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45 ぎこちない親子
史也は父さんを起き上がらせると、ちゃぶ台の前に座らせた。
俺の隣、父さんの正面に座ったのは、史也だ。史也は、俺を背に庇うようにして座ってくれた。
多分、俺が不安な表情になっていたからだろう。相手は害もない自分の父親なのに、情けないとは分かっていた。だけど、どうしたって怖かった。
また否定の言葉を聞かされるんじゃないかと思うと、胸に石が詰まったみたいになって動けなくなった。一度は思い切り突き放されたから、二度目はきっともう耐えられない。
父さんが目の前に突然現れて、床に頭を擦りつけながら泣いて謝ってきた。だけどそれすら嘘だろうって思ってしまうのは、三年前の苦しかった思いが、三年の間に俺の身体に染み付いてしまったからなのかもしれない。
俺は、父さんを信じられないんだ。俺が何を言ったってこの人は俺よりあの継母を選ぶんだと、侮蔑の目で俺を見る義妹の方を取るんだと、あの時俺の脳みそに刻まれてしまったから。
だから、余計謎だった。今更一体何をしにきたんだよ、と。
色欲まみれの継母があの家にいる限り、父さんと仲直りなんてするつもりなんてない。たとえ史也が望んだとしてもだ。
そもそも、なんで史也は父さんと会ったんだろう。俺がどんな目に遭って家出することになったのか、史也は知っているのに。
そこで、ハッと気付いた。そうだ、簡単な話じゃないか。俺が駅で父さんを待ち伏せしようとしたのと、きっと同じ理由だ。
目的はそう、俺の戸籍抄本。身分証のない俺は、自分で住民票を取りに行くこともできない。そのことによって被る不利益は相当だ。
史也はきっと、市役所に問い合わせたんだろう。それできっと、駄目だって言われた。だから父さんを探して、俺の身分証明書を持ってこさせたんじゃないか。
そう考えたら、父さんの話を聞く気力が少しだけ湧いてきた。元々は自分で何とかしようとしたことなんだから。
どんなに酷いことを言われても、身分証明書の受け渡しが済めば、もう用はなくなる。
だから――怖くない。もう俺には史也っていう大切な恋人が傍にいてくれるんだから。
史也の背中側の裾をきゅ、と摘むと、父さんに向き直った。
「……それで?」
三年ぶりに会った父親に対する第一声にしては、我ながら冷たいものだと思う。だけど、他になんて声をかけたらいいか分からなかった。
父さんは相変わらず潤んだ目をしていたけど、それをハンカチでグシグシと拭うと、背筋を伸ばしてちゃぶ台の上に封筒をスッと置いた。
「まずなんだが……陸、ずっと病院もいけない状態だったって史也くんに言われて、これを渡してほしいって頼んだんだが、直接渡してと言われて……。そうだよな、俺はなんでよその子にそんな大事なことを頼もうとしてるんだって、自分が嫌になった」
「……なにこれ」
恐る恐る封筒を手にとり覗いてみると、真っ先に目に映ったのはマイナンバー通知カードだった。これがあれば、何とかなる、やった! と内心喜ぶ。
思わず史也を見上げると、多分ずっと俺の反応を見守っていたんだろう。細目を更に細めて微笑みながら、小さく頷いてくれた。……嬉しい。後で沢山お礼を言おう、と心に決める。
その他にも、まだ色々と入っていた。封筒からひとつひとつ取り出してみる。俺の名前が記載された健康保険証。父さんの会社の保険組合のやつみたいだ。払った記憶のない年金手帳にも、俺の名前が書いてある。
それに……俺が前に使っていた銀行のキャッシュカード、それと通帳に印鑑もあった。昔バイトしてた時に使っていたやつだ。勝手に使われてなければ、二十万円くらいは入ってたと思う。あの継母なら、通帳と印鑑を持って下ろしてそうだけどな、と勝手に想像して苛立ちながら通帳をぺらりとめくると、……え。
毎月、父さんの名義で五万円振り込まれていた。一体いつからだよと思って見てみると、俺が出て行った次の月から始まっている。今の銀行残高は、軽く二百万円を超えていた。
なんで。どうして。
驚きながら父さんを上目遣いでちらりと見ると、父さんはまた泣き出しそうな目で俺を見て唇を噛み締めた。……訳、分かんない。
だけど、銀行のキャッシュカードが手元に戻ったのは凄く助かる。これまで、結構大変だったからだ。
今のコンビニの給与は、銀行口座が作れなくて現金で受け取っていた。お婆ちゃんのオーナーは、「昔はみんなこういう風に受け渡ししてたのよねえ。懐かしいわあ」なんて言ってくれていたけど。それでも、タンス貯金しかできないのは相当不便だったのだ。
これで、これで俺もようやく自由に独り立ちできるんじゃないか。嬉しさがじわじわと込み上げてきて、史也の尽力に胸が震えた。
封筒にしまって膝の上に置いた俺を見て、父さんが時折鼻を啜りながら震える声で話を再開する。
「住民票は、今もあの家のままにしてあるけど、お前が今すぐ移したいなら移してくれても構わない……でも、頼む……!」
「……何を」
枯れたような声しか出なかった。本当に、これ以上何を求められているのか分からない。お金を振り込み続けたのを感謝しろとか、そういうの? だからあの女と仲直りしないかって?
だったらこの金は即座に返してやる。元々ない筈だったものだから、痛くも痒くもないし。
「その……っ」
父が拳をギュッと握り締めるのが見えた。なんだよ、その自分は苦しみましたみたいな態度は。俺だって、俺だって、物凄く大変だったんだ。何年もずっと。
「だから、何を」
苛立ちを乗せた詰問が口を突いて出た。
俺だって好きで家出したんじゃない。だけど、しないともう限界だった。これ以上は耐えられなかったから家出したのに。
父が、痩せた肩を力なく下げた。
「お前は聞きたくもないだろうが、頼む、聞いてほしい……! あの後何があったのかを」
「……」
俺がじっと父さんを見つめて答えないでいると、史也が膝の上の俺の手の甲をぽん、と撫でる。
「陸、俺がいるから」
史也にそう言われ。
ここまでしてくれた史也に、応えてあげたい。そんな気持ちが湧き起こり。
「……分かった、聞くから早く話してよ」
上目遣いだし偉そうな口調になったけど、頑張って父さんにそう返した。
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