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29.ぜんぶウソで、ぜんぶ本当。
「それでは今日最後まで、よろしくお願いしまーす!」
何度も気になるところを調整しながら行ってきたリハーサルが士郎の挨拶を合図に終了し、それぞれが楽器を置いて楽屋に引き上げる。
武道館初の単独公演、本番。
チケットは完売している。
SNSでもトレンドに上がるほど、ファンの期待値もそれは凄まじいものだった。
そうした報告を受けながら迎えた今日、絢也はじめ、メンバー4人とも、見てわかるほどに緊張している。
——けど、それでダメになるような俺たちじゃない。
そう絢也は感じていたし、信じていた。
これまでだって、何度も試練をくぐり抜け、大舞台を踏んできたのだ。
啓介、拓郎はプレッシャーを上回る演奏を見せつけてくれるに違いないし、士郎もリハーサルではやや硬かったけれど、コンディションは間違いなく今までで一番いい。
絢也は目を瞑り、全員の音が、武道館を目一杯使って組まれたセットを背に広がっていく様を想像する。
成功の予感しかしなかった。
衣装を身につけ、メイクを終えた4人が、興奮を顔に滲ませながらスタンバイする。
士郎は、上京してすぐの頃に、こういうのが欲しかったんだと買ってきてすぐ絢也に着て見せてくれた、あのロングジャケットを身につけていた。
絢也の目頭が熱くなる。
場内アナウンスが流れ、客席の照明が落ちた。
会場が割れんばかりに広がる歓声と拍手。
スタッフに足元を照らされながら、暗い通路をステージに向かって歩き出す。
9年間の集大成となるステージを、作り上げるのだ。
最後の曲が終わった。
客席には満開の笑顔が並び、拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
何度も客席に手を振り、あるいは深々とお辞儀をして、4人はステージを降りた。
楽屋に戻った4人は、思い思いの達成感と疲労に浸る屍となってソファやら椅子やらに転がった。
ライブは、大成功と言って差し支えなかった。
客席とステージが一体となり、グルーヴが生まれ、全員でジャンプし、叫んだ。
バラードでは、ペンライトや携帯のライトで客席が星空のようだった。
夢にまで見た光景が、目の前に広がっていた。
こんなに楽しかったのはいつ以来だろう、と思うほど、緊張は最初の一瞬で吹き飛び、あとはずっと笑っていた気がする。
——ようやく、ここまで来られた。
絢也にとって、大きな目標の一つが、達成された。それも、最高の形で。
レコード会社の佐伯をはじめ、プロモーター会社の担当やその他関係各所から、次々に成功を祝う電話やメールが入る。
今夜は帰してもらえないだろうな、とこれから数時間後に始まる打ち上げを思って、絢也はこっそりため息をついた。
本当は、目の前で同じように携帯を弄っている士郎と2人で過ごしたかったのだが、そんなのはどだい無理な話だった。
一通りメールに返信が終わったのか、士郎が立ち上がって伸びをする。
啓介と拓郎は地元の友人が来ているとかで、さっきから姿を消している。
ぼんやりと絢也が携帯の画面越しに士郎を目で追っていると、士郎は何を思ったか、さっき脱いだばかりの衣装を身につけ始めた。
何やってるんだ、と見つめていると、衣装を身につけ終わった士郎がツカツカと絢也の方へ歩いてきたかと思えば、いきなり足元にひざまづくから、絢也は驚いて携帯を取り落としてしまった。
「……絢也」
絢也が携帯を拾って机に置くのを見届けて、士郎が口を開いた。
「なんだよ、改まって、そんな格好で」
「武道館終わったら、絢也に言おうと思ってた」
士郎が、真っ直ぐな瞳で絢也を見上げて、言った。
「絢也、一緒に、暮らそう」
一瞬、時が止まったように、感じられた。
「一緒に……」
「うん。俺、考えてたんだ。どうしたら、絢也の不安を少しでも減らせるのかなって。お前が今までひとりで過ごしてきた時間を俺が一緒に過ごすことはできないけど、これからはもうひとりじゃないって感じてもらうには、どうしたらいいんだろうって」
真剣な顔で、士郎が言葉を紡ぐ。
「これまでも、絢也が俺のマンションに頻繁に来てくれてたから一緒に生活してたようなもんだけど、ちゃんと、帰るところも一緒ってなったら、少しは絢也を安心させられるのかなって」
「そん、な……」
士郎の言うことに、絢也は頭が追いつかなくて、言葉が出てこない。
「絢也は、それですらきっと怖いんだろ? 一緒に住んでることでなんか余計な詮索されるんじゃないかとか、どこかに不利に働くんじゃないかとか」
絢也は、否定できずに、黙っていた。
それを肯定と捉えた士郎が続ける。
「だけど、俺はね、絢也の恐怖を克服していくには、俺が一緒にいて、証明し続けるしかないと思ったわけ。絢也の不安も恐怖も、いっぺんには乗り越えられない。だけど、一つずつ対処すれば、絶対絢也が思うほど、世の中は絢也に冷たくないよ」
そう言う士郎は、穏やかに微笑んでいて、まるで絢也よりもずっと年上のようだった。
「俺は、この前も言ったけど、生半可な気持ちで絢也と一緒にいるわけじゃない」
絢也の手に、士郎の手が重ねられる。
「俺は、この先、絢也が俺を信じられるようになって、思ったほど怖くなかったって、一つ一つ確かめるまで、何年かかっても一緒にいるから。もちろん、その先も、ずっと」
「それって……」
——プロポーズじゃないか。
「重たかった? でも、一緒にいるって、そういうことだろ。このことを、今日、俺、絢也に言いたかった」
士郎の言葉に、感情が込み上げてきて、うまく言葉にならない。
代わりに、絢也は自分も椅子から降りて膝立ちになり、士郎の肩に顔を埋めて、その身体をきつく抱きしめた。
「ずっと、一緒に、いて欲しい」
士郎の耳元で、そう告げる。
ジジイになっても、他愛もないことで喧嘩したり笑ったりしながら、隣にいて欲しい。
初めて、そう思った。初めて、将来を願った。
それだけで、今の絢也には精一杯だった。
「だから、絢也はもう、俺相手に、ウソ、つかなくていい」
「え?」
「いつも絢也は何かあっても絶対俺には言わなかっただろ。なんでもない、って、お前の口癖だった。だけどこれからは、絢也の考えてること、怖いこともそうじゃないことも、全部俺に言えよ。もう、一人で抱え込むのは終わりだ」
「そうだな……」
ぜんぶウソ、だった。
なんでもないって、ウソで塗り固めて、自分を保っていた。
それが当たり前だった。
だけどこれからは、士郎とぜんぶ本当のことを話して、分かち合っていくのだ。
それが、誰かと一緒に生きるということ。
男だとか女だとか、そういうのを全部飛び越えて、士郎は絢也の腕の中に飛び込んできた。
きっと、これからも思いも寄らない試練や、厳しい現実だってある。
だけど、もう、絢也はひとりではなかった。
これからは、士郎と一緒に作っていく、新しい道を歩んでいく。
絢也は、嗚咽が止まらなかった。
生まれて初めて、こんなに大泣きした。
それから、2人は長い長いキスをした。
「おーい、そろそろ移動するって、わ、なに絢也その顔! それになんで士郎また衣装着てんの?」
ガチャン! と遠慮なく楽屋の扉を開けた啓介に慌てて離れた2人は、訳が分からず呆気にとられている啓介の顔に、顔を見合わせてクスクス笑った。
まるで、世界が昨日と全然違ってしまったみたいだった。
これからも、この4人でバンドをやっていく。
士郎と、人生を歩んでゆく。
だが、これほどに強く、生きようと思ったことはなかった。
守るべきものを得たときに人は強くなる。
こんなに身近に、守るべきものがたくさんあったと、絢也は初めて気づいた。
自分は、こんなにも仲間に、パートナーに、恵まれていた。
それに気づけず必死でひとりで走っていたつもりだった自分は、大馬鹿だったと、絢也は痛感した。
「絢也、行くぞ!」
着替えて荷物をまとめた士郎が入り口で呼んでいる。
「おう、今行く!」
絢也は心からの笑顔でそう答えた。
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