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第3話

「やっと聞いてくれた? 俺がいつから香村の事が大好きかって」  そう言った廣川七瀬(ひろかわななせ)は夕陽を背に楽し気に笑った。茜色の夕陽は明るい色の彼の髪を透かしてきて、表情は逆光となっているものの笑っているのはわかる。そも、記憶の中にある廣川という男はいつだって笑っているような気がする。 「じゃあ、当ててみてよ。俺がいつから香村の事が好きなのか」 「……え、じゃあって何」 「そこまで気になるなら? 教えてあげなくもない、って感じ?」 「いや、そこまでってわけでは」  嘘だ、気になる。  香村健臣(こうむらたけおみ)は自分自身を平々凡々などこにでもいる高校二年生だと思っている。実際のところ中学生時代からあらゆる教科のテストで学年三位内を取り続けている男が平凡なわけがないのだが、それは香村を客観的に見ての印象であり香村自身の自己評価は平均して低めに設定されていた。 「えー気になってよ俺のこと」  彼の腕が伸びて来て香村の手を取る。思いのほか熱く、少し汗ばんでいて香村は驚いた。  気になって、なんて言われなくとも香村にとって廣川という男はやけに気になる男ではあるのだ。彼が声高に香村への好意を伝えてくるようになったのは確か二年生へ進学し同じクラスになった頃で、それまではクラスも違えば中学も違った為接点らしい接点は無かった筈だ。 「もっと俺のこと意識してね」  そう言ってのける廣川はやはり策士なのだろうと、香村は思った。 ■■■  それは確かに策士かも、と言って苦笑を浮かべたのは隣の席の中津祐輔(なかつゆうすけ)だった。  中間テスト期間中であるためこの日は午後から休みとなる。このまま同じ塾へ向かう香村と中津は一緒に昼食の為ハンバーガーチェーン店でハンバーガーにかぶりついていた。賑やかな店内には二人と同じく一日目の中間テストを終えた同じ制服の生徒たちでやや混雑している。 「香村君は廣川が言う事に心当たりはないわけ?」  ダブルチーズバーガーをぺろりと食べた中津はナゲットにバーベキューソースをたっぷりとつけながら尋ねる。テリヤキバーガーをもそもそと食べていた香村は少し考えてみるが、やはり二年生で同じクラスになる以前の廣川との接点は思いだすことが出来なかった。 「廣川君って中学はどこだっけ?」 「この辺じゃ無いらしいよ。親の転勤か何かで中学卒業と同時にこっちに越して来たみたいだから中学からの友達っていないのかも」  中津は相変わらずのリサーチ能力だ。人の噂話が大好きだと言って憚らない彼は将来的に興信所の探偵あたりが向いているのではないかと、人の噂話には殆ど興味の無い香村にしてみれば特殊技能にも近いその情報収集能力に脱帽してしまう。 「それなら尚更、どこで会ったんだろうな」  もぐもぐとポテトを摘まみながら首をかしげる香村に、中津はLサイズのダイエットコーラをストローで飲みながらくつくつと笑う。 「案外ただの一目惚れだったりして」 「……俺に? なんで?」 「いや、なんでって俺に聞かれても……人の好みは色々だし」 「だって一年の頃は榊原さんと付き合ってたんだろ? ってことは、俺と榊原さんに何か共通点が」 「なさそー」  確かに香村自身、ピンク色の髪がトレードマークの榊原奈美(さかきばらなみ)との共通点はあまり無さそうだと思っている。性別すら共通しない上に、香村は彼女ほど社交的な人間では無いし素直な性格でもない。  まだ半分も食べていないテリヤキバーガーを片手に頭を悩ませていると、目の前に座る中津は心なしか興味深そうな視線を送ってきていることに気づき、香村はぱちぱちと瞬きをした。 「なに」 「んー? いやあ、なるほど廣川は策士だなあと思って」 「どういうこと?」 「まあまあ、何か思いだしたら俺にも教えてよ。面白そうだし」  面白がらないで欲しいと思いつつ、香村は残りのバーガーにかぶりついた。腕時計を見ると午後からの塾での授業までまだ少し時間がありそうだ。どこかで時間でも潰すか、それとも早めに行って今日のテストの復習をしようかと考えていると不意に店内の騒めきの中から声を拾った。 「廣川って、B組の廣川七瀬でしょ? 良いよね~」  女の子の声だ。恐らく同じ学校の生徒だろうと思ったがさすがに声の方向へ視線をやるのは気が引けて、目の前のテリヤキバーガーを黙々と咀嚼して誤魔化す。しかし香村の耳はしっかりと彼女たちの会話を拾おうと欹ててしまっていた。 「ユウコ一年の時同じクラスだっけ?」 「そうそう、めっちゃ良い奴だよ。面白いしセンス良いし。あーでもギャルのナミと付き合ってたけどね」 「ギャル好きかー」 「いや、それがさ、二年に上がってから男に行ったらしくて」 「ハァ?」 「同じクラスの男子と付き合ってるらしいよ」  ごほっと思わず飲んでいた烏龍茶で噎せてしまった。ゲホゲホと咳込むと、目の前に座り恐らく同じ会話を聞いていたであろう中津が心底可笑しそうに腹を抱えて笑っている。笑い事では無い、と睨もうにも咳込んだせいで涙目になってしまった。 「付き合って無い」  紙ナプキンで口を拭いながらようやく復活した香村が不服とばかりに唸ると、中津はまだどこか半笑いの様子で俺に言うなよと言う。尤もな意見ではあるが友人同士話していたであろう声の主に直接抗議するのも憚られ、また彼女たちの声も賑やかな子どもの泣き声にかき消され聞こえなくなっていた。 「いっそのこと付き合っちゃえば?」  中津の無責任な一言に香村は丸めた紙ナプキンを投げつける。難なくそれをキャッチした彼は楽し気に眦を下げたまま香村を見やった。 「廣川と香村君が付き合ってくれて、香村君が俺に吉野さんを紹介してくれればウィンウィンでは?」 「全然俺はウィンじゃないし、そもそもそういうのは誠実じゃないから駄目」 「駄目かー!」  大げさに肩を落とす中津をしり目に、香村は残りのポテトを口に放り込み烏龍茶で飲み下した。  食べ終わった二人はトレイを片付けて店を出る事にする。結局廣川の話をしていた女子生徒らが誰だったのかはわからず仕舞いであったがきっと誰かが訂正してくれただろうと願うしかない。交際してもいないのに交際しているなどと噂されれば当の廣川とて困るに違いない。  ……いや、困らないのかもしれないが。 「はー……なんで俺なんだろう」  自転車を押しながら塾までの道を歩きつつ、思わずため息が零れた。 「そんなに迷惑なら、正直にガツンと言った方が良いんじゃない?」  隣を歩く中津の言葉が、香村の痛いところを的確に突いてくる。彼の言う通り、廣川の言動が本当に嫌で迷惑であればやめてくれと言うべきなのだ。しかし、香村はこれまでずっと彼の真っすぐで純粋な好意を軽くいなし、見て見ぬふりをし続けている。 「迷惑じゃないなら、一回ちゃんと考えてみても良いと思うよ。じゃないと、廣川がちょっと可哀想だから」  口を挟んでごめんねとへらりと笑った中津に、自転車を押す香村は何も言い返すことが出来なかった。

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