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第4話 信ずるに値する人
俺はやたらと豪華な馬車に座らされて、着の身着のまま皇都へ連れていかれている。
俺の畑、俺の田んぼ、俺の家、世話になった村人にろくに別れも言えず、俺は不貞腐れている。
ハンローレンは俺の隣に座って、上機嫌だ。
「皇都まで、だいたい15日といったところでしょうか。それまで、2人旅ですね」
彼の低い声でそうささやかれると、なんだかやらしく聞こえてしまう。俺はできる限り彼との距離があくように、馬車の壁に張り付くような体勢になった。
「なぜそんなに遠く座るのですか」
そんな俺を彼が咎めた。
「ちょっと、ばつが悪くて……」
「私のところへ来なかったからですか?」
ずばり図星をつかれて、俺はへらっと笑うしかなかった。
ハンローレンは俺が追放を言い渡されたあとにも、俺の無実を信じてくれた。
彼は俺を私邸に匿う手はずを整えていたのだが、俺は彼の元へは行かず1人皇都を出たのだった。
俺はせっかく生まれたこの世界をもっと見て回りたかった。
婚約破棄は、そのちょうどいい口実になった。
もともと乗り気ではない婚約だったし、婚約者としてふさわしくあるように血反吐を吐くほど努力をしたが、ついに皇子に認められることはなかったのだ。
きれいさっぱりそれまでの身分を捨て、新天地へ行くべきだと思った。
ところが世間知らずの俺は1年で持ち出した金を使い果たして、行き倒れ、ここの村人になったのだった。
「私は、悲しかったです。あなたが1人で出奔したと聞いて、命を絶とうかと思ったほどでした」
「え!?」
神官の唐突な告白に、俺は思わず声が出た。彼は確か、俺より2歳年下だったはずだ。将来有望な若者が自殺をほのめかすほどの衝撃を与えてしまっていたことに驚いた。
「あなたは私を信じてくださらなかった」
伏せられたスミレ色の瞳。俺はあわてて言った。
「信じてたさ! だから逃げたんだ。俺を信じてくれる人に迷惑をかけられないだろ」
「私も連れて行ってほしかったです」
「お前は神官だろ……」
「ええ。そうです。あなただって、伯爵家の嫡男でしょう」
俺はどう言えばいいものか、考えあぐねた。
この2歳下の神官は、幼馴染だった。
13歳で婚約者に選ばれてから、毎日禊の儀式をしなくてはいけなくなった俺のために、神殿から聖水を運んできたのは彼だった。
俺は年下の前で情けない姿は見せられないと、つらい儀式に耐えた。
儀式のあとの、彼との他愛ない会話は楽しく、勉強漬けの日々の唯一の息抜きだった。
「信じてるよ」
俺は言った。子どもの頃のような気軽さで、彼の肩を叩いた。
「俺は逃げられるんだぞ? 村から出るときにでも、もちろん今すぐにでも。俺がそれをしないのは、お前を信じてるからだ。お前が、危険になるとわかってて俺を連れ戻したりしない、そうだろ? だから、俺はお前と皇都に行くことにしたんだ」
ハンローレンは何か言おうと口を開けて、でも言葉にならないといったように、また閉じだ。
そして「あなたという人は……」と呟いて、うつむいてしまった。
少し経ってから、意を決したように彼はさっと顔を上げた。
「謝罪しなければならないことがあります」
「なに?」
「マカド様の件です」
俺は首をかしげて、少し考えてから、それが皇子が惚れた少年の名前だったことを思い出した。
「あの者の暗殺未遂というのは、狂言です。私はそれを知っていましたが、そのときは証拠を集められませんでした」
一気に話されて、俺は話についていけなかった。口を挟む間もなく、彼は話し続けた。
「私はあなたの努力を見ていました。あなたは5年も頑張られた。あんな者の狂言で、あなたの5年が無意味になってしまった」
婚約破棄のとき、皇子が言ったマカドへ暗殺未遂というワードを思い出して、俺はようやく合点がいった。
皇子も短慮なところがある。
マカドの言葉を鵜呑みにして、犯人は誰かと考えて、それで俺が思い浮かんだのだろう。
俺が何も話さないでいるのをどうとらえたのか、神官は大真面目に、身を乗り出した。
「今からでも、マカド様を虚言の罪で処刑台に送れます。地獄を見せてやりましょう」
「……いや、もう、いいんだよ」
俺の知らないうちに、小さい神官はずいぶんと物騒な成長をしたらしい。
俺が乗り出してきた彼を押しのけると、彼は「あなたのためです」とさらに言い募って膨れ面をする。
すねたようにそっぽをむいたその姿は、7年前のままだ。
マカドには恨みはない。
確かに家族を失ったが、それはきっと、もとからその程度の関係しか結べなかった俺の落ち度だ。
皇子にはいくつか言いたいことがあるが、その怒りをマカドに向けるのは違う。
「そのあと、マカドに余計な事してないんだよな?」
「あなたがいないのに、あんな者に興味なんてありませんよ」
銀色の髪に隠れて、その顔色はうかがい知れないが、彼と離れていた7年という月日を、これから埋めていけるということだけわかった。
馬車の旅は快適に進んだ。それはたった15日間だったが、俺と彼の間のわだかまりを解消するには十分な時間だった。幼いころに戻ったような気持ちで、彼と冗談を言いあったり、くだらないいたずらを仕掛けあっては2人で大笑いした。
彼は俺の1年間の放浪の旅の話や、村での生活についてを聞きたがった。
俺は彼から残してきた家族の様子や、国の中枢の様子、それから皇子の話を聞いた。
皇子とマカドは1年と持たずに破局したという。
理由は配偶者となるためのもろもろの勉強、毎日の禊、五穀と肉絶ちの生活に耐えきれずに音を上げたからだとか。マカドは平民出身で、勉強だけでも大変だったのだろう。
その生活のつらさを知っている俺は、マカドに心底同情した。
それ以降、皇子は次々と恋人を作り、その恋人が挫折するというのを繰り返したそうだ。
俺は子どもで、反抗しても御しやすく、しかも俺の中身は成人男性で我慢強かった。ハンローレンもいた。だから5年耐えられた。しかし、あの生活は常軌を逸しているよなと改めて思った。
「で、皇子はなんで今更俺を呼ぶんだ?まさか、また婚約しようってわけでもないだろう?」
「そのまさかですよ」
俺は耳を疑った。
「冗談だろ?」
「いろいろほかの恋人を探し回られて、あなたの素晴らしさに気が付かれたのでしょうね。あなたに儀式の続きをさせたいのでしょう」
儀式というのは、王の伴侶になるためのあの生活のことだろう。
「……俺、もう肉とかいろいろ食べてるし、禊もしてないから、続きも何も……」
「過去に例があるのです。一定のところまで体の変化が進んでいると、中断してもまた続きができるとか」
俺は馬車の扉に手をかけた。
「帰る」
「信じてくださるんでしょう?」
力強い声だった。いつのまにか、小さな神官は悪だくみができるようになっていたらしい。
「策があるのか?」
俺は椅子に座りなおした。
スミレ色の瞳が輝いた。
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