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 幾度となく催され、もうその開催回数すら数えることを諦めた春杜は人々が捌けた後の大広間を夜風の涼しいバルコニーから眺めていた。  大広間の絢爛さから隔絶されたバルコニーはたった一枚のレースカーテンを画して夢と現を切り分けているようで、その静けさが春杜は好きだった。  グラスに残った赤ワインの表面を舌先でなぞる春杜は、現実から束の間の夢の中へと再び舞い戻るような錯覚に陥りながらそのレースカーテンに人影が近付いてくる様子に視線を向ける。 「樒さんっ」  カーテンを捲り顔を覗かせた冬榴は春杜の名前を呼ぶ。見付からないと思っていたのは春杜だけであり室内からは闇に紛れつつもバルコニーに佇む春杜の姿がしっかりと視認出来ていた。  それでも良く目を凝らさなければそこに人が居るとは中々気付けないもので、宴の主賓である春杜をようやく見つけた冬榴は一安心したついでに首元を締め付けるタキシードのネクタイを緩める。 「ああ、見つかっちゃった」  探し回られていた冬榴の思いなど露知らず、かくれんぼに負けた子供のように春杜は悪戯めいた笑みを浮かべる。  グラスを傾け残っていたワインを喉の奥へと流し込む春杜の姿を見つめながら冬榴は両肩を落とす。 「一人でどっか行かないでっていつも言ってるじゃないですか……」  空になったグラスを手すりに置き、春杜が手を伸ばすと冬榴はそれに従い歩みを寄せる。冬榴の頬に触れる春杜の指先はひんやりと冷たかった。 「パーティは苦手だって昔から言ってるだろ」 「そうですけど……」  冬榴の胸元に挿されていた薔薇の生花を抜き取った春杜は、その赤い花弁を小さな唇で食む。 「それにお前が女の人に声かけられてるなんて珍しいから遠慮しちゃった」  それが分かり易い建前であることを理解した上で冬榴は春杜の隣に並ぶようにバルコニーへ背中を預ける。 「――吾妻の人ですよ」 「あらそう、何かあったの?」  胸ポケットを探り、滅多に吸わない煙草を取り出した冬榴は手で風を防ぎながらその先端にマッチで火を灯す。 「別に。いつものことです」  夜風が吹き荒み、古城を覆う樹々が悲鳴のような声を上げる。僅かな雲の切れ間から姿を見せた満月が樹海の隅々までを照らす。 「サトシくんのことどう思ってるの?」  細口の紙巻きが静かな音を響かせてその姿を朽ちさせていく。冬榴は常用するタイプでは無かったが、月一度開かれる祝宴に招かれ厭が応にも現実に引き戻されるこんな晩は何故か無性に口寂しくなってしまう。 「ヒロがこないだ言ってたよ」 「なんて?」  春杜の口から放たれた言葉に冬榴の瞳孔は僅かな動揺を見せた。 「サトシくんは顔がいいから昔から女の子に困らなかったって」  ただ健康を害するだけのその細筒を冬榴の指から掠め取った春杜は見せ付けるようにその吸口を唇に乗せる。一方の冬榴は春杜から告げられた言葉が原因であるのかその眉間には僅かな皺が刻まれていた。 「だからサトシくんが冬榴に積極的にアピールしてるのが珍しいとも言ってたかな」  ――僕は駄目でもあのおっさんならいいの?  冬榴が夏井から言葉の槍を投げ付けられたのはつい最近の出来事だった。だからこそ冬榴は春杜が意図する言葉の意味を理解することが出来なかった。 「アピール……?」  冬榴の反応は春杜にとっても予想外で、まさかまだ気付いていないのかと冬榴の顔を眺め目を丸くする。  冬榴にとって夏井からのアピールというものは存在していなかった。二人の間に大きな認識の齟齬が生まれ風の音以外には何も無い、ただの静寂が生まれる。 「樒様、御車の用意が出来ました」  その静寂を打ち砕くようにカーテンの向こう側から夾竹が静かに声を掛ける。 「ありがとう」  夾竹の声掛けを聞いた春杜はバルコニーから離れて大広間への一歩足を進める。一歩足を進めた後振り返るとまだそこに佇む冬榴へ向けて片手を差し出す。 「ほら、行くよ柘榴」 「――はい」

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