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夏と恋と海

「あっち~クーラーつけてよタケちゃん」 留守番を言いつけられた春兎はうちわをあおぎながら愚痴った。 佐藤春兎は数か月前にこの廃れたゴースト・タウンで過ごすことになった。かくかくしかじかあって今は春兎の飼い主である杉本夏生と暮らしている。夏生が外出する時は夏生の友人である竹中友樹の店で留守番をすることになっていた。 海が綺麗で今日みたいな暑い日には泳ぎに行きたいが、危険な街だからと行かせてはくれない。自分には足があるが、踏み出せないのだった。 「ただいま」 「夏生さん、おかえり」 どうやらもう仕事が終わったらしい。夏生は警察官でありながら、悪い人たちと交友があり危険な仕事も請け負う。だから、留守番だと言われた時は憂鬱だった。早く帰ってきて。いつものようにおかえりと言って。 「留守番、ちゃんとできたみたいだな」 よくここを抜け出しては危険なことに巻き込まれるから、このようなことを言うのだろう。夏生は春兎の頭を撫でる。前の飼い主であり夏生の兄でもある春樹のように。 もう亡くなっているから春樹の手の平の感触は味わえないが。 「すねてんのか?これで機嫌なおせよ」 「それって何?」 「海パン」 「ただのパンツじゃん」 「海に入る用のだよ」 「ふーん。って海!海に入れるのか!でも、夏生さん仕事は?」 「今日は休みをもらった。だからお前に夏を教えてやるよ」 「ほんと?やったー!!タケちゃんも来るよな。一緒に夏を楽しもうぜ」 「はいはい。楽しむ前にさっさと昼飯食べるぞ。腹が減っては戦はできぬってな」 「戦すんの?」 「もののたとえ。昔の誰かさんが言った言葉」 「ふーん」 春兎は竹中の店の掛札を裏返し店を閉めた。竹中も嬉しそうに片付けている。帰ってきた夏生は買ってきたそうめんをゆで始めた。 穏やかで楽しい日常だ。 「ごちそうさま。そうめんって美味しいんだな。」 「春兎はそうめん初めてか?」 「うん。いくらでも食べれる、これ」 「そうかいそうかい。じゃあ、この後の反応も楽しみだな」 竹中は春兎がそうめんを初めて食べたことに驚かない。春兎の生い立ちを知っているから憐れんだりもしない。春兎には心地よい距離感だった。夏生とは違う。夏生と一緒に生活をするようになった時は距離感を手探りでつかもうとしていると思えば、いきなり土足で踏み込んでくる。今日も仕事で帰るのが遅くなると思ったが、昼から休みだという。 分からない。しかし、ニコニコしながら片付けを始める夏生を見るのは好きだった。 春兎は海パンに履き替え、海の中へ走った。さんさんと降り注ぐ光がまぶしい。だが、綺麗な海の青を際立たせていた。 「夏生、早く来いよ!」 「はしゃぎすぎんじゃねえよ」 サングラスをかけ、Tシャツ姿のままの夏生は海にかけだそうとする春兎の首ねっこをつかむ。待ちきれない春兎は夏生の腕を引き海へと連れて行こうとする。 「準備運動はしたし、早く入りたい」 「竹中が一緒に入ってくれるってさ」 「せっかく気持ちいいのに」 春兎は浮き輪にもたれながら頬をふくらます。夏生は無視をきめこみ木陰で寝始めた。海に足をつけると冷たくて気持ちいい。竹中も一緒に海に入ってきて、足がつかない場所までくると抱きしめてきた。 知っている。この男は春兎に気があり、夏生にはそのことを内緒にしている。竹中の手が強く春兎を引き寄せた。 「春兎は夏生のことがまだ好きなのか?」 「好きだよ」 「それなのに夏生は気づいていない」 「別にいいんだ。夏生には幸せになってほしいから。僕は死ぬまで片思いでかまわない。だから」 春兎は竹中を突き飛ばす。 「タケちゃんの気持ちには答えられない。どれだけ優しくされてもタケちゃんは友達で、どれだけ距離をとられても夏生が好きなんだ」 この気持ちは伝えないつもりだ。夏の思い出とともに過ぎ去ってしまえばいいのに。 「夏生は幸せ者だな」 「そんなことないよ、うわっ」 いきなり水を顔面へかけられた。 「春兎!やっとアイツがきたぜ」 タケちゃんの後ろからゆっくりTシャツを脱ぎ海へ入ってくる人影が見えた。 「夏生!」 「陸は暑いからな。だいたい、満足に一人で泳げないのになんでこんなところまで来てんだよ」 「別にいいだろ。それより遊ぼうぜ」 春兎は夏生に飛びつき、浮き輪は遠くに飛んで行ってしまった。夏生はやれやれというような表情で抱き留めてくれる。そうしてくれると分かっているから春兎は甘えられた。今の状況を、立場を利用するしか甘えられない子供だった。 「重いからさっさと離れろ、春兎!」 「僕が満足するまで離れない!」

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