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第15話 また来年も

 触れた柔らかな唇。ゆっくりと目を閉じてさらに、もう一度、触れれば口先にふんわりした熱を感じた。けれど柔らかな感触を堪能しようと、さらに踏み出したら、突然頬にぺしんと衝撃が走る。 「みゃっ!」 「にゃむ、酷いよ。いまいいところだったのに」  深く唇を合わせようとしたところで、横っ面に猫パンチを食らわされた。なおも繰り出される攻撃に、ため息をつけば、志織は吹き出すように笑う。  けれど抱きかかえた愛猫を、ぎゅっと腕に閉じ込めて、三度目のキスを唇にくれた。  それに機嫌が上向いた雄史は、誘われるままに手を伸ばし、彼の頬を撫で、髪を撫でる。引き寄せるように力を込めれば、口づけが深くなった。  何度も触れてついばむと、舌先で舐めてその先を請う。  そしてうっすらと開かれたそこに舌を滑り込ませて、角度を変えながら口内を優しく撫で上げた。次第に舌先に唾液が絡んでぴちゃりと水音がする。 「んっ、ゆ、う……し」  片隅でとんと小さな足音がした。彼に手を離された彼女は足元で文句を言っているけれど、それは無視をしてさらに深く押し入った。すると震えた指先がシャツを握ってくる。 「志織さん、可愛い」  口の中を散々に貪ってから唇を離せば、欲に濡れた瞳に見つめ返された。口元が唾液で濡れてひどくいやらしく見える。  その表情に雄史は無意識に、ニヤリと口の端を持ち上げてしまい、気づいた志織に眉を顰められた。 「ごめんなさい、志織さんのそういう、ちょっとえっちな顔、好き」  恥じらって視線を落とす彼をなだめるように、指先で頬を撫でて、鼻先にもキスをする。そうすると持ち上がった瞳が、縋るみたいにまっすぐに見つめてくる。それがたまらなく胸を熱くさせた。 「俺、最初から志織さんの好きの可能性に入ってたんですね。良かった」 「……雄史、俺がなんの下心もなく、優しくしたと思ってるのか?」 「え、あ、えっと、……あっ! それって、もしかして、いや、もしかしなくても、あの優しさって下心?」 「まさか本当に、手に入るとは思っていなかったんだけど、人生なにが起こるかわからないもんだな」  しみじみと呟き、至極嬉しそうに笑うその顔に、頬が熱くなって耳にまで熱が移った。初めて目が合った時、じっと見つめ返されたのは、そういう意味があったのか。  けれどそう思うと、雄史の心に照れくささと、嬉しさがいっぺんに押し寄せてくる。 「あの、俺の、どんなところを、気に入ってくれたんでしょう?」 「うーん、見た目?」 「えっ? それだけ?」 「あとは、まっすぐで素直そうなところ? 優しくて笑った顔が可愛いところ」 「格好いいところはないんですか?」 「……っ、あるよ。……たくさん」 「たくさんとか、嘘ですよね? なんかすごい笑いこらえてる」  肩を震わせている志織に疑いの眼差しを向けると、こらえきれなくなったのか思いきり笑われた。それはもう盛大に。  そんな反応に思わずムッとしてしまいそうになるけれど、彼の笑顔を見ていると、その気持ちも急速にしぼんでいく。 「笑い過ぎですよ。……でも、俺も志織さんが笑ってるところ、可愛くて好きです。見てるとすごい胸が温かくなります」 「いや、やっぱり俺に可愛いは、あんまり」 「似合わないとかないです。だってすんごく可愛いですもん。俺、初めて志織さんが笑った顔を見た時から、可愛いなって思ってました」 「えっ?」 「志織さんって、可愛いですよね」  笑い過ぎで涙目になっていた顔に、驚きの表情が浮かぶと、頬が真っ赤に染まった。見る間にシャツの隙間から見える首筋まで赤くなって、こちらを向いていた目が泳ぐ。  今度は雄史が吹き出すように笑ってしまった。  じっと見つめれば、恥ずかしさが増してきたのか、顔をそらそうとする。それを追いかければ、身体ごと逃げ出そうとした。 「可愛い」 「……もう、言うな」 「駄目です。だって可愛い」 「雄史こそ、見た目、だけじゃないのか?」 「え? なんですか?」  完全に背を向けられてしまったが、後ろから腕を回して顔をのぞき込むと、耳が赤くなっているのがわかる。さらにそこへ唇を寄せれば、大げさなくらい肩が跳ね上がった。 「俺のどこが、良かったんだよ」 「志織さんのいいところ? えーっ、いっぱいありすぎる。優しくって格好良くって、気遣いができて、可愛くて、料理が上手でしょ。ケーキもおいしいし、猫好きなところも可愛いし、性格も可愛いし、見た目も可愛いし、いいところが多すぎて、好きにならないほうがおかしい!」  実際のところは、彼の見た目であるのは確かだったけれど、それでだけではなかった。それは優しいとか格好がいいとか、言葉で伝えるには少し難しい。  人としてまっすぐであるところ、思いやりがあり人を労れる器量があるところ。  自分にないものを持っていたからこそ、雄史は惹かれた。正しく言えば、羨望や憧れが先だったけれど。  だがたとえ下心があったのだとしても、初めて会った人物にあそこまで心を砕ける人は、そういないだろうと思える。 「も、もう……いい」 「んふふ、照れてる志織さん、たまんない」 「雄史、放せ」 「嫌です。ちゃんと好きだって、信じてくれるまで離さない」 「信じてる。信じてるから」  ぎゅっと力を込めて抱きしめて、背中にぴったりとくっついたら、微かに胸の音が伝わってきた。少しばかり忙しない音。  自分の言葉、行動一つに翻弄されるそれがひどく愛おしい。  ぬくもりにすり寄って、雄史はしばらくその音に耳を傾けていたが、ふいに空気を壊すような情けない音が響いた。 「すごい音」 「んー、そういやご飯まだでした。志織さんとクリスマスって浮かれてて、すっかり忘れてました」  緊張で固まっていた身体から力が抜けて、その身体越しに笑っているのを感じる。なんだか笑われてばかりだと思うけれど、本能には逆らえない。  回していた腕を軽く叩かれて、渋々雄史は一歩後ろへ下がった。 「もう日付も変わりそうだな。気づかなくて悪かった。なにか作ってやるよ」 「ぜひお願いします」 「ツリーはほぼ完成か?」 「はい、電源を入れてみましょうか」 「うん」 「あっ! こらこら、にゃむ、ちょっとそこどいて」  早速とツリーを振り返ると、ふて腐れたにゃむが、床の段ボールに八つ当たりをしているところだった。その小さな身体をよけて、雄史はイルミネーションのプラグをコンセントに差し込んだ。  するとぱっと色とりどりの光が灯り、ツリーがピカピカと瞬き始める。  照明の光を少し絞れば、途端にクリスマスの雰囲気が増して、気持ちが盛り上がった。隣にある手をぎゅっと握り、しばしそれを二人でまじまじと見つめる。 「ツリーを飾り付けるなんていつぶりかな。いいですね、季節感があって」 「一人暮らししてると、普通ツリーなんて飾らないよな」 「また来年も、俺が飾りますね」 「……ああ、そうだな」  抜け目なく来年の約束を取り付けたら、ほんの少し驚いた顔を見せたあと、愛しの人はふわっと綻ぶように笑う。  それは見ているだけで、ひどく胸が高鳴ってしまうほど可愛くて、好きの気持ちを噛みしめると、見つめてくる彼に、もう一度だけキスをした。

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