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第2話 昔の俺は貴族だった

 村長の家の居間で、俺たちは向かい合って座っている。  卓と椅子がならんでいるだけの壁の薄い部屋で、村長の孫たちが代わる代わる覗き込んでくるので、自然と小声になった。 「なんで、俺がここにいるってわかったんだ?」  俺が尋ねると、ハンローレンはあっけらかんと答えた。 「強いて言えば、直感です」 「はあ」  納得しないという風の俺に、神官は笑って付け加えた。 「噂を聞きました」 「うわさ?」 「蔓枯病を防いだ賢者がいると」  俺は言葉に窮した。それから、しまった、と思った。これでは、その賢者は自分ですと自白したようなものだ。  蔓枯病は、かぼちゃなどのウリ科によく見られる病気だ。土のなかに病原菌が潜んでいて、感染したかぼちゃは枯れてしまう。  この村は土壌が蔓枯病の病原菌に汚染されていて、毎年のように凶作であった。 「あなたが、ネギの根をかぼちゃの根に絡ませて育てるといいと発見したのでしょう?」  神官に言われて、俺は是とも否とも言わなかった。俺が答えなくても、彼の中で答えが出ているようだった。 「あなたは昔から、不思議な知識をたくさん持っていますからね」  神官の言葉に、俺は苦笑いした。  ネギの根には微生物が住んでいて、その微生物の分解作用により、病原菌が減少する。この方法は、農薬がなかったころに農夫たちが経験則で編み出した方法だ。 「伯爵家の嫡男が、なぜ農業に詳しいのでしょうね?」  神官は、そのスミレ色の美しい瞳で、俺を見据えた。  俺は目を泳がせて、知らぬ存せぬ、その賢者は自分ではないという態度で唇をとがらせた。  ーー俺の前世は日本人だ。俺には前世の記憶がある。  俺は北海道の農学部でのんびり酪農と農業を学ぶ大学生だった。家族は父母、妹、祖父母の6人で、家族総出で大きな農園を管理していた。  最後の記憶は夏休みだ。大学で飼っている馬の世話をしていて、その馬に蹴られたところで終わっている。  そう、人の恋路を邪魔したわけでもないのに、馬に蹴られて俺は死んだ。  かわいそうに、アオイロトイキ号(馬の名前)。俺が不用意に後ろに回り込んだばかりに。馬の恐ろしさは十分に理解していたつもりだが、慣れが気のゆるみを生んでしまった。  それから、どういうわけか俺はこの世界に記憶を持ったまま生まれ変わった。  ーーそれも、この国唯一の伯爵家の長男として。  中世ヨーロッパを思わせるような街並み、鮮やかな髪色の人々、身分制度。俺はわくわくする一方で、畏れもした。  現代では信じられないことだが、この国には絶対的な皇帝がいて、宗教を通じて国民を支配している。主神モアデルスの教えに、輪廻転生という概念はない。よって、前世だの生まれ変わりだのというと、異教者として処刑されてしまう。  俺は俺の記憶のことは誰にも告げず、ただ新しい人生を受け入れることにしたのだ。 「……それで、何の用だ?」  神官の質問を無視して俺は尋ね返した。彼は気を悪くしたふうでもなく答えた。 「もうあなたの家出は終わりということです」  俺の顔はひきつった。 「家出? 俺は皇都から追放されたはずだけど」 「正式な、書面による追放命令は出ていませんよ」  彼は椅子から立ち上がり、俺の足元に膝をついた。そして俺の手をとって、真剣なまなざしを向ける。 「皇都にお戻りを。これは、ハイントル皇子の正式な命令です」  かつての婚約者の名前を聞いて、おもいっきりしかめ面をしてしまった。 *****  俺が前世の記憶を思い出したのは、12歳のときだった。  特に何か事件があったわけではない。ただ、食事にヤギ乳が出てきて、「これでチーズ作ったことがあったな」と思い出したのだ。  最初はまさかと思ったが、記憶を頼りにヤギ乳を瓶に入れて、チーズを作るとそれはもう絶品のチーズができてしまった。  箱入り息子として育てられた12歳が知るはずのない知識を俺は確かに持っていて、その知識は実際に使えるものだった。  俺は、日本のフィクションなどでいうところの「転生」をしてしまったのだと、確信した。  俺の頭は混乱した。頭の中にいろいろな記憶と知識が混ざりあって、どちらが前世のものなのか、どちら現世のものなのか、とっさに判断できなくなり、会話がかみ合わなかったり、常識がないと思われるような言動を繰り返してしまったりした。  両親は12歳まで神童だった俺のちょっとした変化を一時的なものだと見逃してくれた。現世の俺はまじめで、たくさん勉強していた。  そのおかげで、「転生」や「生まれ変わり」を周りに相談することは危険だと判断できた。この国の宗教では、転生とは異教徒に起きることなのだ。  俺の混乱は1カ月程度でおさまった。頭の中の記憶をそれぞれの引き出しにしまって、必要な時に取り出せるようになった。  そうしてどうにか心身のバランスを整えていたら、「その日」が来てしまったのだ。 「キフェンダル、こちらがハイントル皇子だ」  いつになくめかしこんで、連れていかれた王城で、俺は初めて彼に会った。息をのむような黄金の髪、澄んだ空の瞳。おとぎ話の中の皇子さまそのものが、応接室のソファに腰かけていた。  彼は第一皇子で、なにごともなければ、のちに国王になる人物だ。 「来月、お前と婚約していただくことが決まった」 「こんやく?」  俺はその少年を前にして、耳慣れない言葉を反芻した。自分は間違いなく男で、相手も男に見える。  俺が黙り込んでいると、父親が肘でつついて、挨拶するように促してきた。 「帝国の太陽にご挨拶申し上げます。キフェンダルと申します」  体の方にしみついている礼儀作法で膝を折った。皇子は鼻を一度鳴らして、足を組みかえた。 「儀式はいつから?」 「神殿の方の儀式は来月からですが、教育は本日よりはじめます」  皇子は俺には興味ないといった様子で父親と話を続ける。どうやら俺の男同士で婚約ってどういう意味だ、という疑問に答えてくれる人はいないらしい。  その日は顔合わせだけで終わった。  父親はもっと殿下のご機嫌をとるようにと小言をもらったが、あんな気位の高い奴をどう扱えばいいのか、平凡な日本人と伯爵家で甘やかされた長男の知識では対処が思いつかなかった。

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