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第0話【燃え尽きた故郷】

瑞々しく、天に向かってその生命を謳歌していた草や花は、惨くもその身を黒く焦がし、灰となってゆるりと吹く風に消える。 辺り一面が黒い炭と化し、鼻を突き抜けるかのような焦げた異臭を放つその光景は、まさに地獄そのものであった。 木製の家屋は轟かんばかりの豪炎に包まれ、その周りでは既に息絶え横たわる「人であったであろう、黒いなにか」や、それを囲むようにしてお互いの肩を抱き合わせながら泣きわめく童が数人。 そんな光景が、先程まで平和であったこの小さな村に、数多にも拡がっていた。 牛や畑、家を焼かれ、数多の焼死体や刺殺死体がそこかしこに転がる光景に加え、屈強な男たちがお互いに何か武器を持って戦うようなつんざく音が少し離れた所から聞こえてくる。 この「地獄」の中で、一人の少年がポツンと血だまりの土の上に突っ立っていた。 辺りの惨状を気にする様子はなく、どんよりとした暗い空を、少年はただ黙って見上げている。 「…おかあ、さん…」 少年の口からふいに発せられたその掠れた呟きには、全くと言っていい程に感情が灯されていない。 パサパサの短く茶色い髪の毛やぼろぼろの甚平、身体中に残る傷痕や血の乾いた跡、光を宿さない象牙色の瞳、全体的に痩せ細った貧弱な身体。 少年のその姿が、この死屍累々たる惨状を更に悲劇的な物として作り上げている。 身体の生気を全て抜かれてしまったのかというほどに感情を表さない少年の背後に、ふと巨大な影が迫ってきた。 気配に気づいた少年がゆるりと後ろを振り返ると、まるでヒグマのような巨大な身体をした醜悪な顔つきの男がニタッとこちらを見つめてくる。 肉厚な瞼や分厚く歪んだ唇が三日月のように細められたその様は、まさしく悪魔そのものであった。 男の手には、鋭くも血で濡れた刃を携えた鎌が握られている。 男はその鎌を持った手を振り上げ、そのまま勢いよく少年の頭めがけて振り下ろしてきた。 (…おれは、ここでしんじゃうのかな…) 血濡れの刃の切っ先が、己の頭に真っ直ぐに向かってくる。 今さら逃げようとしても、弱った子供の体力ではどうにもならない。 生きることを諦めた少年が、潔く死を受け入れる為固く目を瞑った所――――――――。 「ガッ!?」 「…テメェ、年端もいかねぇガキ殺そうとしてんじゃねぇよ。クソッタレが」 少年の目が閉じられている間、目の前では何かを殴り付けるかのような音と先程の男の汚い悲鳴、それと、口調は悪いが透き通るような低くも高くもない心地のよい声が耳に木霊している。 ふと、おそるおそる目を開けた少年が目の前の光景を視界に捕らえた瞬間、「あっ!」と思わず驚きの声を上げてしまう。 先程まで自分を殺そうとしていた大男は、今は地面に大の字になって気絶していた。 その男を氷のような冷たい視線で見つめていたのは――――――。 蒼く、美しい、【】だった。 同じ人間とは思えない程に、凄まじく美しい月の神様のような青年。 この醜悪な現状に何事もないかのような冷静な表情で立っている。 立ち振舞いも、雰囲気も、そしてその神々しい見た目からも、彼はまさしく神様そのものだ。 神様…もとい、その青年は、伸びた男から冷たい視線を外すと、今度は少年へ慈しむかのような優しさを携えた瞳を向ける。 正面から見た青年のかんばせに、少年は思わず「わぁ…」と小さな感嘆の声を漏らした。 海のように深く蒼く、宝石のように透き通った瞳。 その瞳を縁取る、数多のぬばたまのような長い睫毛。 目の下の縁にも、長い睫毛が密集している。 真綿のような滑らかな白い柔肌。 スッと通った剥製のような鼻筋。 ほんのりと朱を帯びた、小ぶりで薄目の唇。 輪郭は緩やかに丸みを帯びており、この青年がまだ大人になりきれていないであろう年頃なのが見てとれる。 単調な紺色の忍装束のような物を身に纏っているのが、この青年の儚い美しさをより引き立たせていた。 そして何より少年の目を惹いたのは、その天の川のように光を存分に反射しながら、たゆたう風の流れに乗せられ揺らめく、蒼く滑らかな長い髪の毛であった。 こんなに綺麗な人は、見たことがなかった。 少年はこの瞬間、今までに抱いた事のない気持ちが胸の中ではち切れんばかりに轟いていくのを感じた。 己の心臓が痛むほどに鼓動を高鳴らせ、苦しいような切ないようなごちゃまぜの感情が胸の中を侵食していく。 今はもうこの世にはいない両親や友達にも、このような複雑な感情を抱いた事はなかった。 今もまだ乱闘が続いている中、青年は少年の視界に少しでもこの地獄を入れないようにするため、その白い華奢な手で少年の両目を軽く押さえながら隠してしまう。 ほんのり冷たい手で視界が真っ暗になっても、【神様】に魅了され呆けている少年は緊張で身体を硬直させるばかりである。 火薬や血のツンとする不快な臭いに混じり、青年の手からは仄かに金木犀のような甘い香りが漂ってくる事に、どうしようもなく少年の心は締め付けられた。 「…こんな事に巻き込んじまって、ごめんな…」 (…なんで、あやまるの?) 青年の儚く呟かれた言葉が気にはなったが、それも直ぐに周りの乱闘の音で欠き消されてしまう。 自身の目を覆う青年のあまりの美しさにしばらく夢の世界から帰れずにいた少年だったが、すぐ近くでまた男たちの乱闘のような音が響き渡ってきた事による恐怖心でハッと自我を取り戻した。 「おい!あっちにもまだ生きてる人がいるぞ!!」 「おいそこのねぇちゃん、大丈夫か!?」 乱闘のような音以外にも、あちこちでお互いの安否を気にかける村の人たちの声がする。 生き残った人々が、懸命に互いを救おうと手を差し伸べ合っている。 (…そうだ、いまは、けがしたひとをたすけなくちゃ!) ようやく今の自分がすべき事を思い出し、少年は血が滲む程に固く握り拳を作り上げた。 自身の目を覆っているこの少し冷たい白い手をどけてしまうのに心苦しい思いを抱くが、今はそれどころではないと決断する。 ゆっくりと青年の手に自身の荒れた手を添えれば、青年は直ぐに察してくれたのかそっと少年の目元から手を離した。 甘い香りに後ろ髪を引かれながらも、少年が他の村人の救援に向かおうと一歩足を土に踏みしめた所で、急に背後の気配が消えた。 「えっ?」 急いで後ろを振り返れば、そこにはもう青年の姿は跡形もなくなっていた。 美しいかんばせも、甘い香りも、青年のいた痕跡は嘘のように綺麗さっぱりと消えて無くなってしまった。 今の一瞬で何処かへ行ってしまうなんて、あの青年はよほどの手練れなのか、はたまた本当に神だったのかはもう今では何もわからない。 そういえば、青年が去っていってから、不思議と周りに轟いていた乱闘のような音もぴたりと止んだ。 あの青年が、自分達を襲ってきたあの怖い人たちを追い払ってくれたのか。 頭の中に様々な疑問符を浮かべながらも、とりあえず気持ちを切り替えなければと、少年は目の前の怪我人の救護に専念し出す。 辺りはもうすでに火の海であり、かつては平和で優しい温もりに包まれていた生まれ故郷は、跡形もなく崩れ去ってしまった。 しかし少年は諦めようとはしない。 ここで自身も朽ちてしまえば、あの人に会えなくなるからと自らを振るい立たせた。 またあの神様に会いたい。 会って、お礼を言って、この切なくキュッとするような気持ちを真っ直ぐに伝えたい。 その一心で、少年は立ち上がる。 小さくぼろぼろの身体で怪我をして動けない大人を懸命に背負い、枯れていない井戸を見つけ水を汲みながら、他にも生き残りがいないかを見つけるために汗だくで走り続けた。 頭の片隅に、あの人の面影を残しながら――――――

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