20 / 26

呪縛と封呪

「ぅあ、っ……‼︎」  ドウメキの体は、大柄な男たちによって洞窟の中へと放り投げられた。体の自由が効かない上、何が起こっているのかもわからない。  祭りの前日、普段は見放されているドウメキに食事が振舞われた。それに何かを混ぜられていたのだろう。変だとは思ったが、気にもせずに口にした己の落ち度だ。    頭がクラクラする。巫力をうまく練ることができない。ここはどこだ、俺は、今から殺されるのか。  頭を押さえつけられ、衣服を剥がされる。目を背けていた己の醜い体を晒され、情けなさと惨めさで頭を抱えるようにうずくまった。 「封呪はいつ始めるって」 「もうすぐだ。面倒臭いが、一度に厄介払いができるんだ。これも仕事だと思わねば」  何を話しているんだ。ドウメキは、村人へと目を向ける。その手に握り締められていたのは、縄だ。嫌な予感が、神経をざわめかせるように体中を走った。 「ドウメキ、よかったなあ。お前も村の為に生きることができるぞ」 「お前には勿体無いくらいだが、これも黄泉路への駄賃だ。これで手打ちにしてくれよ、人身御供殿」  目の前に放り投げられた皮袋から、砂金が溢れた。見たこともない額だ。  これが、命の重さ。ドウメキの身の、命の重さだと言うのか。 「ひと、み……ご、くう……?」 「魏界山の結界がゆるんじまったんだ。石に刻んでいた分が、割れちまってなあ」 「何、もうこれからは安心さ。なんてったって、守城が直々に結界を張る。お前を使ってな」 「な、にいって……」  まさかと思った。そんなことがあるはずないとも思った。  ドウメキの守城は、目が見えない。それなのに選ばれた。それは、村にとって都合がいいからに他ならない。ドウメキを使って結界を張れば、確かに強固なものが作られるだろう。人の命を犠牲にして作り上げる術は、それほどまでに術者にも危険が伴う。  憧れていた守城になったと、喜んでいたのに。その笑顔を村人たちは汚したのか。あの優しい手を、汚させるのか。  己の死に怯えるよりも先に、ドウメキは青年がここに来ませんようにと願った。頼むから、この汚い姿目に映さないでほしい。それが叶わぬなら、死を受け入れる代わりに別の守城をよこしてくれと願った。  焦りと共に、全身の痣が色を濃くする。滲む巫力に応えるように、ドウメキの体が反応を示したのだ。  紅い瞳に、じわりと光が宿る。隙をついて、逃げようとするドウメキに気がついたらしい。村人の一人は、持っていた縄を振り下ろした。 「ぁあっ、ぐ……っ」 「変なこと考えるなよドウメキ。お前が逃げたら、守城一人で贄になってもらう」 「っなん、で……っ」 「この村で、土台になれるのがお前と守城しかいないんだよ。巫力は転じると呪いになるんだってよ、知ってるか?結界にはそれを使う」  太い縄が、容赦なくドウメキの体を縛り上げる。  巫力は、穢れる。うちに内包する巫力が多ければ多いほどそれは研ぎ澄まされ、人の恨みや嫉みを吸収してしまうのだ。  ドウメキの巫力は、長きにわたり村で虐げられてきたことで、穢れを纏っていた。体に滲む痣がその証拠だ。赤い花が開くように、眼型の痣がそこかしこにドウメキの体を侵していた。 「俺たちがお前を育てたのは、そう言った意図がある。この村に生まれちまったことを悔いるしかあるめえよ」 「守城も可哀想にな、初舞台が最後の出番になるとは」 「ぃ、ぎ……っーーーーーーーっ‼︎‼︎」  無理やり口を開かされ、熱した油を注がれる。喉を潰されれば、叫ぶこともできない。のたうち回る体を抑えられ、熱湯をかけられたかのような痛みが、両足に走った。  つま先から、凍りついたように体が動かなくなる。ブルブルと震え、脂汗が滲み出た。頬を地べたに擦り付けるようにして目を向けた己の足は、歩けないように筋を切られていた。  肺がおかしい、呼吸がままならない。ひどい痛みの中、己の内側で暴れる力が、ドウメキの体を奪おうとしている。  体の自由を奪った男たちは、談笑しながら遠ざかっていった。暗くて、狭い中に一人だ。やめろ、置いていかないでくれ。  醜いうめき声しか出せないせいで、本当に人をやめてしまったかのようであった。  涙が止まらなかった。悔しくて仕方がなかった。人の都合のために育てられ、巫力をも穢される。なんのために、必死で生きてきたのだ。  ああそうか、人身御供のためだったのか。  疎まれものの己には、安らかな死すら許されないのか。  視界が赤く染まる。痣に切れ目が入り、膿が吹き出した。体が、どんどん醜くなっていく。  青年が触れてくれた手が、恋しかった。 「誰か、いるのですか」 「……っ」  ドウメキの願いは届かなかった。村人に連れられてきた青年は、守城の纏う白い深衣姿で現れた。己の夢を叶えた姿が、そこにはあった。 (ああ、どうして……)  いるよ、俺はここにいるよ。  肺が震える。情けない、隙間風のような声しか出なかった。  (本当だな、確かに、あんたに名前があればよかった)  ドウメキの瞳から溢れた涙が、土で汚れた頬に筋を作る。  名前があれば、呼んで、辛い時も、嫌な時も、名前を呼べる相手がいることを、喜ぶことができたかもしれない。  最期の(よすが)に、できたかもしれない。  情けない、今の俺は声をあげて泣くこともできない。涙の膜が邪魔をして、あんたの顔がよく見えないんだ。  でも、きてほしくない、ここにきて、俺に気がついてほしくない。    ドウメキの心は損壊して、肺から出る熱い吐息ですら体を蝕む。  青年に触れた感触を思い出すように、指を握り込んだ拳は震えていた。 「今回の結界の媒体になる妖魔が一匹おります。あまり近付くのは危険かと」 「血の、匂いがする……怪我をしている、これは、……人?」 「やだなあ、人なんて使うわけないでしょう‼︎ ほら、早く始めてください。あなたが頼りです、守城」  白い深衣が、よく似合ってる。そう言ってやりたかった。  村なんかどうでもいいが、俺があんたにしてやれることは、きっとこれしかできないのだろう。  本当はもっと隣りにいたかった。許された時間の中で、もっと素直に好きだを口にすればよかった。  おめでとう、そう言って、ささやかな祝いを共にしてみたかった。  でも、これがきっと今の俺にできる最善なのだろう。  口にできない思いが肺の中で暴れて、苦しかった。  人生で、こんなに泣いたのは初めてかもしれない。そう思うほど、ドウメキは悔しくて悲しくて、痛む喉をすり潰すように静かに泣いた。  いつの間にか始まった祝詞に、少しずつあたりの空気が変わってくる。守城の澄んだ声が、文字となって洞窟の中へと流れてくるのだ。  美しい光景だった。最後に目にした守城の晴れ姿が己の手向になるのだろう。ドウメキは、目に焼き付けるように守城を見つめた。 ーー面倒臭いが、一度に厄介払いができるんだ。これも仕事だと思わねば    不意に、村人の言葉が頭の中にひっかかった。 (一度に、厄介払いってなんだ……)  ドウメキの頭の中に、一つのまさかが浮かび上がる。嫌な予感が、蛇の鎌首のように頭を擡げた。  もし己一人ならば、一度にとは口にしないはずだ。おかしい。そう思った時にはもう遅く、洞窟の中の空気がざらりとしたものに変わる。  壁一面を覆う夥しい文字の数に異様さを感じ取った。気がつけば、ドウメキの体は巫力を噴き上げるように痣が広がり、黒く染まっていった。   (なん、だこれ……っ、なんだこれ、なんだ、っ)  短い呼吸を繰り返す。体が何かに変わっていくのを、生々しく感じる。  黒かったはずのドウメキの髪の毛が、白く染まっていく。まるで、本当の妖魔に変わっていくかのようだ。青年の偽物の妖魔ではなく、本物の妖魔に。    気がつけば、ドウメキの目の前には鏡のようなものが浮かんでいた。  全身を黒く染め、髪の毛は白い。紅い虹彩だけを光らせた化け物が、仄暗い影の輪郭を捉えるかのように映し出していた。 (この、儀式は……っ)  鏡の向こうに、己の姿と重なるようにして守城が映し出されていた。胸騒ぎがする。鏡に映ったドウメキの背中から、黒い帯状のものが噴き上げた。皮膚を突き破って飛び出したそれは、洞窟を揺らす勢いで黒を膨らませていく。 (やめろ、やめろお願いだ頼むから……)  帯状の影が、鏡面に映り込む青年の体を包み込んだ。ピシリと罅が走る。ドウメキの目の前。鏡の向こう側で、祝詞を紡いでいた言葉が不自然に途切れた。 「ぁ、なに、……っ」 (待ってくれ) 「ぅ、くっ……あ、……っぃ、いた、っ……」 (なんで、繋がってるんだ……‼︎)  噴き上げたものが、ドウメキの巫力が転じた穢れなのだと理解した。  鏡面は、黒が視界を染める中でも光り続けている。ドウメキにしか見えない呪いが、鎖のようになって守城に絡みついているのだ。  己の、執着だ。生きることへの執着と、守城への執着が具現化してしまったのだ。それに気がついてからは、もう遅かった。 「ドウメ、キ……?」 (──── っ)  掠れた声が、ドウメキの名を紡いだ。鏡に囚われた二人が、一つの反転世界を通して重なり合っていた。  ドウメキは、必死で声を上げた。届かない、隙間風のように情けない声が、届くわけもなかった。  鏡面の罅が、守城の体を横断するように走る。鈍い音が聞こえた。紅い瞳に映る華奢な体が、黒い何かに飲み込まれるようにして体の半分を失った。  優しさを教えてくれた手のひらが、だらしなく垂れ下がる。ドウメキの瞳よりも紅い血が、白い肌によく映えていた。 「ぁ」  小さな声が漏れた。ドウメキの口から吹き出した血が、背中を突き破るようにして溢れた呪いが、黒が、噴き上げるようにしてあたりを包み込む。守城の体が、鏡面に吸い込まれていく。  ドウメキは、表情の消えた顔でそれを見つめていた。  己から溢れ出た闇が、瞬く間に空間を染め上げる。守城の紡いだ祝詞の一部が、壁から剥がれるように鏡へと落ちた。  文字が張り付く鏡が、ぐにゃりと形を崩す。それは大きな杭の形を取ると、勢いよくドウメキの体を貫いた。  壁に体を縫い止められる。その杭の先端から伸びた十三の鎖が、ドウメキの全身を覆うようにして封印した。 (一つ……、切れている……)  細い鎖の一本が、垂れ下がるようにドウメキの頬を撫でた。感じるのは、かすかな守城の巫力であった。  その瞬間、呪ってしまったのだと理解した。  ドウメキが、思いを寄せたせいだ。そのせいで、守城は呪い殺された。そして、結界の役目を終えるその時まで、守城は生まれ変わり、ドウメキはその手で殺すのだろう。  十三の鎖、魂の解放条件。巨大な結界を展開する代償は、これか。  かすかに見えていた光が、大岩によって遮られた。光が一筋も入らない狭い世界で、ドウメキは己の大切の命を奪い、封印されたのだ。

ともだちにシェアしよう!