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第13話 そばに、いるよ

「もう、身体はいいのか」  数日間の寝たきり生活を終え、ようやく活動しても支障がなさそうだと判断して起き上がろうとしたメイリールに、ディートハルトが声を掛ける。 「うん、もう魔力も回復してるし、大丈夫だと思う」  意識を取り戻して以降のディートハルトの変わりように心が追いついていなくて、メイリールはどうにも真っ直ぐその目を見られない。思ったよりぶっきらぼうな言い方になってしまって、少しだけ焦った。 「そうか」  それを気に留めた様子もなく、ディートハルトが微笑んで、メイリールの頭を撫でる。その笑顔に思わず見惚れそうになって、慌てて目を逸らした。 「ルーク、……いろいろ、ありがとう」  少し前を歩いていくディートハルトの背中を見つめて歩きながら、メイリールは肩に乗る相棒に向けてつぶやいた。一連の出来事はほんの数日前のことなのに、いつもの位置にルークの重みを感じるのがひどく懐かしいような気持ちになる。ルークがギョッとしたような顔でこちらを振り向いたのが見なくても分かって、メイリールは少し笑った。 「メイが礼を言うとか、槍でも降るんじゃ……」  相変わらず守護烏の自分に対する扱いが雑だ。だが、いつもそこにいてくれるありがたみが、今日はことさらメイリールの心に沁みた。 「礼なら、あいつに言うのが先なんじゃねえの」  そう言って、ルークがくちばしで前を歩く男を指し示す。そういえば、ずっとそばにいるのに、照れくささのあまり、まだディートハルトとはろくに会話もできていなかった。 「あいつ、お前が倒れたの見たとき、この世の終わりみたいな顔してたしなあ」  初耳だ。メイリールは驚いてルークの方へ振り向いた。ルークがそんなメイリールをチラッと片目で見上げ、話を続ける。 「真っ青な顔でお前を抱え上げて、必死に呼びかけてたよ。どうしてだ、こんなのもう沢山だ、って。お前が死んだと思ったんだろうな。多分魔力切れなだけで、まだ死んじゃいねえよって俺が声をかけたら、幽霊でも見たような顔してたのは笑えたけど」  そう言われてみれば、ルークはディートハルトの前でメイリールに話しかけたことはなかった。メイリールの言っていることを理解できるのは見ていて分かっていても、ルーク自身が話せるとは思ってもみなかったのだろう。その光景を想像すると、なんだかシュールでおかしかった。  ——それより、もう沢山だ、って……それって、前にも誰かを……?  そう思った瞬間、全てに辻褄が合った気がした。自分を通して遠くを見るかのようなあの目つきも、花を握りしめて泣いていたことも、どこか一定の距離以上近寄らせてくれなかったのも……自分にも想像のつかないような、喪失の悲しみを、ディートハルトは前にも味わったのかもしれない。そして、自分の存在が、ディートハルトの中でいつしかそれに並ぶほどの大きさになっていたのかもしれないことを、ルークが語るディートハルトの姿は示唆していた。 「……っ……」  勘違いでもいい。失いたくないと、ほんの少しでも思ってくれたのだとしたら。メイリールはたまらなくなって、前を歩く背中に向かって走り出していた。  森には、すっかり冬が訪れ、洞窟の外は白く輝く雪に覆われた。季節のない魔界に育ったメイリールには何もかもが物珍しくて、寒いのを嫌がるルークを無理に連れ出しては外で遊び、風邪でもひかれてはかなわないとディートハルトに火のそばへ連れ戻されるのが日常になっていた。  相変わらずディートハルトは無口だし、メイリールも前よりディートハルトにしつこく絡むことが減り、二人の間の会話の量は一見すると以前よりも減ったようにも見える。だが、メイリールは、あの一件以来、ディートハルトのまとう空気が変わったのを感じていた。ディートハルトの心を閉ざし、近寄るものを拒んできた壁は、もう感じられない。瞳には生気が宿り、感情の炎が踊るようになった。時折、その瞳でじっと見つめられると、メイリールはどうしても居心地が悪くて顔を伏せてしまう。そうするといつも、頭の上で笑う気配がして、頭をくしゃっと撫でられた。そばにいるだけで、満ち足りた気持ちになる。こんな感覚は、初めてだった。  ——ディートハルトから、結局は直接何も聞けていないけど……  あの日以来、メイリールが回復してからも、ディートハルトは毎晩必ずメイリールに寄り添って眠るようになった。そのことに、ディートハルトの心情が現れているような気がした。  ——大丈夫だよ、俺は、ここにいる。  自分がいなくなってしまうのではないかと、ディートハルトがどこかでまだ不安に思っているような気がして、メイリールは自分を抱き抱えるようにして眠るディートハルトの胸に顔を埋め、想いを込めてそっと抱きしめ返す。それに応えるように、頭を撫で、髪に顔を埋めてくるディートハルトに、メイリールは胸がいっぱいになった。 「ディー……」  無意識に、その名を呼んでいた。 「ん……?」  少しくぐもった声が、頭の上から降ってくる。 「どうした?」  優しく頭を撫でられて、ディートハルトの首筋に甘えるように鼻を擦り寄せる。その体温と匂いに安心している自分を感じながら、メイリールはゆっくり言葉を選んだ。 「俺ね……ディーの、そばに、いるよ」  しん、と静まり返った洞窟に、自分の声が響く。何を言おうとしているのか、ディートハルトが無言で続きを待っている気がして、メイリールは一生懸命、考えながら続けた。 「ディーの心に、きっと誰か、大切な人がいたんだろうなって」  メイリールの位置からは、ディートハルトの表情は見えない。自分の言葉がディートハルトにどう届いているのか、わからないまま、それでも今伝えなければいけない気がして、話し続ける。 「……俺が、その人の代わりになれるとか、そういうことは思ってない。けど、俺はただ、ディーのそばにいたいし、……ディーも、それを望んでくれたらいいなって思ってる」 「……メイリール」  静かに名前を呼ばれて、メイリールはギュッと目を瞑った。言ってから、急に怖くなった。もし全部が自分の盛大な勘違いで、ディートハルトにとって単なる気持ちの押し付けでしかなかったら。そう思うと生きた心地がしなくて、メイリールは祈るような気持ちでディートハルトの言葉を待った。だが、次にもたらされたのは言葉ではなく、ディートハルトの手だった。大きくて温かい手がメイリールの顔に添えられて、自然と上を向かされる格好になる。顔を上げた先には、メイリールを見下ろすディートハルトの瞳があった。その眼差しは、メイリールの言葉を、想いを全て受け入れ肯定する、愛しいものを見るそれであることを、メイリールは直感で理解した。 「…………」  ディートハルトの顔が、ゆっくりと寄せられる。メイリールは目を閉じて、その口づけを受け入れた。感情が溢れて、自然と涙が頬を伝う。色めいたものを感じさせるわけでもない、ただただ、気持ちを重ね合う口づけを、メイリールは初めて知った。そして、それが恐ろしいほどの幸福感をもたらすことも。  ——離れたくない……  涙まじりの塩辛い口づけを幾度も交わし、その度に、そこから溶けてひとつになってしまえばいいとさえ思った。静かに涙を流し続けるメイリールを、ディートハルトがそっと抱きしめる。その腕の温もりに、やがてメイリールの意識は再び闇に溶けていった。

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