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7 誕生日の朝

 交代の二人が休憩室に入ってきて、俺は目を覚ました。  二人とも朝シフトによく入るバイトで、俺とも普通に会話する人たちだ。  人に裏切られた経験とその後暫く続いた情緒不安定のせいで、人と以前の様に何も考えず気軽に話せなくなった。  それでも、その中でも細木史也と同様、この人たちはまだ気負わず話せる方だった。程よい無関心という距離感があるからかもしれない。 「あ、起こしちゃった? ごめんなー!」  椅子をふたつ繋げて寝ていた俺の顔を上から覗き込んでいるのは、井上さんだ。背だけじゃなくて全体的に小さいけど、俳優の卵なだけあって顔が整っており、女子にそこそこモテる。 「あ、いえ、こっちがこんな所で寝てるのがいけなくて」  慌てて起き上がると、こちらも朝シフトに入っているベトナム人のファムくんがにこにこ顔で「おはようございます」と挨拶をしてきた。 「あ、おはよ、ファムくん」 「あはは、斎川サン寝癖ついてるよー」 「え? あ、本当だ、あはは」  留学生で、とっても勤勉な黒縁眼鏡がトレードマークの男の子。多分俺と同い年くらいだ。 「斎川サン、今日から細木サンとルームシェア聞いたよ。いいね!」  ファムくんが、ニカッと白い歯を見せてくれる。なるほど、ルームシェア。そういう話にしてくれたのか。つくづくあの細木史也の配慮には頭が下がる。 「そ、そうなんだ! 俺が転がり込む形なんだけどね」  井上さんが、着替えながらしみじみと言う。 「家賃って馬鹿にならないからなあ。気が合う奴じゃないとルームシェアって喧嘩だらけになるからさ、俺は今まで何度か失敗したよ」  言われてみれば、細木史也とは話すけど、いい人そうだなあということ以外何も知らない。細木史也の誘いのまま居候を決めたけど、お互いすぐに嫌気が差したらどうしよう。  ファムくんが、井上さんに向かって言った。 「細木サンも斎川サンも気遣い出来ますネ。ああいうのは、我儘言う奴ひとりいると周り我慢してダメになる」 「あー、俺潔癖だからさー」 「じゃあ井上サン原因じゃないの」 「そうかもー!」  あはは、と井上さんが頭を掻いた。どうしよう。俺、細木史也のこと、何も知らない。あの人に窮屈な思いをさせて嫌われたら、俺は――。  嫌な考えに支配されそうになったその時、休憩室のドアがカチャリと開いた。  ひょっこりと細木史也が顔を覗かせる。 「悪い、ちょっとどっちかでいいからレジお願いできる? 急に並んじゃって」  お互い顔を見合わせた井上さんとファムくん。ひと足先に着替え終わっていた井上さんが、パッと外へ向かう。 「ファムくん時間までそこにいていいからな」 「着替えたら行くヨ」  パタン、とドアが閉じられる。この忙しい波が過ぎたら、いよいよ細木史也の家に行くことになる。  さっきまで呑気に寝てた癖に、急に落ち着かなくなってきた。  着替えを整えているファムくんに尋ねる。 「あのさファムくん。俺ってちゃんと気を遣えてると思う?」  ファムくんは大袈裟に目を大きく開くと、こくこくと頷いた。 「ルームシェア心配? 大丈夫だヨ、斎川サンは相手のことよく見てるからネ」 「そ、そう。ありがと!」  あは、と笑うと、ファムくんはニコニコしたまま休憩室から出て行った。  びっくりした。確かに俺は、相手がどんな奴かを観察しながら過ごしている。裏切られるのが怖くて。もう二度と騙されない為に、相手の表情の中に片鱗がないかを探って。  そうしていることを、周りからは気付かれていないと思っていた。それをあっさりとファムくんに見抜かれていて、驚いた。  ――そう、俺はちゃんと他の人にはそうしてきたのに。  俺は馬鹿だ。涼真の中にこそ、裏切りの芽を探すべきだったのに、それを怠った。  もしかしたら俺が意識していなかっただけで、おかしいなと思うこともあったのかもしれない。だけど、今度は大丈夫、涼真は俺を拾ってくれた優しい人だからそんなことないからって、他の人には向けていた猜疑の目を、涼真にだけは向けなかった。  目を瞑って尽くしていたら、憐れんでずっと傍に置いておいてくれるとでも信じたかったんだろうか。  我ながら、反吐が出そうなくらい情けない思考回路だ。    だから、今度こそ。細木史也に関しては、妄信的に信じるのはやめよう。いくら細木史也がいい奴だって、ひとりの人間だ。反りが合わなければ、人を嫌いになることだってあるだろう。  そしてそれは、別に悪いことじゃない。合わない人間と我慢して過ごすことが精神的にかなりくるのは、自分と家族との関係で実証済みだ。  信じなければ裏切られない。悪いけど、細木史也の人の良さを利用させてもらう。だったら俺は、何があってももうきっと何も感じないだろうから――。  椅子に座って俯きながらそんなことを考えていると、ガチャッと勢いよくドアが開いた。 「斎川くん、お待たせ!」  細い目を半円にさせて、細木史也が手を前に合わせて謝る。 「ごめん! 急に混んじゃってさ! さ、ファミレス行こうよ」 「あ……うん、そうだね」 「今は何フェアやってるんだろう? 苺食べたいなあ」  本当は迷惑でしかないだろうに、急いで着替えている細木史也の背中を見ていると、自分の矮小さに消え去りたくなった。  着替え終わった細木史也が、にこやかに振り返る。 「さ、行こう!」  大きな手を差し出され思わず掴むと、ぐんと引っ張られた。俺なんかより、身体も器も何もかも大きな男。  細木史也が、はにかんだような笑顔を見せる。 「荷物貸して」 「え、あ、いや、それくらい自分で……」 「誕生日でしょ! ほら貸して!」  細木史也は俺の手からボストンバッグを奪うと、俺の背中を押して外へと連れ出していったのだった。

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