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Launching Love
デリックは金を数えるのがとても早い。銀行から下ろしたばかりのピン札だろうが、靴底に挟んで皺くちゃになったなけなしの切り札だろうが、マネーカウンターへ突っ込んだかのようにダダダダっと、大きな手は瞬く間に紙幣を弾いていく。昔取った杵柄という奴だろう。デカいカジノのピットボスを辞め、ギャンブラー向けのペイデイローンを取り扱っている男の特技。
いや、結局金を扱う仕事には変わりないのか。事務室の応接デスクに向き合って座り、自らの取り分を数える途中、目を上げたらそこは文字通り宝の山。気付けばスーツケースの中からテーブルへと積み上げられていた札束へ、ダリオは思わず圧倒された。
「邪な気持ちになったか」
ぽかんと眺めているうちに、また一つ50ドル札の束が追加される。返す長い腕をデリックは伸ばし、傍らのコーヒーマシンからサーバーを取り上げた。空になった自らのマグカップに煮立った黒い液体を注ぎ、序でにダリオの紙コップにも足してやる。教会のガーゴイルを思わせる強面だが、彼は30%位善人だった。
「悪い事ではない。欲は人間を前進させる推進力だ」
「そうですね」
そろそろと掴み上げた紙コップは、9分目まで満たされている。少し指に力を入れれば決壊し、中身を溢れさせてしまいそうだ。本当は残すつもりだったのに、こんな濃いコーヒーを飲んでいたら胃癌になってしまう。そもそも己はブラック派ではない、砂糖もミルクもたっぷり入れて貰わないと困るが、ここでそう言う「添加物」が供された事は一度もなかった。あるテリトリーでホストの嗜好が優先されるのは当然の話だし、大体からして自らは、彼にとって一介の部下に過ぎない。
デリックは世の中が己の思うまま、整然と滞りなく進むことを望む。けれど彼はもう地位のある人間だから、手ずから地ならしをしたりしない。そんな彼を傲慢だと憤るものもいるし、また求める水準が高過ぎると呆れるものもいる。だから金払いが良いのに、従業員が長く居付かない。そうでなくてもこじんまりした事業なのだ、仕事は溜まっていくばかりだった。
雇われて5年になるダリオは事務所で1番の新人だが、幸いデリックは己を殊更信用してくれている、ような気がする。そもそもこの男が他人を信用するなんてこと、あり得たらの話だが。
何度か親指を唾で湿らせ、100ドルが20枚ある事を6回ほど確かめると、そのうち10枚をデリックに返す。受け取るや否や、放り投げるようにしてテーブルへ追いやる無関心もまた、ダリオにとっては30%の善性に含まれていた。
金だけ送るばかりで、妻の実家があるチワワで暮らす子供達には、もう10年以上会っていない。父親の顔なんかとっくに忘れてしまったに違いなかった。下手をすれば、刑務所で暮らしているヤク中の母親すら、亡き者として躾られているかも(そもそも彼女はまだ生きているのだろうか?)
自分のザーメンから生まれてきた存在だと言うのに、会いたいと全く思わないのが我ながら不思議だった。若気の至りと言うには彼女をそこそこしっかり愛していたし、一応共に暮らしていた頃は、赤ん坊のおしめを替えたりミルクをやったり面倒も見ていた。ただアメリカ生まれのダリオにとって、メキシコの寒村での暮らしは、幾ら潜伏期間の縛りを設けていたと言っても退屈過ぎた。日がなスピードボールに溺れてマグロのように床へ寝そべっている女も、意味もなく泣き喚き鼻水を垂らしているガキどもも、みんな退屈だ。
やっぱりおうちが一番ね、と言ったのは虹の彼方へ渡った女の子。実際そうだ。早く帰りたい、会いたいと思う場所と相手は1人だけ。
「俺って前進してるんですかね」
「墓の中にもムショにも入っていないってことは、少なくとも悪くはなっていないな」
「でも兄弟も親戚の連中も、皆欲を掻いてしくじりましたよ」
「何事もやり方次第だろう」
自分から示威行為が目的で引き留めていた癖して、もうデリックは若干面倒臭そうな顔。しっしと手を振って部屋を出ていくよう促す。
「送金はしておく。次の仕事は金曜日からだ。例のタンパのクラップス・マニアが返済に来なければ」
「またですか、去年の今頃も踏み倒そうとしてませんでしたっけ」
「一昨年も、その前の年もだ。一度も逃げ切れたことはない。今回を初めての成功経験にさせるな」
再度犬にでもするように、無言でしっしとやる。席を立ちざま、ダリオはふと眉を顰めた──のは、シルバー・セブンズのブラックジャック・テーブルで負けを嵩ませ、エルメスの旅行鞄二つと共に逃げた中国人を愛車のニッサンへ押し込んだ際、抵抗されて殴られた鼻が痛んだから。それに。
「金曜日は……無理かも知れないです。用事があった気が」
「夜の11時以降で構わない」
「なら大丈夫」
いくら信用しているとは言え、部下が立ち去るまで、デリックは金庫のダイヤルへ手を伸ばそうとはしないだろう。
ジーンズのポケットへ紙幣を押し込みながら、ダリオは既に紫の夕暮れへ沈む事務所の外に出た。先程から何度か、スマートフォンがバイブレーションを繰り返している。画面を確認しなくても相手は分かっていた──が、結局取り出して確認する。最新のメッセージは直球だ。
『早く会いたい』
その前にあるのがどんな思惑でも構わない。そう思えるほど、今のダリオはすっかり心地いい疲労に浸り切っていた。ヒビの入ったアスファルトに鎮座ましますニッサンのルーフを叩き、小さく口笛を吹こうと唇を尖らせたら、何度やっても学習しない。血が固まったばかりな左の鼻腔が、またもやズキズキ響いた。
ダリオが一緒に暮らしているたった一人の人物は、とても偉い。年上の男に賄われるマリブでの贅沢な暮らしへさっさと見切りを付け、この砂漠の街へ引っ越してくるや否や、とっととNGO団体の臨時職員の仕事見つけてきた(あの地域で暮らす十把一絡げのパートタイマー俳優達と同じく、最終学歴大学中退と言う奴なのかなと思っていたので、ちゃんと卒業している事を聞いた時は驚いた)
片言の英語を話す子供達に正確な文法と文学を教えて早6年。働くことは楽しい? と尋ねれば、彼は肩を竦めて言ってのける。「少なくとも集団オーディションよりは、やり甲斐もあるよ」
とは言え、何分元来のお育ちが良い男なので、未だ様々なカルチャーギャップに直面しては悩んだり、不安を覚えたりしている。35歳の男が「夜道が怖いから迎えに来てくれ」なんてテキストを送ってくるのは、本来度を越した甘えなのだろうと、夫のダリオですら流石に理解している。
けれどなんて言ったって可愛い伴侶だし、彼は肝心な所でおっちょこちょいな男だ。実際に、うっかりホールドアップされたりしそうだなと思えてしまう危うさがある。
今も人懐っこい大型犬じみた顔立ちの中、チョコレート色の瞳を不安で揺らめかせ、早く施錠したい受付員に睨まれながら大柄な身体を縮こまらせているのだろう。容易に想像出来る。
気付けばいつもよりアクセルを踏み込み、予定していたよりも10分程早く、ダウンタウンの南にある施設へ到着する。
そこには予想していた通りの光景が広がっていた。黒いニッサンが入り口前へ停まるや否や速い。剥げかけたペンキで花の絵が描かれたガラス扉を押し開け、ホールデンは小走りに駆け寄ってくる。染めるのを止めて、自然なサンデイ・ブロンドに戻った髪が、奇跡的に割れていない街灯の下で鈍く輝いた。
「今日は大変だったんだ。ここに通ってる子の別居してる父親で、麻薬中毒の男が、ずっとドアの前でめそめそ泣いてるものだから」
助手席のドアを閉め、隣へ顔を向けることで、ようやくダリオの容貌に気付いたらしい。仕事や読書など知的作業の時にのみ掛けるボストン・フレームの眼鏡奥で、黒目がちな瞳が眇められる。
「怪我を?」
「大したことない」
あのクソ音楽プロデューサーにワインを頭からぶっかけられたり、アナルから血が出るような真似を散々されていた癖して、ホールデンは今でも暴力に直面すると、それが自分に対してであれ、他人に対してであれ、全身に緊張を走らせる。
今夜だって、東サハラ通りを走っている間、視線はずっと隣の横顔に注がれていた。帰宅ラッシュも若干落ち着いてきたとは言え、まだまだ忙しない往来の中だ。少し覗き込めば中の様子など丸見えなのに、ホールデンは全く頓着しない。セントルイス通りの交差点で信号待ちしている隙をついて、身が乗り出される。詰まった鼻の下、生々しい血の塊に唇を押し当てた挙句、ぺろっと舌先で舐められたものだから思わずダリオは首を竦めた。
本来抗議をすべきなのは自らなのに、ホールデンは眉を顰め「苦い」と呟く。
「消毒薬の味がする」
「そりゃあ、さっきオキシフルで拭いたから」
襟付きシャツにカーディガンとスラックス、まるで本物の学校の先生みたいななりをして、そんな売女みたいな真似。思わず笑ってしまえば、「君のせいだ」と来る。
「俺のせい?」
「ああ。君といると、僕まで野生に戻った気分になる」
「まるで俺が野生動物みたいな言い草だな」
「君は野生だよ、アライグマよりも乱暴で、スカンクよりも」
Tシャツから伸びる首筋に鼻を押し当て、ホールデンは「汗臭い」と呟いた。言葉の割に、口調から大した嫌悪は読み取れない。
「俺がスカンクなら、お前は猫だな」
汗ばむ肌を擽る髪に、思わず喉を鳴らす。その癖、ほら、車が動き出せばすぐ身を離すところなんか、本当に猫のようだ。
「10日も風呂に入って無かったとか言うなよ」
「シャワーは浴びてた」
「信じられない……帰ったら食事の前に前に湯を張るから」
「飯は?」
「昨日作り置きしておいたグラタンかな。マカロニの」
「いいな。何をするにしても、まず美味いもんを食わなきゃあ」
車内に侵食する闇も、時には閉店間際な商店の明かりや、通り過ぎる対向車線のヘッドライトに照らされる。切れ切れの光の中、ホールデンの白い肌は、さっと一刷毛されたような薄紅色へ染まっていた。一体何について考えた? そんな意地悪を言えば、殴りかかって来るかもしれない。幾らお坊ちゃんとは言え、野生の生き物を侮ってはいけない。
それでも、にやつきだけはどうしても噛み殺す事が出来ない。結局すぐに気付かれ、ホールデンの頬は益々紅潮したと思ったら、お次はパンチをお見舞いされる──と思ったのに、顔がぷいと背けられるだけに終わる。ああ、可愛い奴。そんなに期待してるなんて、全く男冥利に尽きるではないか。
もはや含み笑いを隠す真似すらせず、ダリオは後15分の道のりを、いつもに増して上機嫌で過ごす事が出来た。
結局、アパートへ戻ってもバスルームは乾いたまま、ダイニングでダラダラしてしまうだけに終わる。どでかい琺瑯の角皿をオーブンに放り込んでいる間にホールデンへカンパリ・オレンジなどこさえてやったりせず、すれ違いの続いた半月を埋めるよう話をしたりしなければ、風呂へ入る時間は十分にあった。けれどダリオは飯を平らげ、皿を食洗機に突っ込むと、寝室へ直行する。汗染みの浮いたシャツを床へ脱ぎ捨てて、バミューダパンツ一枚で気楽になったら、ダブルベッドへぼすんと身を投げ出す。そのまま仰向けで目を閉じていたら、睡魔は瞬く間に忍び寄ってきた。
「ダリオ」
誘惑を押し除けたのは、更なる誘惑だった。もう何年、2人で寝ているか分からないのに、ホールデンは今でもダブルベッドへ上がる時、幾ばくか羞恥の素振りを見せる。部屋へ入り様、伴侶の名前を呼ばわる囁きは普段よりも声音が低められ、なのにとてつもなくいじらしく響くのだ。
ダリオが答えずにいれば、やがてスプリングの軋む感触が顔の両脇から背中へと伝播する。瞼越しの世界が暗くなり、深い森を思わせる落ち着いた芳香の香水が鼻腔を掠めた。
まずホールデンは、うっすら笑みを象っているダリオの唇に、己の唇を重ねた。本当に触れ合わせて、僅かに表面の乾いた粘膜と、漏れる呼気を吸うだけの、他愛無い接吻。
口付けは頸動脈、鎖骨、腕の付け根と、汗腺の多い場所を辿っていく。特にまだじっとりとしているような胸の中心には吸い付きざま、じゅう、と唾液でたっぷり重くなった舌を滑らせ、塩辛い水気を舐め取る真似すらする。
辛うじて形が分かる腹筋を、一つずつ確かめるかの如く唇を押し当てられ、遂にダリオは喉の奥を震わせた。
「ホーリー」
薄目を開けた先で、ホールデンのチョコレート色をした瞳は、焦燥のあまり哀しみすら湛えていた。眼鏡は既にナイトテーブルへ乗せられている。つまり彼も、どうしようもないくらい本気で、滅茶苦茶に乱れたいと望んでいる。
「このまま寝るつもりか?」
頬に触れた左手の、薬指を縛める固い感触。宝飾の一つもないプラチナの結婚指輪は、本来素朴な性質のホールデンへ思った以上にお似合いだ。同じものを嵌めた手で少し緊張した背中を撫でてやり、ダリオはにっこり笑顔を浮かべて見せた。己が人からどう見られるかについて余り考えた事はないが、こうしてやればホールデンは大概気を鎮める。
今も安堵の溜息を付き、愛撫を再開し始めるのだから、全く可愛らしいものだった。バミューダパンツの履き口に添えられた手へ、ダリオが軽く腰を浮かしてやれば、薄っぺらい布は容易く引きずり下ろされる。
ぼろりとこぼれ落ちたペニスはまだ1分咲きといったところ。汗臭いと散々言っていたダリオの身体の中、最も不浄な場所へ触れる事に、ホールデンは躊躇を見せない。太く立派な重量のあるそれを右手で掲げ持つと、口へと収めた。
セクシーな媚態で男を誘う事も出来なけりゃ、セックスそのものも下手くそ。以前彼を囲っていだプロデューサーは、ことある事にそう罵っては、おどおどする愛人を眺めて面白がっていたらしい。
全くとんでもない話だ。確かに技巧は未だに(もう6年も経つのに!)拙いものの、出会った頃より遥かに積極的となったホールデンは、大層魅力的だった。「僕はこれまで義務でもない限り、他人にフェラチオなんかしたことが無かった」と言われた時には、冗談だろと思わず仰け反ったものだ。
今では頬張ったダリオのものを、もごもごと何か美味いものであるかのように口一杯で味わっている。垂れ始める先走りを唾液に混ぜ合わせて頬の裏に溜めては、先端から幹に押し当てさせ撹拌させるものだから。頬がぷくりと膨らんでいる。まるで公園の栗鼠みたいだと、思わず頭を撫でてやれば、興奮と愉悦で潤んだ上目遣いが投げかけられる。
「これ好き?」
「……きひの、へにす、は、すひ」
鼻を啜りながら、ホールデンは頷いた。洗濯板みたいな上顎に亀頭がぶづかり、ちょっと気持ちいい。
手を止めれば、もっと、と視線で訴えられる。だからホールデンが好き放題している間、ダリオはずっと汗ばみ柔らかい髪を掻き回したり、頭皮へ指を這わしたりする事に専念していた──実際、ダリオが寝たことのある人間の中で、ホールデンのテクニックは下から数えて何番目、と言うものなのだが、本人が楽しんでいるならいい。そう、彼が好きでやっているのだ! 義務ではなく。信じられない話だった。
ようやっとペニスを半分くらいまで勃ち上がらせ、そろそろ顎も疲れたのだろう。咥える口の動かし方が緩慢になってきたのを感じる。「もういいよ」と唾液その他の分泌液でべたべたに汚れた頬を軽く叩いてやり、ダリオは身を起こした。
「そろそろ俺もお前に触りたい」
半時間には満たない行為の半ば頃から、ホールデンがうず、うずと、痙攣のように時たま尻を震わせていた事へは気付いていた。待ってましたとばかりにシャツを脱ぎ、スラックスを床へと投げたホールデンの肉体は、とっくに準備が整えられていた。こちらが微睡んでいる間に、バスルームで幾らか1人遊びをしていたのだろう。
うっすらと汗ばんだ胸乳は体毛もなく、つるりとしている。白い肌に手のひらを置き、ゆっくりと滑らせれば、ホールデンは首を竦め、喉奥で笑いを転がした。もう40も手前の男なのに、どうしてこんな、無邪気な反応が出来るのだろう。いつもいつも、ダリオは不思議でならなかった。
だからこそ、もっともっとと手を伸ばしてしまうのかも。菓子に掛かっているベリー味のそぼろみたいな赤色に惹かれ、ふっくりと膨れた乳輪を摘んで引っ張ってやると、これはもう子供の反応ではない。まるで何をされるのか全く予想出来なかったと言わんばかりに眉尻を下げ、「あ」と小さく声を漏らす。
熱い吐息で湿らされたばかりの唇にかぶりつけば、オレンジと、微かにアルカリの味がした。
ペニスを舐める舌遣いから分かるように、ホールデンのキスは下手くその一言に尽きる。が、とにかく一生懸命お互いを気持ち良くさせようと思っていることは読み取れるから、無碍に出来ない。瞼を掠める感触に薄目を開いた時、間近に迫る濃い睫毛の震え。観察されているとも知らず、従順に瞼を閉じ、相手から差し出されたものを黙って受け取る健気さを、何故プロデューサーはそんなに憎んだのだろう。よしんば嫌っていたとしても、いじめる位ならばさっさと解放してやれば良かったのに。
思い耽る夫を嗜めるよう、ホールデンは軽く顎を持ち上げ、口付けを深めてきた。こちらばかり蹂躙されてはたまらないと、おずおず侵入してきた舌を、ダリオは自らの方へ招き入れた。ダンスと同じ要領だ。そっと触れ、軽く擦って、相手の身体から滲み出る肉欲の機微を確かめながら絡めてリードする。
その間も、膨らんだ蕾を思わせる乳首を弄ってやることは忘れない。ふよふよと熱っぽくて柔らかい粘膜の中に埋まり込んではいるが、その芯がすっかり固く凝っていることは指先で容易に感じ取ることができる。
この身体的特徴を、どういう訳かホールデンは酷く恥ずかしがる。最初の2、3回のファックの時など、隠そうとの虚しい努力でシャツを着たまましてくれと請われ、訳も分からぬまま付き合ってやった位だから、己も大概間抜けだ。
大方、彼を大切に扱うつもりのない誰かに揶揄われたことがあるのだろう。何だそんなこと、俺の知り合いには足の指に水かきの付いている奴がいるぜ、とダリオが以前笑い飛ばせば、そんなものと一緒にするなとえらく怒られた。何が違うのかダリオは未だ分からないままだが、取り敢えず、服を脱がないでやるなんて味気ない真似をそれ以上はしないで済んだ。
そもそも、生粋のカリフォルニア・ボーイであるホールデンは、本来快感に対して酷く貪欲な性格だった。引っ込んで恥ずかしがり屋な分、良好な感度へ一度味を占めれば、もはや臆さない。いや、羞恥すらもスパイスへ変えている節があった。
女の割れ目のようにぱくっと開いた乳輪の中心から、赤ん坊の肌みたいに繊細な感触の乳首が現れたのを指先で感じ取ると、指の腹で引っ掻く力を少し強める。
「あ゛、ダリ……」
「痛くない、痛くない」
ぷあ、と唇が離されたのはいい機会だ。実を言うとダリオ自身、固まりつつある鼻血のお陰で、今日はキスに向いていない。お互いの舌先を繋ぐ唾液の細い糸を、舐めとる仕草で切り落とすと、ダリオは肩を揺すって喘ぐホールデンの頬に、何度も唇で触れた。
掻いて、押し潰して、時に指先を穴が変形するほどめり込ませてほじくってやる間に、むくむくと膨らんできたのは乳首だけではない。前のめりとなった拍子に、すっかり膨張した下着の前立てが、膝へ押しつけられる。
「…オ、ダリオ……!」
「何だ、なに?」
「だ、いじょうぶ、いたい、のか」
「え…」
必死に訴えるそれが、怪我のことだと気付くまで、ほんの少し時間を要する。とろんと溶け出しそうな目を抑えるように瞼を細め、触れる胸の奥でばくばくと心臓を波打たせているにも関わらず、ホールデンはそっと正面の頬を撫でながら「今日は、もう止めよう」と囁く。
「顔だけじゃない、こんなにあちこち……」
「あ、ああ? 何言ってんだ、全然平気だって……」
脇腹に残った青痣、肘の擦り傷。こんなの子供でも平気な顔をしている、唾でもつけておけば治るような代物だ。
大体、彼に人のことへ構っていられる余裕があると言うことは、まだまだこちらの力量不足。もう半分近く突き出している乳首を親指と人差し指で、爪を立てながら挟んで引っ張ってやると、完全に姿を現した。
「〜〜〜っ……!!!」
雷に打たれたかの如く、ホールデンは体を硬直させた。見開かれた目から、とうとう涙が一粒、ぽろりと零れ落ちる。痛がっているのは彼じゃないか、と思うほど悲壮な顔つきだが、これでも感じているのだ。数年かけてホールデンがダリオについて知っていったように、ダリオもまた、相手を理解しつつあった。
「や、ばか、急に……!」
「ほら、全然平気だろ」
仰くことで晒された顎を軽く噛んでやった後は、くりくりと指で弄んでいる方とは逆の側を。触りもしないのに、早くも穴が開きつつあるそこを優しく唇で食んで、軽く吸ってやっただけで、舌先に芯を感じ取る。
「あっ、ああっ、も、そこ、ぉ」
押し倒され、背中に触れるシーツの感触にすら身は悶え弾む。
「ダ、リオ、ぼく、もう、そんなこと、されたら、ぁ」
「ホーリー」
ぼろり、ぼろり、と溢れる大粒の涙を含み取り、ダリオは己の肩に柔く掛けられた手を掴んだ。そのまま押し下げ、すっかり屹立しているホールデン自身のペニスを握らせれば、既にぐっしょりと黒く染まっている、灰色の下着ごと、一心不乱に扱き始める。
「そこだけじゃないだろう、気持ちいいところ」
促されれば、ぎゅっと目を瞑り、空いている左手を乳首に伸ばす。優しくされるのが好きだ、といつでもホールデンは言うが、自涜の様子を見ていると、引っ張ったり捻ったり、捥げてしまいそうな勢いできつく触る。
「あ、はぁ、ゃ、っん」
確かに可愛らしい顔立ちの中、眉間の皺は深まるし、開きっぱなしの口からはだらしの無い嬌声ばかりが次から次へと漏れるばかり。それでもペニスは決して萎えないし、背中を浮かせて、放ったらかしにされている可哀想な乳首を触ってくれと訴えかけるかのよう。
時々思うのだが。こんな考えをするなんて酷い話だとは重々承知なのだが。ダリオは、ホールデンが内心望んで、自らを苛む男の側へ居たのではないかと訝しむことがあった。例え本人が意識していなかったとしても、いつかは必ず見つかってしまっただろう。捕食者が捕食者たる所以は、生贄の匂いを嗅ぎ当てる能力に長けているからへ他ならない。
ならば、己も彼を残虐に扱うべきなのだろうか。とんでもない! 今、自らの体の下で身をくねらせながら、「ダリオ、ダリオ」と甘く名前を呼ぶ、こんな健気な男を甚振りたいなんて、誰が思えるだろう。
もしも酷く扱っているように見えるのならば、それはあくまでも情熱と、セックスに振りかけるちょっとしたスパイス。
だって、己はホールデンを愛しているのだから。そしてこの感情がお互い様で、均衡が取れているならば、出来る限り幸せに近付いた方がいいと考えるのは、至極当然の話だった。
「分かってる」
そう頷いた時、喉は思った以上に干上がっていた。長い脚から苦労して下着を剥ぎ取り、蒸れた股ぐらに手を差し込む。やはりホールデンはしっかりと準備をしていた。軽く弄っただけでも、アナルから会陰の辺りまで、ぬるつく感触がある。
窄まりは中指をすんなりと受け入れた。ちょっとローションの量が多過ぎるのではないかと思えるほど、腸の中はぐっしょりと濡れそぼっていた。軽く指を曲げてやるだけで、関節の内側がくちりと音を立てるし、触れた肌が貼り合わされてしまいそうだった。
「、ん……ダリオ、ゆっくり」
そう口で訴えるのとは裏腹、慎重に内壁へ沿って指先を進ませていけば、括約筋が拗ねて唇を尖らせるように、きゅうと螺旋状に絞まる。動きにくくなっちまうよ、と思わずダリオが小首を傾げれば、ホールデンは益々顔を赤らめ、顔を背けた。
幸い、そこまで深く差し込まずとも、お目当てには辿り着くことが出来る。半円状に膨張した、ほんの少し硬い場所を擦ってやれば、上半身が跳ね上がる。危うくまた鼻に一撃を喰らうところだった。おかしくて、思わずダリオが上げた笑い声を、ホールデンが咎める余裕はない。そうでなくて、指はすぐさまもう一本増やされたし、一度見つけた弱点を見逃してやるほど、ダリオもお人好しではない。
「ぁ、あぁっ、ぃ、あ゛、ひぅ、っ、それ、それっ、触られたら、すぐ」
「ああ、イっちまえよ」
「ぅ、ぐ、あ゛ぁっ、ぁーっ……」
二本指で挟んで揺すったり、ぐりぐり中へ押し込んだりの動きで、ホールデンは呆気なく、固く握りしめていたペニスから白濁をしぶかせた。胸にまで飛ぶほどの勢い良い射精は、見ているこちらまで気持ちよくなり、涎を垂らしそうな解放を夢想させる。気づけばダリオ自身のものも、腹に付きそうなほど固く勃ち上がっていた。
ぼふんと、枕に頭が投げ出される。はあ、はあ、と息を荒げるホールデンは、悩ましげに眉根を寄せ、すっかり目元を泣き腫らさせていた。可愛い、あどけない姿態に興奮を隠しきれず、ダリオは最後の駄目押しで、指を大きく、直腸の中で開いた。2本の指の間のみならず、触れて擦れる腸壁の襞、アナルの皺の一本一本に至るまで、すっかり潤みは行き渡っている。
準備は整えられた。指を引き抜くと、ダリオは力無いホールデンの両膝を立たせた。手早く避妊具をつけて、己のペニスを近づければ、ラテックス越しにもむわりと汗ばんだ股の間から立ち上る熱気を感じ取れる。
「ホーリー、挿れるからな、ほら、お前の好きなもの」
まだ目は閉じられたままだし、声を出す余裕もないが、ホールデンは吐息で確かにこう訴えた。「きて、くれ」
外から押し込めば、その分肺が迫り上がるのかも知れない。ひゅう、と鋭い息の音が、火照った耳にやたらとくっきり届く。
先程「ゆっくり」とねだられたのはどのタイミングだっけ? 構いはしない。もはやホールデンの内臓は異物を飲み込む事にすっかり慣れきっている。ぐっ、ぐっと力強く嵌めていけば背中に腕が周り、膝が腰を締め付け、汗ばんだ額が肩口に埋められる。
「ん……」
呻く合間に、食い縛られた奥歯の鳴るのが可哀想で、腰を掴んでいた左手で髪を掴む。こちらだって興奮しているのだ。上げさせた顔へ強引に口付け、白く整った歯列を舌で乱暴に擦って「開けてくれ」と訴える。
顎の力が緩むのと同時に、全身の力も抜けて、内部までふわっとなる。最初はどうしても感じてしまう痛みを誤魔化す為か、ホールデンはダリオの後頭部へ両手を引き寄せるようにして舌を貪り始めた。
「ホーリー、息苦しい」
「は、ぁ、ダリオ…」
こりゃあ駄目だ、全然聞いちゃいない。慎重に口の端から息を逃しては吸い込み、応えながら、ダリオはとうとうお互いの下生えが絡み合うまで、接合を深めた。よく頑張ったな、と腰を軽く叩いてやれば、びくんと大きな震えと共に、より奥へ飲み込もうとする。
これなら待たなくても十分じゃないかといつも思うが、ホールデンはこの、挿入したままじっと抱き合っている時間を一等好む。今も好き放題接吻を堪能した後は、身体をマットレスへ預けた。
「結婚記念日だけど、レストラン、予約したから」
「ありがと。いつも予約取れないのに、どうやった」
「最近入った教え子の父親が、あそこで給仕をやっててね。頼み込んで割り込ませて貰った」
「ズルしたのか、なんて悪い先生だ」
思わず破顔したダリオへ引っ張られるよう、ホールデンも汗だくの顔一杯にはにかみを浮かべた。
「こんな仕事さ、ちょっとは特権を行使しないと。金曜日、楽しみにしてる」
「うん。俺もその日は一日」
そこまで口にして、あっと目を見開いたものだから、ホールデンは立ち所に「仕事?」と声音へ不機嫌を乗せる。
「夜の11時に着けばいいから、飯食う時間は十分あるさ」
「そうじゃなくて……」
そのまま身体を押し退けようとしたものだから、慌てて腰を抱え直し阻止する。解れつつある袋小路を突く手ごたえと、緩く巻きついていた直腸を拡張する感覚に、ホールデンの口から「あ……」と吐息に混じった艶っぽい喘ぎが漏れる。
「仕方ないだろ、仕事なんだから」
「っ、断れないのか。記念日休暇とか申請して」
「あの渋い野郎が、従業員にそんな福利厚生付けるもんか」
少し考え込んだ後、こちらへ合わせて来たホールデンの溶かしたチョコレートを思わせる瞳からは、熱の気配がどんどん霧消しつつある。
「なあ、冗談抜きで、転職考えたら」
「でも実入は悪くないし、俺に向いてる仕事だからな」
ホールデンは賢い男だ。理由は知らなくても帰結は理解している。
勿論、ダリオだって彼の頼みは出来る限り聞いてやりたい。けれど譲れない、譲るとまずい一線は確実にある。ファックする以外の用事で会ったことの無かった男2人がいきなり結婚し、一つ屋根の下で暮らし始めたら、そりゃあ最初は摩擦だって生まれた。ダリオの全てについて情報を得た訳では無いだろうが、今でも多少、ホールデンが恐れていることは確かだ。それを世間のレベルに換算すると、夫が浮気しているかも知れないとか、変な株に投資して家のローンを払えなくなるかも知れないとか、その程度のものだろうが。
つまりホールデンは、ダリオの目からも看過できない程とことん抜けていて、世間を舐め腐っている面があった。今も往生際が悪く、甘えたそぶりでダリオに擦り寄り、耳元に甘言を垂らし込む。
「無理しなくても良いんだ、ダリオ」
こんな他人の人生を左右する決断が、その程度の媚びで自分の望む方へ転がってくると思っているのだ。
「僕の稼ぎだけでも暫くは食っていけるんだし」
「ああ、そこは信頼してるよ」
寧ろ、日常の算盤勘定について思い煩うと言う発想自体が、この男と暮らし始めてから身についたものだった──実際のところ、まだ完璧には習得出来ていないのかも。
屋根があって飯と酒が手に入れば何とかなると思える人生を送って来たダリオに、ホールデンは様々な余剰品を教えてくれる。しかも本人は無意識で。あれが欲しい、これが欲しい、けれど大きな贅沢は望まず、有り合わせのものを上手くやりくりし、プチブルらしいセンスで整えられたアパートメントの一室。それはダリオが夢にすら見た事のない、和楽のマイホームだった。
汗が冷え、蒸発するに従って、こちらまで醒めてくる。ぐんにゃりしたペニスの根本を掴んで引き抜き、息を詰まらせるホールデンの目の前でコンドームを外しながらダリオは唇を尖らせた。
「ほら、難しい話してたら、すっかり萎れちゃったじゃないか」
「しゃぶってあげようか」
「いい。それより、見せてくれよ」
のろのろと身を起こしたホールデンは、たった今まで確かに甘い空気へ身を委ねていた。それが「自分でやって」との頼みを聞きつけた途端、驢馬もかくやの威勢よさで、ダリオの太腿を蹴りつける。
「このドスケベ!」
「何言ってんだ、俺達今、滅茶苦茶スケベなことしてるのに」
呆れ果て、溜め息すらつかれて、相手が怯んだ隙を逃さず、ダリオは態とらしく肩を落としてみせた。
「本当なら、金曜日にお願いしようと思ってたんだけど、時間が無さそうだから」
それでホールデンは陥落した。「くそっ」と低く呟き、大きく立てた足を開き、赤らんだ目元で睨みつけられた所で怖くも何ともない。が、本人は真剣なのだから、あんまりご機嫌に見えないよう、唇を引き結ぶ。
「……見せるだけだから」
「うん」
暴れる程恥ずかしがっていた癖に、いざアナルへ滑り込む指の勢いは躊躇いがない。しかも一度に三本だ。
くち、ぬちゃ、とねばっこい音が、荒い息に絡まり合い、静まり返った寝室を跳ね回る。ブラインド越しの月明かりが、大柄で青白い身体を、白いシーツへ溶け込ませていたのは最初の間だけ。
「ふ、あぁ……んっ、く」
弱点の前立腺を探り当てたのか、探るようだった指の動きが短く激しい掘削へと変わる。水音が連なるような物となるにつれ、さっと鮮やかな紅色が、胸元から喉に向かって広がった。
「あっ、あ、ぁあ、あーっ……」
シーツを掻く動きをしていた足指が滑り、ぴんと伸び切る。もはやホールデンは、完全なる一人遊び、他人など必要としない領域で、ひたすら耽っていた。左手はより動かしやすいよう、ぐいと二本指で開かれた拍子に、血の色を透けさせる粘膜が微かに覗く。ほんの垣間見える範囲だけでも、そこが奥へ引きずり込むよう蠕動している事が手に取るかのように分かった。
何て気持ち良さそう。あそこへ入れたら最高に違いない。なのに、ごくりと喉を鳴らしたダリオが手を浮かせた途端、ホールデンは「触るな、っ」と短く制止する。例え切れ切れな息遣いの合間に放たれた声でも、彼がすっかり臍を曲げていると知るのには十分だった。
「ふ、ぁ、オナニーしろって、言ったのは、君だぞ」
「そんなあ」
思わず情けない声を上げた夫へ、勝ち誇った笑みを浮かべるホールデンが、可愛くて、憎たらしい。我慢なんか出来るものか。飛びつくように覆い被さると、ダリオは左手で相手の腰骨をマットレスへ押さえ込んだ。
「こら…!」
「穴には触らないって! ああ、くそっ……俺の王子様は最高だ……もっと気持ち良くしてやるから、な?」
ホールデンの油断を呼んだのは「王子様」という所有欲剥き出しの台詞か、それとももっと直情的に「気持ち良くしてやる」という誘いか、一体どちらだろう。
どちらにせよ、手のひらを汗ばんだ腹に滑らせて撫でまわしただけで、ホールデンは身を仰け反らせるほど感じ入る。その悦楽を途切れさせぬよう、手は本来ならばペニスを収めている下腹へ、ぐっと中に押し込む動きを繰り返した。
「ぉ、あ゛、」
さっと冷えてから温度の跳ね上がる湿った肌、微かに回った脂肪の柔らかさ、それを跳ね返すような腹筋の波打ち。それらの下で、確かに感じる。先程まで自らのものだった、文字通り全てを消化しようと包み込む繊細な襞の凶暴さ、腰が溶けてしまいそうな熱。ぞくぞくする粘り気。
「あっ、や、やめ、ダリオ」
「駄目じゃないだろ」
圧迫から逃げ惑う結果、敏感になった内壁を手当たり次第に掻き回す指で、勝手に気持ちよくなっているのはホールデン自身だった。ダリオもますます、長い指の感触を探り、強く揉んでやることで煽り立てる。
「い゛、ぐ、あ、ん」
「ホーリー」
「ゃ、や……これ、どうしよ、きもちいい、きもちいい!」
髪が舞い散るほど必死に首を振る仕草は、放たれる嬌声すら無ければ、嫌がっているようにすら見えた事だろう。
「ダリオ、ダリオっ、もっとっ……」
「お見通しだぞ、きつくされるのが好きなんだろ」
「あぁっ、すき、すき……ここ、ズキズキする」
擬似性器を飲み込んだ後ろの口はもはやローションが泡立つ程、攪拌の勢いは激しい。時に捲れ上がる粘膜が細切れにされた光でてらてらと光り、欲をそそる。
最も感じやすい場所へ拘っている余り、ほったらかしにされているペニスは、だらだらと溢れる白濁にまみれ、さながら溶けた蝋燭の有様だった。そしてダリオ自身のものも、再び腹へ付くまで元気を取り戻している。2本まとめて握り、片手で擦り立て始めれば、すぐさまくちゅくちゅと嫌らしく音が響き始める。亀頭を手で潰される痛みか、裏筋同士がぶつかる痺れか、それとも行為そのものが羞恥を呼んだのだろうか。ホールデンは身を捩って悲鳴を上げた。
「いやだっ、ダリオ、ばか…!」
「ほんとに嫌か?」
「っ、きもちよすぎて、いやなんだよ!」
あっさり白状したのと同時に、脚が腰へと絡みついてくる。またぽろりと零れ落ちた涙は、熱を持った頬のせいですぐさま蒸発してしまいそうだった。勿体無くて舌先で舐めてやれば、ちょうど耳元に来た唇が、どろりと訴える。
「もっと激しいので、上書きしてほしい」
胸と胸を触れ合わせ、自らの固く尖った粒を薙ぎ倒すのは確信犯だ。それでもまだ足りないとばかりに、ホールデンは後孔から引き抜いた指で、そこを弾き、先端を擦る。乳輪にまで塗り広げられたぬめりが乾く間も無く、無茶苦茶にまさぐる動きは恥も外見もない。目を薄く閉じ、干上がった唇を何度も舌で舐めながら、すっかり浸りきっている。
行方をくらました節制が戻ってこないうちに、ダリオはどちらの体液で濡れているのか分からない己のペニスを、埋めるものが無くなりひくひく喘ぐアナルへ押し当てた。避妊具を付けていなかったものの、ホールデンが抵抗することはもはや無かった。
生でするのは格別だ。敏感な鈴口へ、しなるほど固くなった幹へ、熱く濡れた襞がめり込み、粘膜そのものが搾り上げる動きを作る。
「〜〜っ」
背骨が折れるのではと思えるほど身を反らし、ホールデンは嗄れた声で呻いた。露わに晒されたその喉へ、唇を寄せる。申し訳ないが、彼には明日、シャツのボタンを一番上まで留めて仕事に行って貰う。或いはハイネックを着るよう促さなければ──ダリオ自身は全く気にしないのだが、ホールデンは情交の痕跡を第三者へ見せる事へ、極端な忌避感を示す。
その他にも、肩口、背中を丸めて二の腕、あちらこちらに噛み跡や鬱血を刻んでいく。白い肌の上に乗せられると、赤い痕跡は、さながら花びらを散らしたかのようだ。
舐めては噛み、噛んでは吸い付き、一つ一つの刺激にホールデンは全身をびくつかせる、律儀な反応を寄こす。が、それだけでは足りなくなったのだろう。粘つく唾液を絡ませた舌が、ぜいぜいと火のような息を放つ口からまろび出て、だらしなく踊っている。
「あっ、ん……いや……はや、く……」
そして腰の動きが始まれば、言葉はもはや不要になる。「ぅ゛、あ゛、ああ゛っ、ひっ、ぃ」
突き上げられる度に上がる濁った悲鳴にうっとり耳を傾けながら、ダリオは汚れたホールデンの手のひらに己の手を重ねた。皺の寄ったシーツへ押さえつける格好なのに、力無かった手指は寧ろ協力的で、狼藉者に絡みついてくる。汗ばんだ指の股で、自らより少し大きく分厚い手の中、ほんのささやかな金属が固く、ひんやりとしてる。それはけれど不快感ではなく、この時間の確たる担保のように感じられるのだ。
いやらしい事に、ホールデンの奥は既に柔く開き、受け入れる準備を整えていた。腰をねじるようにして突き込むと、繋いだ手に、手首へ節が浮くほど力が込められたと知る。雁首に引っ掛けて弾いてやれば、こちらも尾骶骨がガタガタ音を立てそうほど気持ちいいし、ホールデンも悦ぶ。
「あ、ああっ……」
腰をぶつけるたびに、眼下の腹筋が盛り上がり、へこみ、そして内臓はひねり潰すような圧を増す。一瞬、それが痛い程強まったのを覚えた次の瞬間には、腹へ生温かい奔流が叩きつけられた。2回目にも関わらず、長く、量の多い射精だった。
自分だけ出すものを出せば、連理の枝と言わんばかりに絡みついていた脚も脱力し、ずるっと汗ばんだ肌からシーツの上へと落ちる。
「も……イッた、おわり、おしまい……!」
「馬鹿言えよ!」
ふうっと緩まって、逆に心地よさを増した直腸を捏ね回し、思わず声を荒げたのは、余裕などとっくに失っているからだった。縦横無尽の蹂躙、今や無防備に出し入れ出来る結腸で暴れ回りながら、ダリオは自らの解放へ向かってひた走った。その間、ホールデンはめそめそとべそを掻いては腹筋をひくつかせて相手を喜ばせる。やがては疲れ果てて、唯一の相手との接触場所である、汗だくの項を、深爪した指先でかりかりと引っ掻いている。お互いの狂った息遣いが、そうでなくても馬鹿になった頭を一層の混沌へと導く。行き着く先は無だった。そしてそれこそ、2人にとって至福なのだ。
ダリオが中に放ち、たっぷりと濡らされれば、ホールデンもまた萎えたペニスから勢いのいい体液を溢れさせる。無色透明のそれはシーツが重くなる程の量で、負担が大きいのだろう。ガクガクと痙攣する全身を、ダリオが抱き竦めて止めてやらねばならない程だった。
しばらくの間、2人ただただ無言で抱き合うこと、10分程だろうか。がらがら声で「あ゛ー」と唸ると、ホールデンは身を起こし、バスルームへ向かう。尻たぶの狭間から白い粘液を垂れ流すに任せ、ひょこひょこと足を引きずる後ろ姿でもう一発位十分に抜ける。だがシャワーが終わるまでにシーツを替えておかないと、我儘王子は機嫌を損ねるので、さっさとベッドメイキングを済ませてやった。
交代して身を清潔にしたダリオがベッドへ戻ってきた時には、ホールデンも正気を取り戻している。ベッドヘッドに凭れ掛かり、スマートフォンを眺める、取り澄ました横顔。癪なので、ダリオは隣へ滑り込みざま、一度眼鏡を上へとずらし、熱っぽい目尻にキスを落としてやった。
「ご機嫌取ろうったって無駄だからな」
「なに?」
「金曜日」
今度はダリオが呻く番だった。
「悪かったって。埋め合わせはするから」
「いつもいつもそうやって……」
「ほんと。ちゃんとプレゼント買って、配送の手配も済ませてあるんだぜ」
プレゼント、の言葉に、液晶画面へ照らされ色の抜けたような顔の中、まだ潤んでいる瞳がちらりとこちらを注視する。
「欲しがってただろ。ほら、イケアの棚、居間に置く奴」
「もしかして、シェルフ?」
「そうそう」
明らかに信用していない顔をされるのも仕方がない。以前店舗へ引っ張って行かれた時、露骨に物欲しげな顔をするホールデンへ、首を振ったのは、他ならぬダリオ自身だから。そんなもの買ったって何に使うんだよ、狭い部屋で、置くものもないのに。それならこっちのテレビラックの方が良くないか。お陰でホールデンはすっかり臍を曲げ、その晩は床で寝ろとまでは言われなかったものの、とんでもなく唐辛子が効いた韓国料理を食わされた記憶がある。
「せっかく記念なんだからな……あと花も買ってくる予定だったんだけど」
「全部バラさなくていい、楽しみが無くなるだろ」
自分より背丈も大きい、施設一ホットな職員と生徒達の保護者から噂されているらしい(自称なので本当の所は知らない)男がだ。慌てて口を手で塞いでくる、可愛い女の子みたいな仕草もそれなりに様にさせてしまう。全く得な男だと、我が伴侶ながら毎度感嘆させられる。手のひらを外しながら、ダリオは「俺の可愛い王子様の為にな」と片目を瞑って見せた。
「分かるだろ?」
「うん、まあ、とにかくありがとう……凄く嬉しい。何よりも、君の気持ちがね」
「これでも、お前のこと大切にしてるつもりなんだけどな」
「知ってるよ」
性的興奮以外の理由で頬を赤らめ、ホールデンはふいと目を逸らした。
「僕からは、レコードプレイヤーと、ニルヴァーナのアルバム一式を」
「ニルヴァーナ? どうしてまたそんな鬱陶しい曲を」
「君、前に好きって言ってなかったっけ」
愕然としたのはお互い様。しばらく顔を見合わせて、最終的に肩を竦めたのは、ダリオの方だった。何とも珍しい話だが。
「まあ、何度も聞いたら好きになるかも知れないし」
「カート・コバーンが気にいらないなら、他にも……母さんが借りてる貸し倉庫から、父さんのレコードが何箱か見つかったって連絡があったんだ。今度取りに行ってくるよ」
脱税と薬物所持で収監されている父親はともかく、フロリダでひっそり暮らす母親にすら、ホールデンが夫を会わせようとしないのは、何も羞恥だけが原因ではない。「あんたよりによってそんなごろつきのスピックと結婚するなんてどう言うことなの」と電話越しに嘆かれて以来、親子はほぼ絶縁状態と言って良かった。
自らが救うべき不幸なヤク中は嫌う癖、面倒を見ている子供達が暮らす貧民街を電車通勤する事は怖がる癖、自分の夫を貶すママには猛然と抗議する。その不均衡は、難しいことを考えるのが嫌いなダリオですら、おかしなものだと思えた。
けれど、そこが彼の人間らしさなのだろう。あのいけすかないプロデューサーの前では緊張と見栄から決して見せなかった、おっちょこちょいな素朴さ。ダリオはそれを、平穏だと理解した。ホールデンに出会わなければ、永遠に知る事も、望むことすらしなかった平穏。
今もデブ猫が狭い箱へ入ろうとするように、大柄な体を丸めてダリオに凭れ掛かりながら「これだろ」とスマートフォンを突きつけてくる。イケアのホームページに表示された白いシェルフは、このアパートメントよりも遥かに日当たりが良く洒落たリビングで、辛うじて威厳を保っている。この部屋に置いたらもっと安っぽく見えて、ホールデンはがっかりしないだろうか。何せ合板の、さして値の張らない品だ。今日の稼ぎだけでお釣りがたんまり戻ってくる程の。
「ここにレコードプレイヤーを置こう。で、こっちにテレビ。下の引き戸にはアルコールを入れてもいいね、それともレコードか」
「そこは任せるよ、お前のなんだから」
「君も聞くんだぜ……僕達、そろそろ共通の趣味を一つ位持っても良いと思う。老後に備えてさ」
思わずぎょっとなって見下ろしたダリオに、ホールデンは全く気付かない。裸の胸へ擦り寄る顔は至極ご満悦。「レコードはもう一つ棚を買おうかな」などと、あれこれ楽しい将来の計画へ思いを馳せている。
この男と後20年、30年。お互い頭が禿げたり腹が出たり、腰が曲がっても一緒に居続けるのか。
驚嘆すべき事態だ。けれど、衝撃が醒めた後に心の中へ満ち溢れたこの感覚は、どう言うわけか悪くない。剥き出しの肩を抱きながら、ダリオは間近に迫る同じシャンプーの匂いを嗅ぎ、今やすっかり手に馴染んだ肌をそっと撫でた。
「俺、音楽は全然知らないし、教えてくれよ」
「勿論」
心底誇らしそうな笑い声を立てながら、ホールデンは左手でダリオの頬を撫でた。相手が怪我をしていることなどすっかり忘れているのか、掠めた指先が鼻に痛みを蘇らせる。
マリッジリングは頑丈なプラチナ。嵌めたまま殴りつけられようものなら、鼻血どころでは済まない、一週間は顔へ跡が残るに違いなかった。
まあそれも悪くないな。内心、本音で嘯きながら、ダリオは子供のような眼前の旋毛へ、一つキスを落とした。
終
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