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15.脅しとナイト

 レコーディングの作業は順調に進み、ボーカル録りも終盤に差し掛かっていた。  士郎の歌うところを見たくて、ボーカルのレコーディングには絢也も立ち合うことにした。  ブースのガラス越しに、士郎が歌う姿を見つめる。  ——前より、ずっとよくなったな……  無意識に、絢也の目が眩しいものを見るように細まった。  その表情を、伊藤がじっと見ていることに、絢也は気づいていなかった。 「よし、OK!」  最後のテイクを録り終わり、レコーディングは終了した。  ここからはミキシング、マスタリングの工程に入っていく。  絢也と伊藤二人の作業だ。  レコーディングを終えた士郎は先に帰り、絢也と伊藤だけが少し残って今後のスケジュールを詰めることにした。 「んじゃ、そういう感じで。また明日からお願いします」 「お願いします。……絢也くん」  短い打ち合わせが終わり、立ち上がって帰ろうとした絢也を、追いかけるように立ち上がった伊藤が呼び止める。  怪訝な顔をした絢也に、ツカツカと歩み寄ってきた伊藤が、これまで見たことのないような昏い笑顔で言い放った。 「ずっと思ってたんだけど、絢也くんて、そっちの子でしょ?」 「……は?」 「わからないフリしたって無駄だよ。士郎くんを見る目でバレバレだから」 「っ……」  わずかに顔色を変えた絢也を見て、伊藤が満足そうに唇を歪める。 「大丈夫、心配しなくても、このことを他にバラしたりしないから。その代わり、ちょっと付き合って欲しいんだ」 「……何ですか」 「僕の趣味、かな。僕は絢也くんみたいな、綺麗で気が強そうな子が、泣いて赦しを乞うのを見るのが大好きなんだよ」  スルッと頬を撫でられて、反射的に絢也は後ずさった。  触られたところを袖でゴシゴシと拭うが、気持ち悪さまでは拭き取れない。 「お前……!」 「おっと、口が悪いなぁ。君が嫌なら、士郎くんでもいいんだけどね。彼もキレイ系だから、きっと赤いロープが映えるだろうなぁ」 「やめろ! 士郎は、関係ねえだろ!」 「やっぱり士郎くんのこととなると、熱くなるねえ。いやあ、羨ましい」  およそ下衆な会話をしているとは思えないような、軽い口調で伊藤は絢也を揶揄する。 「じゃあ、交渉成立でいいかな? 大丈夫、ここからは少し離れたところに行くからね、関係者にはバレないよ」  ——ずっと計画してやがったのか……とんだゲス野郎だったってわけだ……  ギリギリと奥歯を噛みしめながら、絢也はノロノロと伊藤の後についてビルを出た。  停まっていた1台のタクシーに手をあげて合図すると、伊藤は絢也を奥に押し込み、自分も乗り込んで、運転手に行き先を告げる。  聴き慣れない地名だった。  ——どこまで連れて行かれるんだろう。クスリとか、使われなきゃいいけどな……  絢也は、自分の性的指向を呪った。  だが、自分が従わなければ、士郎が犠牲になる。  あいつのことだ、俺が同性愛者であることを対外的にバラすと言われたら、大人しく伊藤の言うことに従うだろう。  それを考えただけで、絢也は気が狂いそうになった。  この伊藤の汚らしい手が、士郎の肌に触れる。  それだけは、絶対に許せなかった。  それを許すくらいなら、自分一人が犠牲になれば済む。  絢也はそう思って、こみ上げてくる頭痛と吐き気に耐えた。  タクシーを降りたところは、繁華街の端の方だった。  賑やかな居酒屋やキャバクラなどが立ち並ぶ中心街から一本外れた、ややいかがわしい雰囲気の通りだ。  迷いなく進んでいく伊藤の目指しているのは、どうやら立ち並ぶラブホテルのうちの一軒のようだった。  その建物の目の前に着くと、伊藤が歩みを止め、後ろからついてきた絢也を振り返った。 「ああ、逃げずにちゃんとついて来たね。まあ、逃げたところで、僕が全てをバラせばおしまいだってこと、分かってるもんねえ。頭の悪い子も嫌いじゃないけど、絢也くんみたいに頭のいい子が堕ちていくのを見るのは格別だなぁ。ああそう、ここはねえ、男同士でも入れるところなんだよ。知ってた?」  ペラペラと上機嫌で喋る伊藤に、絢也は黙って首を振る。  どのみちもう逃げられないなら、さっさと終わらせたかった。 「ふふ、そう怖い顔しなくても、すぐに気持ち良くてたまらないって顔にさせてあげるよ。じゃ、行こうか」  だらしなく緩んだ顔の伊藤に、絢也が吐き気を堪えながら、ついて行こうと足を踏み出した、その時。  腕がグイッと引っ張られ、思わず絢也はよろけた。 「おい」  聞いただけですぐ怒りを孕んでいるとわかる、ドスのきいた低い声がした。 「え……?」  振り返った絢也の目に飛び込んできたのは、絢也の腕を掴む、鬼の形相の士郎だった。 「お前、なんで、ここに」 「なんでもなにもねえだろ。なんでお前がこんなとこにこいつと行こうとしてんのか、逆に俺が聞きてえんだけど」  士郎が、今まさに2人が向かおうとしていたラブホテルの方を、絢也に向かって顎で指し示す。 「おやおや、ナイト登場かな? なんなら2人まとめてでもいいよ。どっちにしろ、彼の秘密をバラせば全て終わりだってことに変わりはないんだから」  士郎の登場にも全く焦る様子を見せず、余裕の表情で伊藤が口を挟んだ。 「気色悪いこと言ってんじゃねえよ。バラしたいならバラせばいい。絢也には指1本、触らせねえ」 「ちょ、士郎、なに言って」 「その代わり、俺も今一部始終録音させてもらってるから、それをあんたの上司含め関係者全員に送りつけますけど、それでいいならバラしたら?」 「ぐっ……」  士郎の挑発的な視線に、伊藤が初めて怯んだ。  さらに士郎はたたみかける。 「詰めが甘いよ、伊藤サン。なーんかレコーディング中、絢也の方チラチラ見てんなあと思って、まさかねと思ったけど、絢也が帰るのを待ち伏せて正解。嫌な予感って、なんか当たるんだよなあ、……っと!」  不意につかみかかって来た伊藤をすんでのところでかわすと、士郎はそのまま予備動作なしに思いっきり伊藤の横っ腹を蹴飛ばした。  コンパスが長い分、バネの力が強いのか、見事に数メートル吹っ飛んだ伊藤はホテルの壁に激突し、衝撃と痛みで身動きできなくなったのか、その場にうずくまったまま動かなくなった。 「ほら、絢也、ボーッとしてねえで、行くぞ!」  士郎の声に我に返った絢也は、絢也の手首を掴んで先に走り出した士郎に引っ張られるように、慌てて走った。 「……」  大通りでちょうど通りかかったタクシーをつかまえて、2人で急いで乗り込む。  絢也が口を開く前に、士郎が行き先を告げた。  絢也の家の住所ではなかったから、士郎の家に向かうのだろう。  タクシーの中では、2人とも無言だった。  だが、士郎は絢也の手を握ったまま、離そうとしなかった。 「あのなあ!」  問答無用で士郎のマンションに連れてこられ、部屋の中に通されて座らされた絢也は、開口一番、士郎の怒号を浴びせられた。  目の前に置かれた冷えたビールの缶を、黙って開ける。  士郎も自分の分を開けてぐいっと一口飲むと、再び口を開いた。 「なんでお前大人しく連行されてんだよ! なんで俺になんも言わずに、ひとりで全部背負おうとしてんだよ! 俺そんなに頼りない? そんなに信用ない?」 「そうじゃ、ねえよ……」  挑発的に眉をつり上げて言葉を叩きつける士郎に、絢也は弱々しく答える。 「そうじゃねえならなんなんだよ! 絢也いつもそうじゃん、ひとりで決めて、ひとりで全部責任を追おうとして……俺にも、手伝わせろよ。俺らのバンドじゃん」  勢いよく言い始めた士郎だったが、最後の方は、寂しそうにポツリと言葉を紡いだ。  絢也は、苦しかった。  士郎と自分の間にある、どうしても超えられない感覚の壁とも言うべきものを感じて、胸が潰れそうだった。 「……お前は、ノンケだから、ことの深刻さがわかってねえんだよ。俺が、ゲイだってバラされたら、売り上げにモロに影響が出る。レコード会社の人間だって、気持ち悪くて一緒に仕事したくねえって思う人も出てくる。最悪、いろんな理由つけて契約切られる可能性だって、」 「じゃあ!」  絞り出すように言葉を紡ぐ絢也を遮って、士郎が声をあげる。 「じゃあ、俺がノンケだからわかんないっていうなら、わかるようにしてくれよ。お前に見えてるものが、俺にも言えるようにしてくれよ。俺だけ、置いていくなよ……!」  絢也は、ぽかんと口を開けた。  顔を朱に染めた士郎が、身体を倒して絢也の方へと顔を寄せる。  今にも鼻が触れそうな距離まで顔が近づいて、お互いの息が肌に触れた。 「ちょっ、……」  絢也は士郎の肩をつかんで自分から引き剥がすと、息も整わないまま、必死で士郎を宥めようとする。 「ちょ、お前、落ち着け」  士郎は自分を押し退けた絢也の手を掴んで肩からはがし、膝の上に持っていってギュッと握った。 「落ち着いてる。俺は、ちゃんと自分のしてることも、言ってる意味も、分かってるよ」  少し伏し目がちに言葉を選ぶ、目の前の士郎の表情をどう捉えればいいのか、絢也は回らない頭で必死に考えようとした。 「俺が去年倒れて運ばれた時、病院で、お前が泣いてくれたの、俺、嬉しかったんだ。あのときは分かんなかったけど、今は分かる。俺を想ってくれる、お前の気持ちが嬉しかったんだって。だけど、そこからどうすればいいか、それが分かんなかった。お前も、それ以降何にもしてこないし」 「何にもしてこないって」  予想もしていなかった士郎の発言に、絢也は思わず反射的に言葉を返してしまった。    ——何もしてこないって? は? え……?  状況に思考がとうとう追いつかなくなった絢也をよそに、士郎は少しはにかんで、話を続ける。 「俺なりにさ、いろいろ考えたのよ? どうしたら手を出しやすいかなあとか。やっぱ俺って色気が足りな」 「ちょ、ちょーっと待て。なんだそれ。なんで俺が手を出すって決まってんの」 「だって、絢也はそういう意味で俺のこと、好きなんだろ? まさか、プラトニックだったなんて言い出すんじゃねえだろうな」 「いや、そりゃそうだけど! ……あ」  勢いで言ってしまってから、今度は絢也が真っ赤になった。  もう、手遅れだ。  もう認めるしかない。  士郎のことをそういう意味で好きだったと。  士郎が欲しかったと。  切ないような、くすぐったいような表情で絢也を見つめる士郎に、絢也が言葉に詰まる。 「だから、あとは絢也が、自分の作ったルールを破るのを、俺、待ってたんだよ」 「ルール……」  絢也の脳内に、士郎とあのバーのママ、キョウちゃんがダブって映る。 「そ。ノンケと、同じバンド内の人間には、手を出さないんだっけ」 「お前、よく覚えてんな……」 「そりゃそうでしょー。だって、病院で絢也が言ってくれたこと、そのあと、俺、ずっと考えてたもん。後は絢也の中で折り合いがつくのを待つしかないかーって。そしたら、いきなり変な男に襲われかけるし」 「それは……」 「だから、もう待つのやめた」

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