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15 大晦日
正直言って、俺はビールが苦手だ。
涼真は出会いの時に俺にビールを振る舞ってくれただけあって、根っからのビール党だった。
だから家に置くのはいつもビール。涼真は俺がいつも一本しか飲まなかったのを、酒が弱いせいと思っていたんじゃないか。
思うに、俺の舌は苦味を美味いと思えるほど大人になり切れてないんだろう。コーヒー然り、ビール然り。
涼真が気分を悪くしないようにと気を遣ったつもりだったけど、いざ離れてみると、自分が如何に涼真の顔色を伺いながら過ごしていたのかがよく分かる。
俺は本当に涼真が好きだったのか。格好よくて明るい涼真の隣に置いてもらえる俺というポジションを、ただ守りたかっただけなんじゃないか。
涼真に笑顔を向けてもらうと、嬉しかった。だけど、それって涼真の笑顔が好きだったからなのか。ただ、今日は機嫌がよさそうだって安心してただけなんじゃないか。
勿論、涼真だって俺に優しい時はあった。二人で笑い合うことだって沢山あった。
でも。
涼真を怒らせて、飽きられて、もうお前なんていらない、出ていけと言われたらどうしよう。
そんな狡い寄生虫な考えが、涼真に意見を言う気持ちを俺から奪った。
世の中の専業主婦や子供は、どうして養われてる癖にあんなに堂々としていられるんだろう。どうしてそこにいて我儘を言ってもいいって信じられるんだろう。
考えて考えて、気付く。あの人たちは、自分に価値があると思っているからだと。必要とされて、愛されているから、だから当然の権利だとばかりに自己主張することができるんだと。
その気付きは、俺の中にあった疑問をするりと解決してくれた。
そうだったんだ。俺は、愛されている自信がなかったんだ。だから、必要とされる為に甘えて抱かれて、頼るようなことを口にして、家事を率先して行なった。
考えてみたら、涼真はヤッてる時に可愛いと連呼したけど、俺のことを好きとか愛してるとか言ったことは一度だってあっただろうか。
俺ばっかり、好きって言ってた気がする。言って涼真が嬉しそうにニヤつく顔を見て、涼真もきっと俺のことが好きなんだと思っただけ。
そこまで考えて、もうすぐ涼真の家から出て三週間になるというのに、未だに涼真のことを思い返しては気落ちしてばかりいる自分に嫌気が差してきた。
隣で半纏 を着ながら紅白を観ている史也の横顔を見る。
目と同じで細めの頬は、今はほんのりピンク色に染まっていた。
ちゃぶ台の上に置かれているのは、スーパーで安売りしていた白ワインだ。
俺がビールが嫌いなことを最初に酒を飲んだ時に気付いた史也は、何なら美味しく飲めるのかを知らなかった俺の為に、白ワイン、赤ワイン、ピンク色のスパークリングワイン、日本酒に焼酎、梅酒にカルピスサワー、と山のように買い込んできた。
ワイングラスなんて洒落た物はない。ファミレスにある水用のグラスと似たようなグラスに、まずは白ワインから注いだ。
俺が苦いのが苦手だと気付き始めた史也が選んだのは、甘めのドイツワインだ。……滅茶苦茶甘い。でも美味しい。
「史也」
「ん?」
細目を三日月みたいに緩ませて、史也が振り返った。目線を、足を崩して座っていた俺の足許に落とす。
突然、そこそこ大きな声を上げた。
「あっ!」
「え? なに」
史也の声は、余裕がなくなると大抵大きくなる。俺は何か落としてるのかと自分の膝の上を見た。でも別に何もない。史也が掛けろと言って寄越した迷彩柄のフリースのひざ掛けがあるくらいだ。
「足がはみ出てる! 風邪を引いたら大変だ!」
俺は保険証も持っていない。それを同居当初に知った史也は、俺を病気にさせない為にとにかく細かく世話を焼く。
「は? いや、別にだいじょ……」
「遠慮しない!」
史也はそう言うと、何となく膝の上に乗っけていたひざ掛けを大きく広げ、俺の腰回りにふわりと巻いた後に隙間なく空間に詰め始めた。おかんがいるよ。
「ぷ……っ」
可笑しくなるくらいに、史也の言動はいつも俺を温めてくれる。甘えちゃ駄目だ、これを当たり前だと思っちゃ駄目だ、いつかは手放さないといけない関係なんだからと自分に言い聞かせていても、俺の気持ちはどんどんこのお人好しのおかんな男に向いていってしまっている。
駄目だ、よくないと分かっているのに。史也は、ただの親切から俺を居候させてくれている普通の男なんだから。
「はい、これで大丈夫。肩は寒くない? もう一枚出そうか?」
「これ以上は雪だるまみたいに着ぶくれしちゃうよ」
「陸は肉が薄いから心配なんだよ」
グラスを片手に持ち、頬杖をついて俺を柔らかな笑顔で見る史也。俺はお前に邪 な気持ちを抱 きつつあると言ったら、この笑顔は崩れるだろうか。
涼真の家から飛び出したあの日、もう恋人なんていらないと思った。その気持ちは今も変わってはいない。人を愛しても、愛されるとは限らないことを知った。人に愛されるのがどういうことか、分からなくなってしまった。
だから、俺は気付かなかったふりをすればいい。
史也はただの友人で、お節介でお人好し。寄生虫の俺にいいように使われている可哀想な奴と思えばいい。
「……で? どうしたの?」
ようやく話が最初に戻った。苦笑しながら、聞こうと思ったことを改めて尋ねる。
「史也はさ、実家は帰らなくて本当によかったの?」
今年は俺がいるから、それで帰省しづらかったんじゃないか。
すると、史也が言う。
「今年は陸がいるから」
「……なんかごめん」
史也は、慌てて顔の前で手をブンブン振った。
「違うよ! そういう意味じゃなくて!」
なに、どういう意味。頭悪いから分からないよ。
「……こっちで年越しを一緒にする相手とかずっといなかったし、初詣もこっちで行くの実は初めてで、実は結構前から楽しみにして……へへ」
照れ笑いをする史也の顔。その顔は卑怯だ。俺のぺしゃんこになりそうになっていた気持ちが、図々しくもまたぷっくりと膨らんできちゃったじゃないか。
「こっちは人が多いみたいだからさ、明けてすぐは避けて、朝おしるこ食べてからゆっくり行こうよ」
「……うん」
「陸はおしるこのおもちは茹でる派? 焼き派?」
「分かんない……餅入りを食べた記憶、ない」
史也は一瞬止まった後、俺の頭をポンと撫でた。
「ワイン美味しい? どう?」
気遣い屋の史也。どうやったら好きにならずに済むんだろう。
「美味しい! おかわり!」
「よーし! 年越し前に寝るなよー!」
「大丈夫だって!」
グラスに注がれるワインの水流が綺麗だなあと見つめながら、幸せな気持ちのまま年を越せそうだなあ、と安堵を覚えた。
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