2 / 7

 泊まっていくことを春杜自身の口から聞いた秋瀬は恋人冥利に尽きると言わんばかりにだらしなく表情を緩める。日焼けした目尻には笑いジワが深く刻まれ慣れた手付きで掛けた毛布ごと春杜をソファから抱き上げる。  秋瀬としても春杜と二人きりの時間を望まない訳ではなかった。鍛えている秋瀬の両腕へ簡単に収まる体格は女性と間違えるほどの軽さだったが、相手はれっきとした男性であり一目惚れした春杜との橋渡しを叶えてくれたのが冬榴だった。  春杜が冬榴を呼ぶと言えば秋瀬は拒否することが出来ず、中々春杜と二人きりになれないジレンマを抱えたままこの日も冬榴を交えた自宅パーティとなった。  それが春杜自身の口から泊まっていくと聞けた為、秋瀬の高揚感はこれまでとは比較にならなかった。愛する春杜を抱き上げ我先にと自らの寝室へ向かおうとする秋瀬だったが、呼ばれた客人でありながら一通りの後片付けまで任せてしまった冬榴を一人で帰らせることにも僅かな良心が痛む。 「お前帰り道気ぃ付けろよ。そこの公園最近変質者出るって周知来てただろ」  呼び出しが深夜であろうとも冬榴が今のように秋瀬の部屋へやって来られる理由のひとつが距離の近さにあった。必然的に地域情報はお互いに把握しており、帰り道の危険性を秋瀬は示唆する。 「そういや何かあったね、どうでもいいけど」  顔に張り付く前髪を手の甲で拭いながら冬榴は告げる。従来通りならば春杜の帰宅準備やタクシーの手配、無事にタクシーに乗るところまで甲斐甲斐しく世話を焼く冬榴だったが、春杜が秋瀬の部屋へ泊まっていくのならば冬榴がこれ以上長居する必要もなかった。  ソファという安定した寝床から逞しい秋瀬の両腕に抱かれた春杜はぼんやりと意識を覚醒させ、落ちないように秋瀬の首に両腕を回して捕まる。寝ぼけ眼であっても二人の会話は耳に入っていたらしく、鳴き声のように冬榴の名前を紡いでいた唇から理解出来る人語を絞り出す。 「えぇ……冬榴一人じゃ危ないんじゃなぁい?」  冬榴がひとりで真夜中に帰宅せざるを得ない状況を作り出したのは他でもない春杜自身であったが、悪びれる様子もなく秋瀬の首筋に擦り寄る春杜の姿は猫のマーキングのようだった。花のような香りが広がるのは春杜の元々の体臭か、これ以上ないまでに鼻の下を伸ばす秋瀬はふと思い出したとばかりに垂れがちな目を見開く。 「あ、そっか。夏井に送らせようや」 「え、ちょ」  自らはこれから春杜と寝室に向かう予定なので当然冬榴を送ることは出来ないが、自分が行けないならば他の者に行かせれば良いのだと秋瀬は浮かんだ名案に嬉しそうな笑みを浮かべる。反して冬榴は秋瀬の口から飛び出た言葉に動揺を露わにする。  僅かにフリーズした冬榴の思考はすぐに再起動し、秋瀬の提案が現実のものとなる前に帰ってしまおうとリビングへ置いたままの荷物を取りに向かう。 「おーい、なっつん! なーつーい!」  いち早くこの場を立ち去ろうとしている冬榴の思いなど露とも知らず、秋瀬の呼びかけにより廊下の奥の扉がゆっくりと開かれる。 「どうかしたの?」  冬榴の願いも虚しく部屋から出てきてしまった夏井は秋瀬のルームメイトであり、一人にしては広いこのマンションを二人はシェアして暮らしていた。  艶のある黒髪は目元に掛かるほど長く、それまで寛いでいたのか片手で眼鏡を掛ける仕草をしながら現れた夏井は、今正に両腕に抱き上げた春杜と共に寝室に入ろうとしている秋瀬とバツの悪そうな表情を浮かべる冬榴の顔を順に眺める。 「冬榴がこれから帰るっつうから、夏井送ったげてよ」 「サトシくんお久しぶりぃ」  秋瀬の腕の中で春杜はへらりと笑う。夏井も春杜が秋瀬の恋人であることは留意しており、泥酔して出来上がっている春杜に対しては軽く手を振って応じながらもその視線はぶれることなく冬榴へと向けられていた。 「ああ、なるほど――」  状況を把握した夏井であったが、送られるはずの冬榴は荷物を両手に抱え明らかに慌ただしく帰宅しようとしていた。夏井に送られたがっていないことは一目瞭然であったが、秋瀬に託された責任もある夏井は廊下の壁に寄り掛かりながら玄関で靴を履く冬榴の背中に視線を送る。既に秋瀬と春杜は寝室へと入ってしまい、ぱたんと扉の閉まる音が虚しく響いた。 「この時間だと碌にライトも付いてないし真っ暗でしょ」 「平気だって。じゃあ、春杜さん、秋瀬またねっ」  幾ら徒歩で十分の距離といっても閑静な住宅街の深夜は暗く静かだった。冬榴が自分を拒む理由を知っているからこそ夏井は慌てる冬榴の姿を見て口元を歪に緩める。

ともだちにシェアしよう!