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第24話 二人きりで
「あ、えっと、ちょっと片付けるから、その辺座っててくれるか」
将吾は脱ぎ捨てたままになっていた部屋着の塊を慌てて拾い上げ、背後の東堂に声をかけた。無事家まで来たはいいが、こんな予定ではなかったから、部屋の中の状況はあまり準備万端とは言えない。
「ほい、お待たせ。こんなもんしかなくて申し訳ないけど」
お茶の入ったグラスを二つローテーブルに置き、将吾も座った。最低限見苦しいものだけは超特急でクローゼットに放り込んだから、多少見栄えはマシになったはずだ。
将吾としては、もっと時間をかけてゆっくり関係を作っていくつもりだった。こんなに早い段階で東堂を部屋に招待することになるなんて、想定外もいいところだ。将吾にだって、仮にもそれなりに特別に思っている人を部屋に呼ぶなら、もう少し用意周到にしたかった思いはある。冷蔵庫の中に、たまたま手をつけていなかったペットボトルのお茶があって助かった。
一息ついたら、やたらと喉が渇いていることに気づいて、将吾は自分のグラスに口をつける。つられるように、東堂も自分の分に手を伸ばした。グラス越しに東堂を盗み見れば、向こうも同じように緊張した面持ちだ。膝の上に置かれた手が、落ち着かなげに握られたり、開いたりしている。電車の中も、駅からの道でも、黙っているのが気まずくてやたらどうでもいい話を振っていた将吾と反対に、東堂は相槌を打つばかりでほとんど何も喋らなかった。
——勢いで来たはいいけど……ってところか。
東堂の台詞をもう一度、頭の中で思い浮かべる。嬉しいやら恥ずかしいやらで顔から火が出そうだ。何から話そう。どこから、伝えよう。
「ええと……」
将吾が口を開くなり、東堂がビクッと反応する。つい身体が動きそうになるが、今はその手に触れるより、きちんと話をしなければ。自分を落ち着かせるように、将吾は息を吸った。
——まずは、勘違いの訂正からだな。
「俺は、お前をからかってやろうとか、そんなつもりは全くない。まして誰にでも気軽にあんなことをするとか、ありえない」
しんと静まり返った部屋に、自分の声がやたら大きく響くように感じられる。
言葉の上ならばなんとでも言えるのは承知の上だ。それでも、今はこれしかできない。
「不安にさせたなら、ごめん」
東堂の顔をさっと朱が走る。なんだか既に付き合っている恋人同士の痴話喧嘩のようで、言っている将吾だって自分でむず痒い。でも、恥ずかしさをふざけて誤魔化したりすれば、ここまでが全て水の泡だ。
意識して、顔をことさら引き締める。上手い男ならここで東堂の手ぐらい取って甘く囁くのかもしれないが、将吾にそんな芸当ができるわけもなく。
「俺は……まだ自分でもよくわかってないし、うまく言える気もしねえんだけど、そうしたいと思ったから、ああいうことをした。好奇心とか出来心じゃない。それだけはわかってほしい」
東堂が顔を上げた。まだその瞳は不安に揺れている。薄い唇が、何かを探すように開いた。
「それは……」
掠れた声は、これまで聞いたことがないほど頼りない。まるで迷子みたいだ。
「お前は、男も好きになれるのか」
東堂はそう言って、なぜか傷ついた顔をした。その言葉に、表情にどう答えれば正解なのかわからなくて、暗闇の中を手探りで進んでいるような気持ちになる。一つ間違えれば、その手を取ることは二度と叶わなくなるかもしれないのに。
「男……が好き、なわけではないと、思う」
だって、佐倉にキスをする想像をしたら、吹き出しそうになった。苦笑いに顔を歪める将吾に、東堂が眉をひそめる。
「だから、うまく言えねえんだって。だけど、お前は、別なんだ。男だからとか女だからとかじゃなくて」
記事を書く分には言葉に困ることなんてほとんどなくなったのに、こうした情緒的な話題になると、途端にうまく見つからなくなる。こういうの、なんて言うんだっけ。
「お前だから、いいんだ」
小学生の作文かとつっこみたくなる。でも他になにも浮かばなかった。恥ずかしくて東堂の方を見られないまま、なんとか自分を励まして続ける。
「最初は、嫌なやつだって思ってた。できれば関わりたくなかったしな。でも、こうして、組んで、お前のことを少しずつ知って……そうするうちに、俺が思っていたのとは全然違うやつなんだって分かって、もっと知りたいし、守りたいし、支えになりたいって思うようになってた」
思い出を頭の中でなぞると、東堂と積み上げてきた時間が愛おしくてたまらなくなる。
「だから、こんなに早く、いろいろ進めるつもりじゃなかったって言ったろ? お前だってこれまで色々あったんだろうし、俺だってこんなの初めてだから、どうしたらいいか分かってない。だから、ゆっくりまずは飯から、って思ってたんだよ」
東堂が知りたかった答えに、なっただろうか。ようやく、東堂の方へそっと視線を向ける。東堂は泣き出しそうな、怒り出しそうな、困り果てているような、複雑な顔をしていた。何を思っているのか、東堂の中で落ち着くまで将吾は辛抱強く待った。
「お前のそれは……、恋愛の意味で捉えていいのか」
硬い声。出た、と将吾は思った。
東堂がすんなり頷くとは、将吾も最初から思ってはいない。おそらく東堂なりに自分を守ろうとして、自分に都合よく解釈してしまわないように、確認したいんだろう。それだけ、人を信じることに慣れていない。
それなら、そっちに合わせるまでだ。気が済むまで付き合ってやろうじゃないか、と将吾は思う。もうそれくらいには惚れている、ということに自分でも薄々気づいていた。
「俺の中では、そう思ってるよ」
一緒に仕事ができて嬉しい、同期らしく馬鹿話がしたい、でもそれだけじゃない。
「三ツ藤のことが許せないって思ったんだ」
将吾の口から出た名前に、東堂があからさまに嫌そうな顔をする。なぜ今その話を、と言いたそうに。
「最初は、ただあいつのやり口が汚いから、頭に来ただけだと思ってた。でも、それだけじゃなかったんだ」
当時は、自分でも分かっていなかった。ちゃんと自覚できたのは、東堂に触れたいと思った時だったかもしれない。
「あいつなんかにお前が傷つけられるのが、許せなかったんだよ」
三ツ藤はそこまで深く東堂の心に入ることができていた、それが悔しかった。それを恋愛感情と呼んでいいのか、将吾にはわからない。でも他の誰にも感じたことのない思いだ。
「もう誰にもお前を傷つけさせたくないし、誰にもお前がしたいことの邪魔をさせたくない。俺は、お前には安心して笑ってて欲しいんだ。何も気にせず、やりたいことを全力でやってほしい。そのために、俺は俺ができることをしたい」
どこかから借りてきた言葉ではなく、自分の本当に思っていることを、一つずつ取り出して並べるように、将吾は話した。
「これから先……、その、そうやって一緒にいられたら、いいなって」
どうにも、こういうのは慣れなくて、自分だけが先走っているようで居た堪れない。格好いいことを言おうとしてすべったみたいに気恥ずかしくて、言葉は尻すぼまりになった。でも、誇張もしていないし、全部本当に思っていたことだ。こうして言葉にして、初めて自分がどう思っていたのか、東堂に対して何を言いたかったのか、ちゃんと分かった気がした。
東堂の目元は真っ赤に染まり、耳も同じくらい赤くて。何も言わなかったけれど、何も言わないっていうのはそういうことだ。
そうするべきだと思ったから、今度こそ将吾は体を東堂の方へ傾けて、その頭ごと腕の中へ抱き込んだ。肩を、背中を撫で、ありったけの気持ちを込めて、髪に、耳に、何度も口付ける。まだ強張ったままの東堂の体は、けれど抵抗しようとはしなかった。
やがて、そっとぎこちない動きで、その手が遠慮がちに将吾の背中に回る。触れているところから伝わる東堂の鼓動も、将吾のそれと同じくらい速い。あまりの幸せに将吾は気が遠くなりそうだった。
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