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第1話

 ー自分を大切にできなくなった。あの日からー  人肌に触れても、彼の心の隙間は埋められない。埋まるどころか、どんどん隙間は広くなるばかりだ。 空虚さは増していくだけだった。でも、一時の快楽を求めることを止められない。  心ではこんな日々を止めたいのに、あの日を境に彼の日常は変わってしまった。    誰か助けてくれ……  心でそう叫びながら、今宵も夜の闇に紛れる。    刑事の三笠豊は、都内にある警察署の刑事課に所属している。階級は巡査長だ。  仕事柄気持ちが荒むこともある。だから、時折歓楽街に出てはパトロールも兼ねて一夜限りの相手を見つけて寂しさを慰めていた。 もちろん職業は相手に明かすわけがない。知り合いにバレないように気を付けてもきたのだ。  今の警察署に勤務して三年になるが、疲れた時などにはある場所を訪れていた。  四月のある日に三笠が訪れたのは、新宿ニ丁目のゲイバーだった。馴染みの“ママ”がいる店で、居心地が良い。ここに来る目的は、行きずりの相手を求めるためだ。これまでも、ここで相手を探しその時の快楽に酔いしれてきた。とはいえ、このバーは女性でも来店できるような気さくさはある店だ。  高校の頃からゲイだと自認している三笠だが、ここに来ていることは署の者には秘密にしている。もっとも、仕事関係で知っている者は誰もここには来ないだろうが。  店に入ると、大勢の客で賑わっていた。見回すとカウンターに一席空いていたので座る。  左隣りで若そうな男が一人で飲んでいることに気付いた。俯いているので表情は伺い知れない。  三笠は気にしないようにして、酒をママにオーダーをした。ママは手早くカクテルのショットを作ると三笠の前にコースターと共にコトンと置く。 「三笠ちゃん久しぶりねぇ」  明るく元気なルリ子ママは、芸能界にも顔が利くといいちょっとした有名人らしい。三笠も何かと相談をしたりして心の拠り所になっているところがある。 「久しぶりですか?一週間くらい前に来ましたよね」  三笠が苦笑をすると、ママは意に介さないようで続けた。 「あら、アナタが一週間来ないなんて珍しいじゃない。いつももっと来るくせに」  ママは楽しそうにカラカラと笑った。 「そうでしたっけ?すみません。」 「そうよ。で?ここに来たってことは何か聞いて欲しいことでもあるの?」 「いや、今日はそういうわけじゃないんですけど。ちょっと飲みたくなって……」 「アラ、それでウチを選んでくれたの?嬉しいわね。ありがとう、三笠ちゃん」  ママがウインクをしてきた。ママも着飾りメイクもしているのではっきりとした素性は知らないのだが、少し疲れた時などにママの顔を見たくなることもあるのだ。 「今日も、ゆっくりしてってね」  手をひらひらと振ると、ママは他の仕事に取り掛かった。  三笠もカクテルを飲んだ。その時、隣からガタンという音が聞こえた。  その音にビクリと反応した三笠は左隣りに顔を向ける。 すると、若い男が席を立とうとしていた。三笠は何気なく彼を横目で見ていたが、男はふらついててがっくりと膝から落ちてしまった。 周囲の客が何人か注目したのが、三笠にも分かった。三笠は席を立つと、彼を視線から隠すようにして傍らにしゃがんだ。 「大丈夫ですか?」  そう声をかけると、男がこちらに顔を向けた。その顔には、頬を伝う涙が見えた。一人で泣いていたのだろうか。 三笠は一瞬ドキリとした。 「だ、大丈夫です。ちょっと飲み過ぎたみたいで……」 「立てますか?」  三笠が尋ねると、男はコクリと頷いてゆっくりではあるものの立ち上がりトイレへと向かった。様子を見るに、取り敢えず足取りに問題はないようだ。  少し経ち男はトイレから出てきたので席に戻ってくるかと思ったが、彼はそのまま会計をして店を出ていってしまった。そのことに、三笠はなぜか寂しい気持ちを抱いた。 そして、彼の涙が心から離れない。 『なんで、泣いていたんだ……』 「ママ。今の男って良くここに来るんですか?」  男の様子は、店のママも見ていた。それとなく、ママに探りを入れてみる。ママなら、何か話を聞いているだろうか。でも、全く知らない相手のことを聞くのも出過ぎているだろうか。 「あー、なんか最近たま~に来るけれど、あまり話したりはしないわね。大丈夫だといいんだけど」 「そうですね……」  そのことが気になって仕方がなくなったのだった。

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