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雨の廃寺

 水を弾くようにして駆け抜けた参道は、思いの外長かった。羽織だけでは防げなかった雨は、深衣の裾を足に纏わり付かせる。タイラン達は、足早に廃寺へと転がり込んだ。 「まさかあそこで滑るとは思わなかった」 「お前のおかげで、危うく俺まで転がるところだった。妖魔なら足を取られるな」 「無茶を言うな無茶を」  濡れた靴は、中へと繋がる木製の階段で脱いだ。濡れた足が気持ち悪い。自然とぎこちない歩みになりながら、タイランは木で作られた引き戸を開ける。  随分と廃れてはいるが、天井を見上げれば屋根に穴もない。一晩くらいならしのげそうだ。タイランは濡れた黒髪を絞りながら辺りを見回す。  濃い灰色にも見える床板は、目立った汚れもない。何かを祀っていたのだろうか、祭壇の上には丸鏡が台に支えられるようにして置かれていた。 「寒いな、火でもつけるか」 「火事にする気か」 「そんなわけあるか。妖力で操る火は燃やしたいと思うものしか燃えぬのだ」  ドウメキが得意げに宣う。そんな光景に既知感を覚えたのも、きっと守城の記憶の欠片だろう。  タイランの腕から飛び降りた喰録が、寺の天井に羽がつきそうなほど、大きな姿をとる。  そのまま猫が丸くなるように腰を落ち着ければ、長い尾で引き寄せるようにタイランの背を撫でた。 「ここに来い。私で暖を取れるだろう。こう見えても、火炎は城主よりもうまいぞ」 「そう言えばそうだったか。まあ、温もるには丁度いい。この羽織も、喰録の羽毛を織り込んでいるからな。乾いたら布団がわりにすればいいさ」 「そう簡単に乾くのか」 「貸してみろ。私が乾かしてやる」  タイランの問いに、喰録は己の出番を待ち侘びていたかのように顔を上げた。  ドウメキの差し出した羽織に、喰録が呼気を吹きかける。炎踊る風が羽織を撫でたかと思うと、あっという間に水気を飛ばした。 「ほら見たことか」 「それは、俺の衣服にもできるのか」 「焼けてもいいなら構わないが」 「や、焼けるのは困る」  喰録の羽毛混じりの布なら可能なようだ。なかなかに上手くいかないものである。  諦めたように喰録を背もたれに腰掛けると、濡れた裾をつまむ。  下に薄い水色の生地を挟んだ作りになっているとはいえ、白は透ける。  寒さで白くなってしまった己の足と、同じような色味の深衣が肌に張り付く。細い足の線が出るのが嫌だった。  ドウメキの羽織で隠そうかとも思ったが、乾いたばかりのそれを足にかけるのは気が引けた。  衣擦れの音がする。何の気なしに音の方向へとタイランが目を向ければ、ドウメキが濡れた衣服を脱いでいるところだった。 「なっ、んでおま、え……っ」 「このままだと体は冷えるだろう。こちらの方があったまる」 「タイランも脱げばいい。私の羽根を貸してやるからあたたまれ。」  これが雨宿りの普通なのだろうか。タイランは、初めて目にするドウメキの素肌を前に、慌てて目線を逸らすことしかできなかった。  頭の中に、焼き付いてしまう。書庫で契りを交わした記憶では、衣服を乱していたのは守城だけだった。そうだ、二人は一度きりとはいえそういう間柄なのだ。  鍛えられた体には、赤い刺青のような模様が走っていた。人間が鍛えるよりも、よほど均整の取れた体だ。  戦う男の体に走る模様は、割れた腹筋を囲むようにして下裳の内側まで走っている。  思春期じゃあるまいし、ましてや同性の体だ。何を緊張する必要があると言い聞かせては見たものの、反応が露骨すぎたらしい。  床を軋ませて近づくドウメキに気がつくと、タイランは身をこわばらせた。 「こんな硬い床の上で、どうこうするつもりはない。お前も脱げタイラン」 「……その言葉に、二言は」 「なんだ、期待をしているなら話は別ぞ」 「期待なんかじゃない!」  売り言葉に買い言葉とはこのことだ。タイランは、負けじと深衣の腰布を解く。衿元を広く伸ばすようにして脱ぎ去り、身につけていた下着のみになると、どかりと床に腰掛ける。  水気を切ったきり、ひと束にまとめていた黒髪を、悪あがきのように前に下すことで精一杯だった。 「男気と恥じらいが共存していないか」 「やかましい」 「ほら身を寄せろ、暖が取れないだろう」 「……ああ」  タイランが脱ぐのを待っていたかのように、喰録が羽根を伸ばす。  長い尾が膝掛けのように足に乗せられると、タイランは恐る恐る喰録の毛並みに体を預ける。あたたかな温もりは冷えた体を柔らかく包み込んでくれる。  心地よさに、思わず吐息を漏らした。この柔らかさはクセになってしまいそうだ。そんなことを考えていれば、ドウメキの腕が抱き寄せるようにタイランの肩へ回った。 「っ……」 「体を凭れかからせろ。楽だろう」 「すまない」  ぎこちなく答えるタイランの様子に、ドウメキが苦笑いを浮かべた。  共に湯浴みもしたことがない。だからこそ、素肌での近い距離感には慣れなかった。  外では、シトシトと雨の降る音が聞こえている。静かな寺の中、じわじわとドウメキの体温がタイランの体に浸透していく。  バクバクとなる心臓の音が聞こえやしないだろうか。落ち着け、大丈夫だ。何も起こるわけもない。体はかちりと固まってしまっている。  二言はない。宣言した通り、ドウメキは肩を抱き寄せる以外に何もする気配はない。  羽織の内側で、互いの体温が触れ合って暖を作る。冷えたつま先を仕舞い込むように、タイランは慎重に膝を立てた。  つま先がドウメキの足に触れた時、まるで体温を分けるかのように足を絡められた。 「冷たいな。まあ、温まるまでだから我慢していろ」 「わ、わかっている」  少しだけ上擦ったタイランの声色に、ドウメキが微かに笑った。肩を抱いていた大きな手のひらが、そっとタイランの頭を引き寄せる。  自然と肩にもたれかかるような形を促され、行き場をなくしていた手で思わず羽織を引き寄せた。  書庫で抱き締められた時よりも濃い、ドウメキの香りが鼻腔をくすぐる。  この距離はいけない。心臓の音が、バレてしまいそうで嫌だ。 「……寒いか?」 (この手の震えは、違う) 「それとも、意識をしてくれているのか」 「そんなことない」  食い気味の返答は、答えそのものだ。己の勢い任せの言葉に、ドウメキが吹き出す。  肩をくつくつと揺らして笑われるのがしゃくだ。タイランは羽織を握りしめていた手で拳を作ると、ドウメキの腹を緩く叩いた。タイランなりの、無言の抗議である。   「愉快だな……」  くつりと笑ったドウメキの声に、思わず睨みを効かせようとした。しかし、タイランにはそれができなかった。 (うわ……っ)  ドウメキの呼気が、タイランの後頭部を撫でた。距離が、近いのだ。 「昔は、ここまでわかりやすくはなかった」  鼻先を髪に埋めるようにして、タイランの後頭部に唇が触れる。体の温度が、再び一度跳ね上がる。  タイランは瞬きすらも忘れて、忙しなくなる心臓を落ち着かせることに必死だった。  そのせいで、文句の一つも紡ぐことはできていない。今口を開いたら、情けない声を漏らしそうだったというのが本音だ。 「お前は照れると、一際おとなしくなる」 (そんなもの、俺だって知らなかった……)  頬が熱い。ドウメキにはもう見透かされているだろう。熱を逃したくて、肩口から頬をずらす。そのせいで、俯くような形になってしまった。  タイランの長い黒髪が、手慰みのように梳かれる。頸をくすぐられているようでこそばゆく、つい息を詰めた。  ドウメキの少しだけかさついた指先が、悪戯に耳朶へと触れる。思わず口元からこぼれたタイランの吐息は、ドウメキの肩をじわりと温めた。 「この状況で、それは良い手ではない」 「な、何を」 「二言はない。が、堪えていないとは言っていない」  タイランの後頭部に唇を寄せたドウメキが呟く。  その言葉に、タイランは心臓がひきつれたように甘く傷んだ。緊張から乾く喉を潤すように、喉仏が上下する。  ドウメキのふしばった手のひらが首筋を撫で上げる感覚に、下腹部がじくんと熱を持ち、膝を抱えるように折りたたむ。  体を小さくしないと、タイランの口からおかしな声が飛び出してしまいそうだったのだ。 「タイラン……」 「ま、待ってくれ、……っ」  ドウメキの顔が、俯くタイランに寄せられる。獣が懐くように擦り寄られると、妙な心地になってしまう。  流されてはダメだ。こんなところで、あまりにも無防備すぎるこの格好では、ダメだ。  羞恥を伴う緊張は、琥珀の瞳を潤ませるのには十分であった。  ドウメキの手のひらが、タイランの頬に触れる。細い顎に指先が滑ると、タイランは促されるようにゆっくりと顔をあげた。  琥珀と紅い瞳が重なり合う。鼻先が触れ合いそうな距離に、タイランの指はドウメキの羽織を引き寄せるように握り込まれた。   (このまま、唇を重ねてしまうのだろうか)    小ぶりな喉仏がわずかに上下する。ドウメキの紅い瞳の奥に引き込まれそうになりながら、鼻先が触れ合うままにゆっくりと瞼を閉じた時だった。 「私もいるんだがな」 「どわっ」  静寂を破るかのように主張する喰録の声に、タイランは思わずドウメキの体を突き飛ばした。  まるで、雰囲気に飲まれたことを恥じるかのように、タイランは頭を抱えて縮こまる。渋い顔で床に転がるドウメキを放置したまま、穴に身を隠す代わりに喰録の羽毛に顔を埋めた。  わかりやすく恥じらうタイランに喰録だけは淡々と、押すな。とだけ宣い、迷惑そうな顔をするのであった。

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