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第17話 恋人のお誘い

 口づけだけで、蕩けてしまった彼を見下ろしながら、首筋を指先で撫でればピクリと肩が跳ねた。溢れた唾液がこぼれて、伝い落ちるそれが唇や顎を濡らす。  瞳に熱を灯らせている、その様子に雄史は気持ちが振り切れそうになった。 「志織さん、もうスイッチが入っちゃったんですか?」  両腕を差し伸ばされて、引き寄せられるままにもう一度唇を合わせる。深く押し入れば、首元に回された腕に力がこもった。唇に触れる呼気も、絡んだ舌も熱を帯びていて、ひどく彼が興奮しているのがわかる。  それを感じるとその熱が移るように、雄史の気持ちも昂ぶりだす。 「お風呂、やっぱりあとにしましょう。ちょっとさすがに俺、我慢できないかも」 「……ん」  付き合い始めてから、少しずつ触れるようになった彼の肌。それを想像してゴクリと唾を飲み込めば、目の前の唇がゆるりと弧を描く。  そしてまるで挑発するみたいに、指先で一つずつ外されていくボタン。その仕草に気持ちは呆気なく大きく振り切れた。 「雄史、出てる」 「え? え? なに?」 「ほら、鼻血」 「ああっ、もう! ごめんなさい。すんごくいいところだったのに!」  艶を帯びていた瞳が愉悦の色に変わる。その変化に気づいた時には、鼻にティッシュを宛てがわれていた。  肝心の場面で決まらない自分の失態に、雄史の肩が落ちる。笑いを噛みしめられて恥ずかしさが増した。 「もう一回、もう一回、仕切り直ししてください」 「……、可愛いな」 「それって絶対に意趣返しでしょう! もう!」 「しーっ」 「んっ」  焦れったくなって、思わず声を大きくしたら、伸びてきた指先に唇を抑えられる。その意図が読めずに目を瞬かせると、志織は雄史の背後を指さした。 「にゃむが起きるから」 「あっ、はい。静かに、します」  指の先では、腹を満たして満足しきった彼の愛猫が、寝床ですやすやと寝ている。  ここで起きて邪魔をされてはたまったものではない。けれど努めて声を潜めると、ふっと吹き出すように笑われた。 「そこまで小声にならなくてもいい」 「だって、いま邪魔されたら俺、禿げ上がりそうです」 「……っ、それは困るな」 「ね、だから志織さん、もう一回」  笑っている顔が可愛いけれど、そろそろ我慢ができなくなってくる。笑いをこらえている手をそっとよけて、首筋に顔を埋めると志織は肩を震わせた。  その反応がたまらず、雄史は噛みつくようにそこへ歯を立てる。 「ぁっ、……ゆう、し、見えないとこ」 「大丈夫です。ちゃんと、見えないところにします」  やわやわと何度も首筋を甘噛みすると、慌てたように腕を掴まれた。それに口の端を歪めて、今度はきつく肌に吸いつく。  ちゅっとリップ音を立てて唇を離せば、鎖骨の傍に赤いうっ血の痕が残る。  少しばかりシャツの襟元をくつろげていても見えない、だけれどギリギリの場所。明日の朝、鏡を見たら眉を顰めそうなくらいの際どさだ。しかし怒られても痕を残したくなる。  本音を言えば、これは自分のものだと声を上げて主張したい。 「……ゆ、うし、もう、やめっ」 「駄目、もうちょっと。……よし、これで俺のものって感じ」  胸元や脇腹――肌にいくつものしるしを散らして、それを見下ろすと雄史は満足げに笑った。だがその表情を見上げる志織は、すでに息も絶え絶えで、肌が淡く紅潮している。  インナーをたくし上げて、するりと手の平で身体を撫でれば、うっすら涙の浮かんだ瞳で見つめ返された。 「志織さん、すごくえっちな顔してる。……可愛い」 「んっ、……雄史、待った」 「どうしたんですか?」  反応を確かめるように肌を撫でていると、ふいに身体をよじられる。その反応に首を傾げれば、志織は雄史の腕から逃れるように、身体を起こして後ずさっていく。  それでもそこにある表情は赤らんだ頬と、熱の灯った瞳。嫌がっているようには見えなかった。 「触られるの嫌でした?」 「違う」 「あっ! 足、痛くなってきた?」 「違う」 「どう、したんですか? ……志織さん?」  身体を起こした彼と向かい合うと、視線を外された。その反応に大いにしょげた顔を見せたら、伸びてきた手に腕を掴まれる。そして視線が戻ってきて、小さく囁かれた。 「ベッド」 「……んっ? あ、ごめんなさい! 床で背中が痛かったですよね。すみません、配慮が足りませんでした」 「いや、……そう、じゃないんだけど。とりあえず」 「え、っと、はい。移動しましょう」  なんとなく言葉が噛み合っていない気がしたけれど、そっと両手を握って立ち上がると、二人でベッドへと足を向けた。そうして普段、彼が寝起きしているセミダブル、そこに並んで腰かける。 「あの、志織さん。嫌な時は嫌って言ってもいいですからね。じゃないと俺、我慢が利かないし」 「そのことなんだけど。そこの引き出し」 「引き出し? ……って、志織さんっ!」  なにか言いにくそうに、口ごもる彼の指し示すままに、ベッドの棚に設えてある引き出しを開いて、雄史はあんぐりと口を開けて固まった。  そこに収められていたのはゴムのパッケージとローションのボトル。  これから睦み合うと言うならば、至極当然の存在だが、付き合って一ヶ月――いまだに二人はそこまで至っていない。 「駄目です駄目です! 志織さんまだ足が治ってないし、そんなことになったら俺、ほんとに我慢、絶対できっ、なっ」  湯気が立ち上りそうなほど顔を赤らめて、早口にまくし立てていると、雄史は思いきり腕を引っ張られた。さらにはそのままベッドに押し倒されて、色香を放つ恋人に見下ろされる。  急激に渇いた口の中を唾で潤してゴクリと飲み込めば、もうすっかり立ち上がって、痛いほどに張り詰めていた熱を撫でられた。その瞬間ぞわりと快感が広がり、身震いをしてしまう。 「するのか、しないのか。……正直に答えろ」 「……んぐっ、……し、したい、です。めちゃくちゃ、したいです。志織さんの中、入りたい」 「うん、お利口さん」  じっとのぞき込むように見つめられて、気づけば口が真正直に答えていた。けれどそれに満足したのか、にんまりと口の端を上げた志織の唇が近づいてくる。  ねっとりと触れた熱に、またふつりと雄史の中でなにかが切れた。  近づいてきた身体を組み敷いてまたがると、乱雑に自分の着ているものを脱いだ。その様子を、熱を持った目で見ている彼も、シャツとインナーを脱いで肌をあらわにしていく。  筋肉のついたしなやかな身体。それにそそられて、雄史は舌先で唇を濡らした。 「ん、んっ……」  若干の体格差があったとしても、抵抗を見せない身体は容易く押さえ込めてしまう。まだ赤い痕が残っていない場所に唇を寄せて、さらにその数を増やしていく。  きつく吸いつくたびにビクンと身体が跳ね、ますます気持ちを煽られる。小さくか細く漏れる声にひどく愛おしさが増した。 「志織さん、可愛い。すんごく愛おしいです」 「……雄史」  キスをせがむみたいに手を伸ばされて、ゆっくりと近づき、雄史は彼の唇を塞ぐ。興奮している志織の口内は熱くて、絡んだ舌先が溶けそうな気分になる。  夢中で口づけ合うと、触れたところから胸の音が伝わりそうなほど、ドクドクと鳴った。  キスするだけで、こんなに高ぶるなんてこと、雄史は初めての体験だ。それだけ彼が、志織が好きで好きで仕方ない、とも言える。  誘うように見え隠れする舌に、熱が高まって、また息継ぐ間も与えないくらいのキスをした。

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