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第5章 らん舞吾妻なる鏡ときは足る

らんブアガツマなるカガミときはタる       1  名付け権限。メンテ管理。顧客データ。取立て命令。  持ってないものはほぼなくなった。サダのしようとすることについても口出せるようになった。  檀那様。その呼び方も全然抵抗なくなった。  俺の采配ひとつでどうとでもなる。面白くないかといったら嘘になるが、一番興味深いと思ったのが、客との遣り取り。  会員になれるかどうか。支払う額はどうするか。どうゆう穴が好みか。直接俺が聴取する。どいつもこいつも、  ぜってえおかしいフツーじゃねえ奴ばっか。  端から見れば、檀那様の俺が全権掌握したトップみたいに見えるだろうけど、俺はそうは思ってない。使い勝手のいい出先機関。その程度。俺が一番偉いみたいに思われてたほうがいろいろ都合がいいだろうからそう見せかけてるだけのことで。  やっぱりサダのほうが偉い。歴と年季が違うとか、そうゆう実際的なところを抜きにしても、判断に困ったときサダに相談するとあっという間に道が開ける。裏道がなければ抉じ開ければいい。サダの強引なワンマンさには驚かされてばっか。  勝ちたいと思っているわけじゃない。サダも常々こぼすけど、早くひとりで全部出来るようになれれば。余裕綽々に見えるサダも、最近は心労が絶えないらしい。  愚痴を聞くのも俺の役目。 「ホンマにねえ、心苦しいのですよ。嫁送り出すおとーちゃんの気持ちゆいますか。結婚式とか絶対あきませんわ。涙で前が見えへんの。なんで俺が手塩にかけてかわええかわええ育ててきたあの子を差し出さなあかんのか。どこの馬の骨ともわからんとんち」  切った。  ひっきりなしの電子音。勘弁してくれ。 「電波状況が悪いみたいやね。そんでな。ヨシツネさんたらね」サダが言う。 「いまどこだっけ」 「銃刀法の国。から飛び立つとこやわ」 「ワシントン条約引っ掛からないようにね」  珍獣連れてるみたいだから。 「あー気ィつけるわ。ところでなんで門外不出の秘蔵お写真を泣く泣く、檀那様やさかいにな、とくべっつに見せてやろ思うて優しさのお裾分けゆうか幸せは分かち合ってこそ倍増計画ゆうか、そちらさんの感想届かへんのやろ。もしやそっちに届いてへんの? アドレス変えた?いま送り直」  切った。  心労が耐えないのはむしろ俺だろう。なんだあの親バカは。  サダが空港にいるとしたら。  行くのはあの屋敷。  サダの実家だとか何とか。  俺も一回だけ行ったことがある。檀那様として顔見せに。  独特のにおい。あれを嗅ぐとしばらくは頭が朦朧とする。そうゆう作用がある物質なのかもしれない。  ベイジンと呼ばれる女。  あの人がトップだ。すぐにわかった。  通訳挟んでの会話だったけど、会話になってなかった。向こうの言うことが難解で。サダにはわかってるみたいだったから二重の通訳が必要で。  ただ一方的に話を聞いてるだけ。意味も取れない。  俺に期待してるってのだけはわかった。応えられないと、洋ナシ。じゃなかった。用なし。サダのオヤジギャクが感染ってきたかも。  1位と2位と3位を屋敷に住まわせることにした。部屋は4つある。1つは予備に。俺の住んでる建物に近いところから、順位の若い順。一番遠い部屋が空きになる。  名前を与えたけど、メンテのときくらいしか呼ばない。順位も変動が激しいからいちいち憶えてられない。  手前から1位、2位、3位、と認識するようになってしまった。でもそのほうが情が移らなくていい。クロウのときみたいにつらいのはご免だ。 「おかえりさん」 「た、だいま戻りました」ええと、2位の子かな。ちょうど帰ってきたところ。寝癖なのか天パなのか髪型が安定しない。 「ゆっくり休みィな」 「ありがとうございます」2位の子が言う。 「ああ、メンテ。しよか」  至極嬉しそうに笑う。例外はいない。檀那様の機嫌一つで命を握られてるから仕方なく演技している。としたら、大したものだが。  メンテすればわかる。大抵は素顔を引っぺがせる。従順に見える奴ほどしたたか。 「脱いで」  面倒なので第一声はこれに定着しつつある。マンネリだ。 「どうやってふんだくったんか、ゆうてみ? 再現したるさかいにな」  どんなヘンタイプレイが飛び出すかわくわくしている自分がアホくさい。二本挿れた。それはさすがに俺一人じゃ再現できない。 「よう挿ったな。見せてみ」  躊躇いながら四つん這い。腰を高く持ち上げる。 「フィストは?」 「なんですか?」2位が言う。 「拳挿れるやつ。してへん?」 「わかりません。いつも記憶が飛んでて」 「薬?」 「わかんないです」  慣らした後に。そうか。  こいつを抜かずに俺のを挿れればいいのか。 「あ、れ。三本だったかなあ」 「はっきりしいや」 「ごめんなさい。憶えてないんです」  三本か、と思う。三本挿ればフィストも可能では?  「どないなことくっちゃべるの?」 「あ、えっと」眼がとろんとしている。  聞こえてなかったかもしれない。 「客となんやら喋るんやろ?」 「あ、はい。奥さんがいるそうなんですけど、その人よりい、いて。ゆ、われました」 「ほお。あとは」 「お子さんが、う、まれたみたいで、た、のしみだと」 「男?」 「あ、え、どっちだ、たかな。とにか、く楽しみだ、そ、で」  楽しみな内容は。  手軽な穴だとかそうゆう方向だろう。不純な動機で孕ませたもんだ。 「そいつ、優しい?厳しい?」 「あ、あ、その」 「俺と比べんでええよ。お前の判断で」  優しい。  へえ、そいつは意外。 「あとでまた詳しく聞かせてな」  イったっぽいので聞こえてないだろう。2位を送り込んで正解だった。  客側に少年のランクは知らされてない。知ってるのは抱かれる側。  知りたくない奴は伸びない。知って自分の立場を身を持って思い知った奴のほうが、化ける。1位はさほど期待してない。だからこそ、2位と3位をここに住まわせている。一番めざましいのは、2位と3位。1位はもう廃れるだけ。1位になった瞬間にもう先はない。  着物を直しつつメールを確認。早速入っていた。次の派遣予定。  引き続き同じのをとの希望。ひとりを丁寧に可愛がっていくタイプか。その割にクロウはさっさと見切った。 「催促なら明細を確認してからにしてくれないか」相手方が言う。  フツーは檀那様自ら電話はしない。電話イコール取立てだから。「ああ、すんませんね。はじめまして。俺が誰かおわかりになりますやろか」 「これはこれは失礼を。もしや」 「知っとるなら話早いわ。今日はお暇ですか」 「随分と急ですね。こちらにも予定というものが」 「そか。ならええわ。ほんならさいな」 「まあ待ってください。相手が貴方ならば事情は違ってきます。お時間に希望は」  来た。 「お夕飯も兼ねて。どうでしょか」  場所指定。  ホテル。ラブじゃない。なんであんな奴と寝なきゃいけない。寝る?  ああ、それも手か。 「わかりました。では、のちほど」  2位が眼が醒めたようだ。俺が電話中なので立ち去ろうにも立ち去れなくて待っていたらしい。悪いことをした。 「ご苦労さん」  最期は食われる運命にあったとしても、餌だから。本望だろう。  寸前に場所変更したが、向こうは唯々諾々と受け入れるほかない。ざまあ。  ホテルじゃなくて旅館。相手が遅刻してきたときの皮肉を考えながら向かったが、先を越された。天井の高いロビィで、ノートパソコンをいじっている背中。  脇に立っても気づかない。 「どーも」  眼だけ上げる。  またすぐモニタに戻す。失礼千万だ。 「そりゃな、遅れてきたんは悪いけど」 「申し訳ない。こんなに若いとは思ってなかったもので。からかわれているのかと」  俺が見かけ上のトップに君臨する前からいる客だから、檀那様を直接見るのは初めてだろう。  年齢。家族構成。職業。年収。趣味。志向。データで読み取れるものの単なる具現。こいつの価値は漏れなく数字で還元できる。つまらない。  こんなつまらない奴にクロウは。 「まあ突っ込んだとこはあっちで」 「一つ、お聞きしたい」  階段で呼び止めるな。危ないじゃないか。 「なぜ私と面会を」 「会うてみたかった。それやあかんかな」 「いいえ、充分です」  部屋は離れの2階。  すぐに料理が運ばれてきた。そう頼んでおいた。邪魔しに来られては迷惑だから。旅館側のサービスはさっさと済ませてほしい。 「てきとーにつついてな」 「それでは一杯」お酌をしゃしゃり出た。 「ああ、俺は」 「お飲みにならないのですか」 「あんま美味いもんと違うやろ」 「では私も」 「そないに遠慮せんでも。明日もお早いんで?」 「いえ、無理を言って休みを」  用意周到じゃないか。 「どうです? 愉しんでもらってるようで」 「彼ですか。まさか通信簿でもお付けに?」 「消費者の意見も取り入れんと」  ちゃっかり飲んでる。酔ってまともに話せるのか。 「すみません。実は目がなくて」 「ええよ。どんぞ」  二本。三本。どんどん瓶が空く。 「部下をね。巻き込んで」奴が得意そうに言う。 「そら別料金やわ。追って徴収ね」 「いやいや、口が滑りました。駄目ですね。すぐに酔いが回る」  どうせ部下からもふんだくってるんだろう。  なんでお前が儲けてるんだ。富はすべてこちらで吸収する。 「そろそろ、厭きがきてへんかなぁて」 「そうですね。次々回辺りから、新しい子を」 「厭きたらどないするん?」 「お返ししますよ。ああ、もしやあのことをお気になさって。その節はご迷惑を」  大迷惑だ。死んで詫びろ。  クロウの。 「でもあれは私には無関係でしょう。私はね、きちんとお返ししましたよ。期日も時間も守って。あれは私に非はないでしょう。それはおわかりいただいてますよね? その弁償金やらなんやらはすでにお支払いしたと」  カネぐらいで丸く収まるとでも?  ピッチが早い。顔はタコより赤い。 「あの子はよかったんですよ。いや、実によかった。あの反抗的な態度。噛み付いてやるぞ、みたいな眼もね。でも私だって厭きるもんは厭きる。反応も段々まろやかになるし、勝手もわかってくる。そうするとね、面白くないわけですよ、私としてはね、もっと」 「もっと?」お酌をしゃしゃり出てみる。 「ああ、おっとっと。すみませんねえ。気を遣っていただいて。それでは一気に。ぷは。いやあ、美味い美味い。如何です? お箸のほうもあまり進んでいらっしゃらないようですが」 「もっと? なんやろ」 「ああ、はいはい。もっと。そう、もっと、も」  足で。  踏む。和室にしたのはそのため。 「あ、ちょっと。おや、めください。あ」 「通常に帰路辿らせたんやったら、なんで、家に帰ってこんのかな。わかる? ゆうてみい。ゆわれへんと」  痛い。やめろ。と言っている割には嬉しそうだ。  クズが。 「とっととゲロしいやあ。飲んだ分は吐いてもらうで」  一丁前におっ勃てやがって。  こんなもんがクロウの中に。 「な、なにか、勘違い、をしておられ」 「そらそーっくりお前に返したるわ。当店はお客様のお持ち帰りを禁止しておるんじゃぼけがぁどこやったお前がパチったもんばっくれおってもなあ地獄の果てでも追っかけまわしてマワしてやるわ鼻ん孔っからぶくぶく種出すまでなぁ」  道理でねっとりすると思ったら。まさかの発射しやがった。  足袋が穢れる。  脱いで奴の口の中に突っ込む。 「さあ、ゆうてみい。いまなら聴いてやるわ。言い訳も言い分も」  もごもご。 「はあ? 聞こえへんよぉ。はっきりゆうてみい。はっきり」  こんな奴に持ち逃げできるはずがない。どこかに隠してあるんじゃなくて、連れて逃げてる奴がいる。  足取りを撹乱。あと一歩のところで紙一重。ネズミを追うのはやめた。根城を潰すことにした。巣穴の入り口で煙を焚いて燻りだす。  奴の腿がピクピク痙攣し始めた。気色悪い。  割り箸をぐりぐり突っ込んで口の中の足袋を外に。  ねっとりと。唾液が絡みついて。  窓開けて捨てる。 「次が最後やさかいになぁ。どこやった?」  咳き込んで。  液体が。シャツの襟が惨憺たる感じに。 「ちょ、っと遊んだら返すつもりだったんですよ。部下がそうゆうのも面白いとか言い出しまして、わざわざ調べて、う」  踏む。 「要点は簡潔にな。俺、気ィ短いの」 「部下が知ってるかと。わ、私は知らない。部下が勝手にあっちこっち連れまわして」 「連れ、マワして? ほお。あかんことはぜーんぶ部下に押し付ける隠蔽工作がお好きですなあ公官僚のお家芸」 「ほ、本当なんだ。信じてくれ。途中までは私も関知していたんだが。もういまとなってはどこへやったのやら。聞いても首を振ら、れ」  ぐえ、と。嘔吐。  足にかかるとこだった。  食べたばっかの刺身やら湯豆腐やら。ついでに畳も弁償だ。  勿論お前のカネで。 「ほんなら、部下の居所。聞こか」  部下ったって何百人といるわけだから。全員を洗う必要はない。目星は付く。ケータイもパソコンも取り上げた。  やっぱり。クロウの画像映像が大量に出てきた。 「抜き打ち家庭訪問もしたるさかいにな。楽しみにしたって」 「や、やめ。妻が」 「やや子もおるんやてな。とーちゃんの下半身武勇伝聞かせてやらんと」  先に葬式しておいてよかった。かもしれない。あれ以上の哀しみはもう襲ってこないと思ってたけど、同程度の哀しみがもう一回。  再体験。いっそ殺してやったほうが。  どうやったらここまで惨いことを。  関わった部下諸共全員監禁リンチ決定。直ちに実行。 「顔色が優れませんので」スゲが気を遣って蒸しタオルなんか持ってきた。  充血した眼が気色悪かっただけかもしれない。 「俺がやらんで誰が」 「復讐は疲れますよ」スゲが正論を言う。 「せやな。わかっとるつもりなんだけど」  もっと早く気づいてれば。 「サダは」 「気づいてました」スゲは顔色一つ変えずに言う。 「お前は? 一応聞くけど」 「死体がない葬式を強行する場合、大抵」 「なんで言わなかった?」 「聞かれませんでしたので」 「訊いてたらゆった?」 「いいえ」  サダが。  どうゆうつもりだ。  電波の届かないところにあるか電源が入ってませんので。海外でつながらないケータイなんか持つな。 「仲良くするなってことか」  スゲは特に答えなかった。別に俺も独り言だったし。 「サダとヤったことある?」 「部署が違う」スゲが言う。 「客取ったことないの?」 「向いてないからこっち」上着の内側に手を入れた。  銃刀法の国で物騒な。  クロウに会いに行きたいけど。会いに行こうと考えた途端足が竦む。  さっき一瞬見た。黒尽くめに頼んで見た目は綺麗にさせたけど。  中身が。  俺が殺してあげよう。どうやって。  クロウの血が。  見たくない。厭だ。  サダに相談したい。文句を言いたい。電波の届かないところにあるか電源が入っていませんので。  離れ。  座ると寝るの中間。てゆうかどっちつかずの姿勢で。  クロウが。  肩を支える。冷たい肌。前髪を上げる。  黒尽くめから斜め聞きした内容を反芻する。クロウの身体の状況。怪我はないけど。怪我がないったって。  隣に座ってた。あのときみたいに。場所違うけど。やってることは同じだから。  クロウは自分では座ってられない。なんで。  座ってられない?   座ってよ。座るくらい。  なんでもないじゃん。座れただろ。隣座って。  振動。ケータイ。 「つながるんだ」 「すまんね。スゲからむっちゃ怒られたわ」電話口でサダが言う。 「教えてくれたって」 「死んどったほうがよかったのと違う?」  わからない。 「俺もな、何遍も何遍も似たようなことおうて。そんたびに」 「嘘つかなくていいから」  サダが笑う。なんでこんなときに笑える。 「なんかあった?」 「お見逸れしますわ檀那さまやね。さすがになあ、眼の前やときっついわ。わかってて連れてくん。ひっどいおとーちゃんやろ。ああ、はよ帰りたい」 「ヨシツネ? だっけ。大丈夫なの?」 「さっき泣き止んだとこ。こら即行トラウマやね。堪忍してえな」 「ここって、何してるの?」 「カネ儲けやね」サダが即答する。 「フツーじゃないよ」 「せやね。フツーやったらやってけへんわ」 「スゲとヤったことある?」 「なに?狙うとるの? やめときぃ。あいつオモロないえ」 「ヤったことあんだ」 「元メンテ係やさかいにね。すまんかったね。明日戻るわ」 「いや、こっちでやっとくよ」  葬式はもうやった。  これからやるのは。 「へーき? 無理せんで」サダが言う。 「俺の友だちだから」 「好きにし」電話が切れた。  座ってくれないクロウ。座りたくないから座らないんだ。  なんだ。  そうだったんだ。 「ごめん」  無言。 「ごめんな」  クロウはあっち見てる。 「ちょっと」  クロウはこっち向かない。  口。謝ったから。  許してくれるよね。  ばいばいじゃないから。ばいばいは言わない。 「お願いあるんだけど」縁側で控えていたスゲに言う。       2  本当は俺がやってあげたかった。  でも苦しかったり痛かったりすると可哀相だから。正直に言うと、殺すのが怖かっただけだ。  スゲにもサダにも言われた。  殺し方がわからない。殺したくない。なにも殺さなくても。  時間かければまた元通りになるんじゃ。ならなかったら。  いつまで待てる。待てない。俺が苦しかったり痛かったりするのを防いだだけだ。 「ホンマはね、復讐もカッコ悪いさかいに。やめ、て止めるべきやったんやけど。まあわからんでもないかなあ、と情にほだされたサダさんでした」 「次はしない」二度としない。  二度と起こさせない。 「ぎょーさんふんだくれたしな。プラマイゼロゆうことで」  奥さまの住居が不穏なことになってるらしく、ほとぼりが冷めるまでヨシツネとサダがこっちに泊まることになった。  1位と2位と3位は全員留守。黒尽くめもこないだ異動があったので、サダのことは知らないかもしれない。 「浮気でもしたの?」ほとぼりの原因。 「はあ? お前なんつーことを。俺は昔っからヨシダさん一筋やわ」サダの声が珍しく裏返る。 「ヨシツネばっか可愛がってるから怒ったんじゃない?」 「せやったらどんなにええか」 「違うの?」 「檀那さまは知らんか。た、まーにな。波が来るん。ざわーっと。誰も手ぇ付けられへんのやけど、ひとーりだけ、それを鎮められる偉大なお人がいてるん」  イジンさん。  トップの人だ。  ベイジンと呼ばれる女。 「せやけど、ここにはおらん。するっと、どないなる? 放っとくしかあらへんやろ。つらいけどな、無理に止めに入ろうとすると、昔は引っ掻かれるくらいのもんやったけど、いまは最凶のおっそろしもん。ふたーつも持ってて」  飛び道具のことだ。 「家、穴だらけなんじゃ」 「修繕よりヨシダさんが、あ、違うたね」 「そっちでいいよ。呼びやすいほうで」 「奥さまは奥さま、て呼ばへんとあかんゆいますのよ。無視やで。ああ、つら」 「好きなんだね」 「そ。むっちゃ好き。愛しとる」  廊下。ヨシツネが本を持ってのぞいてる。わからない漢字があったらしい。  サダは気持ち悪い裏声なんか出して、くそ丁寧に教えてた。 「辞書買ってあげれば?」 「そんなんパソごと買うたるわ」サダが言う。 「ヨシダさんとヨシツネ。どっちが好き?」 「うわ、お前。究極の選択ぶつけんといて。困ったな。どっちもかわいらしさかいに」 「どっちか」 「無理やで。ムリムリ。どっちも愛しとる」 「だから暴れてるんだよ」 「ヨシダさんな、元はニンゲンやなかったのよ」 「は?」  どうせ天使だったとかそうゆうしょうもないオヤジギャクの。 「枕や枕。寝るときに頭つける」 「疲れてるんじゃない?」  サダの顔は。  真面目だった。そんな顔。  そうゆう顔も出来るんだ。 「ある日ある日イジンさんがな、あんまりにもかわいらし枕発見しまして。それがあんっまりにもかわいらしさかいに魔法かけてニンゲンにしはったの。嘘やと思うでしょ? これが大嘘ですわ」 「え、どっち?」 「じょーだんやわ、じょーだん。ウソウソ。ああオモロ。ヨシツネもな、一ヶ月くらい信じてたわ」 「せーかくワル」 「でもそんくらいな、ヨシダさんは神秘的なお人ですのよ。俺かて詳しいとこはなあんも知らんの。俺がこないなことし出す遙か前からいてるん」 「え、いくつ? 俺とそんなに変わらないと思ってた」 「せやろ? ちーとも老けてへんのよ。おかしいわ。せやからね、さっきの話捏造する気もわからへんかな」  やっぱ捏造なんだ。半分くらい信じかけてたのに。 「そないに簡単に信用するもんやないで? 早死にしますえ」  ヨシツネがまた本持って来た。サダが裏声出して駆け寄る。  どうでもいいけど、その本。子どもが読むもんじゃないよね?   その漢字は俺にも読めない。意味もよくわからないし。わかんなくていいよ。余計な知識入れなくていいって。  だってさ、それ。 「ああこれね。き、く、も、ん。そう。菊門ゆうんはね、菊の御紋のことやのうて。あれえ、菊の御紋知らへん? そっちは」  止めたほうがいいんだろうか。  てゆうか、こんなことしてるから奥さまが暴れてるんじゃ。 「掘るがわからんの? 土やないよ。確かにそれも掘るゆいますけど。うーむ。あとでこっちの檀那さまと実践しま」  やめろ。

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