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1.不器用な口説き文句

 綺麗だな、と思った。  舞うように歌う「彼」を初めて見たのは、絢也(じゅんや)が17になったばかりの夏だった。    *** 「おつかれー」    グラスがぶつかりあう音が響く。  絢也の家からそう遠くない場所にある、小さなライブハウスが主催のイベントの打ち上げだ。  絢也のバンドはそのライブハウスの常連だったし、それなりに実力もあったから、開催の知らせと同時にトリを依頼された。  ライブ自体はまずまずうまくいった。  途中でボーカルの健人が歌詞を飛ばす瞬間があったけれど、うまく誤魔化していたし、いつも集まってくれるファンの子たちがカバーしてくれた。  それなりにお客さんも入っていたし、盛り上がったし、イベント全体としても問題はなかった。  それなのに、絢也が浮かない顔をしていたのには理由があった。  ——このままじゃ、だめだ。  絢也は、「地元でそこそこ集客できるバンド」では満足していなかった。  やるなら、プロを目指す。音楽で食っていきたい。  絢也は高校に入ってバンドを組んだときから、ずっとそう思っていた。  ギターを手に取ったのは、中学のとき。  その選択は間違っていなかったと思っている。まだコピーしかできなかったけれど、演奏する曲の提案も、ライブのブッキングも、全部絢也が行った。  最初の1年はそれでもうまくいっていた。  だが、次第に、バンド内に温度差が見え始めて、最近ではそれが無視できなくなってきていた。  簡単にいうなら、絢也以外は全員、プロになる気がないのが、うすうす絢也にはわかっていたのだ。  ——お遊びでしかない連中と、これ以上つるんでいたって、時間の無駄にしかならない。  もう潮時だろう。 「あのさ」  絢也はバカ騒ぎをするメンバーたちを遮るように、口を開いた。 「俺、今日で、バンド、抜ける。急で、悪ぃけど」  ベースの昭仁(あきひと)、ドラムの(しゅん)が呆気にとられた顔をする中、健人(けんと)だけは驚かなかった。 「そろそろ言いだすんじゃないかなーって、思ってたよ」  健人の言葉に、昭仁と俊がまたびっくりする。 「お前、プロになりたいんだろ」  絢也は、小さく頷いた。  ——思ったより、呆気なかったな……  いつもだったらそのままカラオケオールなんかにもつれ込むのだが、今日はそんな気分になれなくて、3人に断って絢也は店を後にした。ギターケースを背負った背中に汗がにじむ。  駅へ向かって歩き出したそのとき、絢也はふと前方を歩く、ひょろっと背の高い人影に気がついた。  ——あ。  意識するより前に、絢也は駆け出していた。 「おい」  呼びかけに振り返った彼に、絢也は一瞬見惚れて動けなかった。  その肌はニキビひとつなくつるんとしていて、スッと通った鼻筋に、小動物みたいなつぶらな目、少し突き出た唇は柔らかそうで。ライブの時に見せていた攻撃的な美しさとはまた違う、不思議な魅力があった。 「なんだよ」  呼び止めたきり押し黙っている絢也に、その眉毛が眉間に寄って不機嫌そうな声が響く。 「ご、ごめん。お前、今日のイベント、出てたよな? シロー、だっけ」 「そうだけど?」 「まだ時間あるなら、ちょっと寄ってかねぇ?」  我ながらなんて下手な口説き文句だろう、と絢也は情けなくなったが、彼が黙ってついてきたので、いいことにした。  シローは、士郎と書くらしかった。よく聞いたら県内の別の高校に通う同級生だという。  適当に入ったファミレスで、絢也は緊張をごまかすようにひたすらコーラを口に流し込んだ。  ステージに立つ士郎をひと目見た瞬間から、絢也は目が離せなかった。  自分たちの出番まではまだ時間があったから、フロアの様子を見がてら、ファンの子たちに挨拶をしようと楽屋から出てきたとき、ちょうど士郎のバンドが演奏中だったのだ。  士郎たちのやっていたのは人気のパンクバンドのコピーで、よくある定番の選曲だった。  だが、そんなのはどうでも良くなるくらい、士郎の存在感はすごくて、一気に目を奪われた。  歌の中に入り込むように体を揺らし、その長身を折り曲げてシャウトする様は、観る者を虜にする力があった。  ——こいつと、組んでみたい。  士郎たちのステージが終わるまで食い入るように観ていた絢也は、最後の曲が終わる頃にははっきりとそう思っていた。 「お前、普段どんなの聴くの?」  2杯目のコーラを流し込みながら、ようやく絢也はそれだけを絞り出した。聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が全然出てきてくれない。 「んー、俺は、キンセンカとか、ナルシスとか、そのへんかな……」 「え、マジ? 俺、ナルシスのレクイエムとかめっちゃコピーしたし」  そこから話は嘘みたいに広がった。最初からそうすればよかったのだ。同じバンドマン同士、音楽の話で盛り上がらないわけがない。  聞いていって分かったのは、士郎のバンドのリーダーはギターの達矢(たつや)で、ライブで演奏する曲も彼が選曲するのだという。 「俺はナルシスやりたいって言ったんだけど、達矢が却下して」 「あー、それ、悪いけど、弾けないからだと思うわ」 「まあ、それもあるかも知れねえけど、達矢はとにかく速くて暴れる曲が好きだから」 「えー、それ、もったいねえな。士郎なら、もっとちゃんと歌聞かせるやつの方が合うと思う」 「え」  士郎が驚いたように目を丸くする。その顔が思いのほか可愛くて、絢也はなんだか直視できなくて士郎から目を逸らした。 「俺、いつも歌下手だって言われる」 「それはちげーと思うよ。単純に曲に合ってないだけ。もっとミドルテンポで、歌メロ聞かせる曲の方が、絶対士郎には合ってる」  絢也が力説すると、士郎は考え込んでしまった。絢也は続けて言った。 「それならさ、今からカラオケ行こうぜ。俺、お前の歌うナルシス聞いてみたい」 「え、まあ、いいけど」  半ば強引に士郎を引きずってファミレスを後にすると、絢也はすぐ斜め向かいにあったカラオケ屋に入った。 「え、すげーじゃん。ちょい待てよ、全然いけんじゃん」  士郎の歌を初めてちゃんと聞いた絢也は、その予想を上回る魅力に、思いきり心を掴まれていた。  確かに、上手いかと言われれば答えはノーだ。上手さだけで言ったら、上を行く人間は何人も知っていた。  だが、士郎の声、そしてその歌う姿には、聴く者、観る者の心を掴む何かがある。もっと聞きたい、観せて欲しいと思わせる、強烈な何かが。それこそが、絢也の求めていたものだった。  絢也が手放しで褒めると、士郎はちょっと照れくさそうにした。そのはにかんだ顔が、また絢也の心を直撃する。  ——なんなの、俺。どうしちゃったの。  心臓が暴れて苦しい。  その感覚を無視するように、絢也はドリンクのお代わりを持ってこようと立ち上がった。 「なあ、お前さ、俺と組んでみる気、ない?」  真夜中も過ぎて、だいぶグダグダになってきた頃、絢也はそのセリフを、ほとんど無意識に口にしていた。  口に出してから、しまった、と思った。    もっと仲良くなってから、もっと距離が縮まって、お互い信頼関係が築けてからにしようと思っていたのに。  だが、もう遅い。一度口から出てしまったものは取り戻せない。  ここで、少しでも士郎が引くような素振りだったり、違和感があるような顔をしたら、冗談だって笑ってごまかそう。  絢也はギュッとこぶしを握った。 「……俺も、それ、言おうかと思ってた」  妙に神妙な面持ちをした士郎が口にした予想外の答えに、絢也は一瞬耳を疑った。 「でも、絢也、自分のバンドで忙しいだろうなって思ってたから」 「ああ、俺、今日で、あのバンド抜けたから」 「は?」 「俺、プロになるから」 「え?」 「それで、お前の声が欲しい」 「え」  は? と、え? を繰り返す士郎に、絢也は身体を起こしてたたみかけた。 「お前が、そういうつもりがないんなら、俺は忘れるけど。俺は、お前となら、やれると思ったから」  もう、一度口から出たら、止まらなかった。  今度は、士郎が顔を赤くする番だった。 「絢也が、マジで言ってんなら……やる。やりたい」 「よし、そうと決まったら、本気でバンド組もうぜ。あとは、ベースとドラム探さなきゃなんねえな。お前、誰か心当たりあるやつ、いねえの?」  絢也の問いかけに、士郎が頷く。 「いる。いきなり誘ってきてくれるかは分かんないけど。同じ高校のやつらで、ベースは俺が前誘って、パンクは嫌だって断られたやつと、ドラムは、最近バンドが解散したってやつ。どっちもうまいし、好きなバンドとかも、たぶんかぶるんじゃねえかな」 「最高じゃん」  そうして、話はいきなり現実のものとなった。 「じゃあ、金曜の夜電話すっから。そこで、どうだったか教えて。一応、土曜に俺、スタジオ押さえるから。そこに集まれそうだったら、集まって音出してみようぜ」  久しぶりの感覚に、ワクワクがおさえられなかった。  理想のボーカリストが見つかった、それだけで、絢也はもう勝った気になっていた。  絶対うまく行く。何故だか、そう思えてしかたなかった。

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