかと聞かれたら、そういう訳じゃない。 　でも、涼真は明るくて優しくて、俺が情緒不安定になって泣いたり物を投げたりしても怒らなかった。優しくキスしてくれた後、俺を抱いては可愛いと言ってくれた。 　涼真にすっかり躾けられた俺は、もう誰かを抱きたいとは思わない男になった。女みたいに股を広げて男のブツを受け入れるのが、今の俺のセックスだ。 　時折甘えた様な喘ぎ声が出てしまう時は、俺はあいつらみたいな女になったつもりはねえぞと指を噛んで、声を抑えた。 　いつからだろう。そんな優しい涼真の役に立ちたいなと思い始めたのは。 　涼真が喜ぶならと、セックスの時は積極的に動いた。涼真のエロい顔を見ると、俺は必要とされているんだって気持ちになれた。 　更に、俺は率先して家事を行なうようになった。涼真は出会った時はすでに社会人で、バーのスタッフをしていて忙しい生活を送っていた。俺が家事をこなすと、涼真は眠たげな目をして俺の頭を撫でてくれた。 　俺はここにいて役に立てている。そのことが、途轍もなく嬉しく思えた。 　いつか涼真の働く店に飲みに行きたいけど、今のようなヒモ生活じゃそれもできない。 　実家から離れて暫くが経ち、突然泣いたり当たり散らしたりと発作的に情緒が乱れることも減った頃、俺はバイトをしようかと考え始めた。人を怖がっている場合じゃない。自立していないお荷物だと、涼真に思われたくはなかった。 　元の仲間や家族と偶然会ったらどうしようとも考えたけど、涼真が暮らすマンションがある駅は俺の実家がある駅とは違って住宅街に近い。駅前も大して栄えてない各停しか停まらない駅なので、ここに住んでいるか用事がありでもしない限り、まず下車することはない筈だ。 　涼真と出会うまで、俺だってこの駅に降りたことはなかった。 　だったら大丈夫かな。涼真が笑顔で背中を押してくれたこともあり、俺はこの駅に絞ってバイト先を探した。 　そして採用になったのが、今も働いているコンビニだ。 　店のオーナーは、この辺の地主だとかいう笑顔がお地蔵さんみたいな皺くちゃのおばあさんだ。優しい老婆がオーナーだからか、店のスタッフもみんな比較的のんびりとした穏やかな性格の持ち主が多い。 　涼真以外の人間と交流をするのは、正直言って怖かった。また裏切られるんじゃないかとつい考えてしまうから。 　なら、心を許さなければいい、表面上の付き合いをしていけばいいと自分に言い聞かせて、バイトを始めた。 　そんな風にツンケンした態度しか取らない俺を、元からいたスタッフは何だかんだ言いながら手厚く面倒をみてくれた。 　なんだ、人間て悪いヤツばっかじゃないじゃん。 　そう思い始め、一年半が経った今、ここは俺の憩いの場に変容していた。 　コンビニの明かりが見えてくる。 　今日シフトに入っているのは、大学三年生の細木(ほそき)史也(ふみや)だ。背が高いけど、ひょろりとした印象がある男。 　名前の通り細い木に見えるし、顔の作りは悪くないんだけどやっぱり細い目は少し垂れていて、喋り方も穏やかだから枯れた爺さんみたいだなって思っているのは内緒だ。 　細木は穏やかで、俺に対してもいつもにこにこと細い目を細めてくる。深夜シフトに入っていることが多いのであまり重なることはなかったけど、いいヤツな印象の男だった。 　そんな奴に、泣いていたなんて思われるのは癪だ。 　コンビニの眩しい白色が当たらない暗がりで一旦立ち止まると、袖で涙を念入りに拭いた。 　それにしても、と溜息を吐く。 　よりによって、あれはない。 　俺が女が盛るのを見ても嫌悪感しか抱かなくなった原因のふたつの内のひとつが元カノ、いや元セフレだけど、のやってる現場に遭遇したからなことは知っていたのに。なんでよりによって同じ様なことをやってみせたのか。 　例の彼女と違うのは、涼真にとっては俺の方がまだ本命だったっぽいところだ。そこがまだギリ俺の最後のプライドを保たせてくれていた。つまり、振ったのは俺。見限ったのも、俺。 　だからって、これの所為でもう男から抱かれるのも駄目になったらどうしてくれるんだと考えて、そもそも涼真以外の男に抱かれたことなんてないことに思い至った。 　――俺って他の男に抱かれても平気なのか？ 　愕然とした。考えたこともなかった。 　だったらせめて、前にふざけて二人で作った涼真のディルドだけは持ってくるんだったと思っても後の祭りだ。 「あーもう……ぐしゃぐしゃ」 　頭を抱えて、中身がぐちゃぐちゃついでに髪の毛もぐしゃぐしゃにしていたら、自分がヤることしか考えてないように思えて溜息が出た。 　でも、お陰で涙は引っ込んだ。 　とりあえず、もう当分セックスはいい。恋人もいらない。 　もう裏切られるのはうんざりだった。 　頬をパン！　と叩くと、ボストンバッグを背負い直す。コンビニの明かりに向かって歩き出した。 　レジには誰も立ってなくて、雑誌のコーナーで作業をしている細木の姿が見える。あまり夜間に客がこないこのコンビニでは、深夜シフトは基本ワンオペだ。 　細木なら、俺が休憩室でごろ寝してても文句言わないだろうな。 　自動ドアを潜ると、細木が俺を見て「え？　どうしたの？」と笑顔になる。 　たったそれだけのことなのに。 　細木の笑顔にホッとしてしまい、取り繕おうと止めた涙が再びぼたぼたと落ちていったのだった。